時期外れの子供
『時期外れの子供』として、私は生まれた。
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「じゃあ、伯母さん、雅也をお願いしますね」
「はいはい、まかせてちょうだい、早苗さん」お祖母ちゃんが、明るく請け合う。
「有り難うございます。いい子にしてるのよ、まぁ くん」
早苗さんはお兄ちゃんの雅也くんにそう言うと、妹の唯菜ちゃんを抱き上げた。二歳ともなると、さすがに少し重そうだ
「うん。行ってらっしゃい、お母さん。ゆいも」雅也くんが手を振る。
幼い兄妹が手を振り合う様子は、何とも可愛らしい。
二人がまだ幼いからでも、身内の欲目だからでもなく。客観的に見てもこの兄妹は、実に見目が良い。腕のいい人形師が、対で作った人形のようだと、ときどき思う。
「弥生ちゃんも、よろしくね、雅也のこと」
「分かりました。夕方までお預かりしますね」私は、とりあえず早苗さんに、にこやかに頷いておく。
二人を見送った後、お祖母ちゃんは雅也くんに向き直る。
「さてさて、お昼は何が食べたいかね。お祖母ちゃんが支度するから。弥生、雅也くんの相手をしておあげ」
「はぁい、お祖母ちゃん」
雅也くんを預かる時は、いつもお祖母ちゃんが家事をして、私が彼の相手をする。逆でもいいはずなのに、そうはならない。
実はこれは、変則的な『お見合い』のようなものではないかと、ちらっ思ったりする。大学生の私の『お見合い』の相手が、七歳児。
あり得ないと言いたいが、そう言い切れないところが、不気味だ。
「さて、今日は何していようか。雅也くん、勉強道具は持ってきた?」
「うん、ドリル持ってきた。漢字ノートも」
「そっかぁ。じゃあ、まずそれからやっちゃおうか」
私は彼の手を引いて、居間に向かう。
二年前のことだった。早苗さんに泣きながら懇願されたことがある。
『お願いよ、弥生ちゃん。どうか、雅也のお嫁さんになってあげて』
笑い話にしたいところだが、早苗さんはどこまでも、マジだった。
それにはもちろん、事情があるわけだけど。
「雅也くん、飲み物何がいいの? 牛乳? それともジュースにする?」
居間の座布団に座って、ノートを広げ始めたところに、尋ねると。
「うーんと、牛乳?」
首を傾げて、はにかんだように笑う様子も、この年頃だと妙に可愛らしい。
私たちのような存在を、『マレビト』というのだそうだ。
異世界からやってきて、この世界の人々に紛れてひっそりと暮らす、言わばこの世界の異分子だ。
やって来たというのは、私たちの遥か先祖のことで。私たち子孫は、この世界で生まれ育ち、この世界しか知らない。
いつ頃、どんな事情で、何人くらいで来たのかも、今となっては皆目、分からない。
この世界に元からいる、『在来種』の人たちと、姿形も、食べる者も同じ。
だけど、違う。
私たち『マレビト』は、同族同士でしか、子孫を遺せない。
在来種の人たちとの間では、子供は授からないし、そういう意味で体が反応することもない。
周りにどんなに大勢の在来種の人がいても、同族の中で伴侶を見つけられなければ、生涯を一人身で過ごすしかない。
それはとても寂しいことだと、皆には思われている。
だから、同族の人たちは、示し合わせて同じ時期に子供を持つようにしているし。私のようにひょっこり出来てしまった、時期外れの子供は、とても不憫がられる。
私と一番歳の近い同族の男性達とは、上は二十ほども離れていて。私より年回りの合う女性達、父の従姉妹の早苗さんや、その妹の香苗さん達が、生まれながらの許婚者として居たし。
私より下は、十いくつも離れた雅也くんだけ。そして、その相手としては、彼の二つ違いの従姉妹の、まどかちゃんがいた。
「牛乳、ここに置いとくからね」
「うん。ありがとう」
お礼を言って、ドリルに取り組み始めた雅也くんの側で、私は居間に持ち込んだ資料を広げ、ノートパソコンを起動する。
レポートの締め切りにはまだ間があるけど、仕上げておくに越したことはない。
書きかけのワープロの文書を開いて読み返してから、ふと見ると、雅也くんはドリルに集中しているようだった。
こうなると、しばらくはこのまま放っておいても大丈夫。
預かるにしても、あまり手がかからない子なので、正直助かる。
町中で見かけるこの年頃の子は、もっとおしゃべりで落ち着かなくて、ちょろちょろ動き回る印象があるのだけど。雅也くんはいつ来ても、割合大人しい。静かに勉強しているか、本を読んでいることが多い。
唯菜ちゃんはもうちょっと人懐っこくて話好きだけど、やはり騒がしい方じゃない。ひっきりなしに喋ったり、やたらに走り回ったりはしないみたい。
それが、同族の子供の特徴かどうかは、サンプルが少なすぎて、判断できない。自分の子供の頃のことなんて分からないし、同族で小さい子なんて、今は雅也くんと唯菜ちゃんの二人しかいない。
本当に、二人だけ、なのだ。
二年前。早苗さんの妹の、香苗さん一家が亡くなった時に、一族皆の受けた衝撃は大きかった。
交通事故とはいえ、こちらにはまるで非が無いのに、まだ若い夫妻と幼い子供二人が犠牲に、というのはあまりにも理不尽なことだったし。それに。
亡くなった二人の子供、まどかちゃんとその弟の琢磨くんは、本当なら、早苗さんの子供達の伴侶になってくれるはずだった。少なくとも、親たちはそう願っていた。
たった四人しかいない子供のうちの二人が失われ、残された二人は、血の繋がった兄妹でしかなくて。
そうして皆は、世代を越えてこれまで何とか繋いできた、同族の系譜の終わりが見えているという事実に、とうとう直面しなければならなくなっていた。
私からすると『直視するの遅すぎ』とも言えるのだけど。
そう思うのは、私が『時期外れの子供』で、少し突き放して見ているからかもしれない。
レポートの骨子を組み立て終わって。一息ついて、伸びをする。
雅也くんはと見ると、今度は漢字ノートに向かっているようだ。
小さい手には余るような長い鉛筆を握って、せっせと手を動かしている。下を向いている顔にかかる睫毛が、やたらに長い。
私は、自分の分の牛乳で喉を湿らせて、レポートの本文にとりかかる。
以前早苗さんに、雅也くんは子供なのに大した集中力ね、と誉めた時、早苗さんは、『それが、家ではそんなでもないのよ』と、謙遜していた。
『ここでは、弥生にいいとこ見せたくて頑張ってるんじゃないの? 一人前に』などと祖母も笑っていたが、多分勘違いか、脚色だろう。
これが噂に聞く仲人口というやつかも? などと一瞬でも考えてしまった自分に、げんなりする。
こんな子供相手に馬鹿らしいし、そもそも私たち皆は所詮、行き止まりにいるのだから。
私たち同族の寿命は、一般に短い。今まだ六十代の祖母が、ずいぶん長生きだと言われるくらいに。
何故なのか、理由は分からない。
私の両親のように病気で、というのなら、『空気か食べ物か何か、この世界のものと合わないせいで』と思えるのだが。
香苗さん達のように、事故に合う人も少なくないのだ。
生きる期間が短いと、子供の数も多くはならない。ただでさえ、同族の間でしか子供が持てないのに。
生まれにくい上に、死に近い。
もしかしたら、この世界が何らかの意思を持って、異物である私たちを排除しようとしているのでは、などと。埒もない考えを抱くこともある。
何れにせよ、私たちは今、行き止まりにいるのだ。
それを受け入れられるかどうかは、別にして。
香苗さん達が亡くなったときの、早苗さんの嘆きようは、とても見ていられないほどだった。何でも話し合えた仲のいい妹と、子供達の未来への希望とを、同時に失ったのだから。
早苗さんが私という存在を思い出したのは、彼女がまだ苦悩の底にいた頃で。息子の将来を憂うあまりの、私への懇願だったのだと思う。
『お願いよ、弥生ちゃん。どうか、雅也のお嫁さんになってあげて』
冷静に考えれば、無茶もいいところなのだが。
レポートの 本文を書いている途中で、ふと目を上げると、雅也くんが何故かこっちをじいっと見ていた。
「何? どうしたの? お腹すいた?」
「ううん、違う。ええっと………髪」
「何?」
「髪。キレイだなって、思って」
「…はぁ? 何で? ああ、真っ直ぐだから?」
早苗さんもこの子達もくせ毛だからかしら。へんなクセじゃないから、そっちの方が見栄えがする気がするんだけど。
「まあいいけど。大きくなったら、よその女の子にそういうこと言わないようにね。誤解を招くから」
そう言うと、雅也くんが何故か気落ちしたように俯いたけど、ここは注意しておいてあげないと。
この子の綺麗な顔でああいうこと言っちゃうと、舞い上がる子がいる気がする。恋愛対象にできるわけじゃないのに、気を持たせるのは可哀想だ。
年頃になったときの、彼の苦労を想像して、ちょっと可哀想になる。異性にいくら好意をよせられても、応えられるわけでもなく、要らない恨みを買うことも多いらしい。
早苗さん達の若い頃も、そういうのがあったみたいだし、唯菜ちゃんの身にも間違いなく振りかかるだろう。
私のみたいな周囲に埋没できる容姿の方が、マレビトとしては生きやすいのではないかと思う。
「おやつにお菓子何か買って帰ろうか、どうする?」
スーパーのカートを押しながら、隣を歩く雅也くんに聞いてみた。
お昼御飯の後、彼を連れて買い物に来ていた。
カートの中には、『お一人様二パックまで』の今日の特売品が、四パック入っている。
付き添いの小学生だって、『お一人様』のうちに数えていいはずだ。…多分。
「おかしは、いらないけど。おやつ、弥生ちゃんのホットケーキがいいなぁ。ダメ?」
「……いいけど、別に」
……何ですか、その上目遣いのおねだりモードは。威力があるので、何だか、微妙な気分になる。
時折、やりきれなくなるのは、 同族とそうじゃない人達が、まるで違って見えるからだ。
存在感がまるっきり違うのだ。こんな小さな子供でさえ。
惹き付けられる、というのか。目が行ってしまうし、他の人よりくっきりと、鮮やかに見えてしまう。
ーーそれ以外の人たちが、霞んで見えるほどに。
それを疎ましく感じてしまうのは、多分、私が時期外れの子供だからだろう。
子供の頃は、いつか遠くへいきたいと、ずっと思っていた。
同族の中に伴侶を得られないのに、同族にしか目がいかないのでは……あまりに、不毛すぎるから。
誰も知らない土地で、同族でない誰かを見つけて。思い合って暮らしていけたら、と。
そうして、同族の中だけで閉じた、この世界に拒まれている運命を覆して。この世界の人たちと同じ存在になって。そして。
「弥生ちゃん? どうしたの?」
急に声をかけられ、はっとして手元を見る。ホットケーキの材料を広げたまま、しばらくぼんやりしていたようだ。
「つかれたの? ぼく、なにか手伝おうか?」
「ああ、そうね。じゃあ、材料計ってくれるかな。分量覚えてる?」
「うん!」
いいお返事だ。
いつか遠くへ行きたいと、そう思っていた自分からは、随分遠くへ来たようだ。
あの頃悩んでた自分を、否定するわけではないけれど。
世間の恋愛至上主義、カップル至上主義に毒されていたと、今は思う。
大事な事だと思わないわけではないけれど。でも、人間って、それだけではないから。
「弥生ちゃん、はかったよ。牛乳でしょ、小麦粉でしょ、砂糖でしょ、ふくらし粉に、あと、たまご」
「どれどれ。うん、ちゃんと覚えてたか。えらいじゃない」
頭を撫でてあげると、嬉しそうに目を細めた。
この子や唯菜ちゃんに、どんな未来が待っているのか、今はまだ分からない。
いずれ同族の最後の一人になりかもしれない、なりそうな気のする彼らに、世界が少しでも優しいことを願っている。
もしもこの先、彼らが行き詰まることがあったなら。
『時期外れ』の私だからこそ、言ってあげられることもあるんじゃないかと、思っている。いつか、多分。
ーーできることなら。