「今日この頃の心頃」
2025年12月28日0時38分
某所。
書き殴られたぐちゃぐちゃのメモを発見した
「
最後にあなたと会うのはカワでしょう。
あの人たちの言つたことはただの風なんだと言い聞かせても、言い聞かせても、私は恐れた。
光のなかの二人の子が、私を蔑み嘲笑つている、
まわりの皆が冷笑している。
絶え間ない声の嵐が私を襲つてくる。
私は幼少からずぅと、烈しい頭痛をこらへてゐた。
まるで二まわりほど小さな帽子を被ったかのように、
何かが頭のまわりを締めつける。
ワケも分らずに押付けられたものを大人しく受取つて、ワケも分らずに生きて行くのが、私の定だ。
これ以上好くなれとて出来ない相談だ。
私をこんな風に作つた、主が悪いのだ。
善悪は人に生れついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命。
何も変わらないのが一番の最悪だ。
おお地上の宝よ!おお私の生命よ!消えてなくなればいいのに!
私は、母から生まれなかった者こそ幸福だと、心底想うね。
あゝ生の息吹きを知らない者が羨ましいよ、こんな人間として生きたかなかつたよ。
どうしてと叫んでも何も答えを与えられなかつた理不尽に私は耐えられなかつた。
私は私の愚行に度度に怒りが心頭に発してしまう。
私が笑う旅に出て戻つてくると、その姿は私が疲弊している時と同じだつた。
私は『私は分からない』と何回言つたのかさえ、解らない。
山路を登りながら、私がこう考えた。私は、人間失格。と。
私は私を疑い最後には私は私ではないと断定し私は私が私ではないのではないのかと疑うことを禁じ私は私が私ではないと私に言い放つた。
魂は私が賢しい知者の立場になることは出来ないと思い込んでいることを知つている。
成功は人の表面を飾り、失敗は人の心を豊かにする。を見ても、私は私の心は虚無だからなぁと、痴に行つた。
私の懐疑心のせいで、私は痴に行つた。
無意味を恐れるのは無意味だと、最近知つた。愛は使い者に、ならなかつた。
どうせ死ぬ命だし、一切の望みは失せる。
いまは私には、幸福も不幸もありません。
ハハハと笑つて死んでいつた私を私は愛せるでしょう。
恥の多い生涯を送つて来ました。
」
数日後。
この書き殴られたメモを処分する事にした
作者は臆病な自尊心と尊大な羞恥心が好きだ。




