後日談(後編)
トリミングルームに、重苦しい空気が漂う。
「……えっと……あの……」
「……」
この部屋に入った瞬間、ランスさんがいきなりバサッと上着を脱いだ……かと思ったら、上半身裸のままトリミング台に突っ伏し、頭を抱えた悩ましげなポーズで……フリーズ。
そこから既に、十数分が経過していた。アンナは秒で変身を解いてポメラニアンの姿になったのに……。
「あ、あの……やっぱり、他の方に協力要請を……ヨルムさんとか……私、呼んできますよ!」
「なっ!」
バンッ!
部屋の外へ向かおうとドアノブに手を掛けた私のすぐ背後から、ランスさんに壁ドンならぬドアドンをされた。
驚いて、見上げるように彼を振り返る。
「あっ……」
それほど身長が高くない私は、丁度、彼の腕の中に囚われたような形となっていた。すぐ目の前に美しいランスさんのお顔、しかも半裸……あまりの超至近距離に私の心拍数が急上昇‼︎
ドキドキドキドキドキドキ……!
私の鼓動の音……絶対、耳のいいランスさんに聞こえている……やだ、恥ずかしい!
思わず、咄嗟に手を伸ばし、彼の耳をパタッと押さえて、内側に折り曲げた。
そのせいで、さらに彼の顔との距離が近づく。だが、恥ずかしいのは私だけじゃないようだ。ランスさんの顔も真っ赤に染まっていた。
「す、すまない。覚悟を決めるから……他の男の裸は、貴女の目に映したくない……」
「は、裸って……」
『半裸の貴方がそれを言いますか?』……と、喉元まで上がっていた言葉を、ぐっと飲み込んだ。
◇◇◇◇
「ランスさん……振り向いても、いいですか?」
「あ、あぁ……もう、いいぞ……」
彼の許可でくるりと後ろを振り向くと、トリミング台の上には純白のポメラニアンが美しい背中をこちらに向け、ちょこんと座っていた。
「はぁっ……」
その美しい毛並みに思わず、溜息が漏れ出てしまった。
「あ、あまり、ジロジロ見ないでくれないか、マーヤ殿。そのぅ……は……恥ずかしいのだが……」
「はっ! あっ、ご、ごめんなさい、ランスさん」
慌てて謝罪を口にしながら、私は勢いよく頭を下げた。
私の目に映るのは、綺麗な一匹の成犬ポメラニアン。だが、彼からしたら……真っ昼間の明るい空間で、全裸のまま台上に載せられているわけだから……そりゃ、めちゃめちゃ恥ずかしいよね。どんな破廉恥な罰ゲームだ、って話だ。
「あらためて、よろしくお願いします」
「あ、あぁ……こちらこそ……」
私は顔を上げ、そっと彼の身体に両手を伸ばした。柔らかな毛に触れた瞬間、彼はピクッと反応し、その身をぎゅっと固くする。恥ずかしさでプルプルと身悶えしているのが、手から伝わってきた。
ゔっ……何だか、すごく申し訳ない気分になってきたわね。
気を取り直して、ブラッシング。
サッ……サッ……サッ……サッ……
「本当に綺麗な毛並みですね」
「ほ、褒めないでくれ……」
「ランスさんは若くて健康的ですよね? 肛門腺絞りは……」
「や、やらなくていいっ! 本当、頼むから、やめてくれーーっ‼︎」
悲鳴に近い声が上がる。健康チェックの問診なのに、彼にとっては拷問官による尋問に等しいのだろう。
それにしても、兄妹で反応が真逆だ。アンナは侍女達に身体を洗われるのに慣れているから、彼よりも裸への抵抗が少ないのかもしれない。
「色々と恥ずかしいみたいですので、基本的なことだけにしておきましょう、ね!」
ひょい!
言いながら、私はランスさんを腕に抱きかかえて、手足を確認。少し伸びた爪を一つずつ切っていく。
パチン! パチン! パチン!
「マーヤ殿、く、くっつきすぎだ!」
「こらこら、ランスさん。暴れないで下さいよ。危ないです」
「爪なら、自分で切れる‼︎」
そう言ってジタバタと動き、キャンキャン吠える彼。
「あぁ、たしかに……でも、もう始めちゃったからやっちゃいましょう」
「くっ……」
この前は幼犬姿だったから、今日よりはまだ精神的な抵抗感が少なかったのかもしれないが、ランスさん視点で考えたら、私って……嫌がる成犬男性に無体を働く痴女って感じかしら?
……嫌だなぁ。トリミングが全部終わったら、きちんと謝ろう。
◇◇◇◇
ドッグバス内にランスさんを移し、全身にしっかりぬるま湯をかけてから、フワフワの泡で優しく身体を洗っていく。
ここで、また問題が発生。
「うっ……くっ! あっ、あうっ……ふ、ふっ……」
「あ、あのぉ〜〜、ランスさん?」
アンナも『気持ちいい!』って言ってたから、ランスさんもたぶんそうなんだろうけど……声を出さぬよう必死に堪えて、悶えて……それが、かえって色気が凄い。見た目はポメラニアンなのに! あまりのセクシーボイスに、私の方がくらくらしそうだ。
「えっと……やっぱり、もう止めておきますか?」
「あっ……や……やめないでくれ……」
恥ずかしそうにそう言うのが、また私の心臓にズキュンと突き刺さる。
「い、一応、お聞きしますけど……気持ちいいんですよね?」
「あ、あぁ……だが、快楽に溺れるなんて……くっ……精神が脆弱な証拠……あっ! まだまだ、私は修行が足りないな……あふっ……」
もはや、私のシャンプーは一体、何の苦行だろうか?
「とりあえず……私のトリミングが、獣戌族さんの魔力量アップに、何かしら貢献できそうなんですよね?」
「あ、あぁ……恐らくだがな……あっ……」
「ふふっ、嬉しいです」
「マーヤ殿……あぁっ!」
少し油断したのか、今まで聞いたことのない声がランスさんの口から漏れ出た。
……やだっ……なんだか、イケない心の扉が開いてしまいそうだわ。
◇◇◇◇
ちーーん……
純白なはずのポメラニアンが、私の目には灰色に見える。完全に燃え尽きた感じで、彼はトリミング台に寝そべっていた。魂は半解脱状態……元気になるどころか、ぐったりしている。
「魔力アップ? どこが?」
やっぱり、仮説は間違ってるんじゃない? ドライヤー代わりの風魔法の風量は、前回よりもアップしたような気はするけど……詳しいことはわからないや。
「ランスさ〜〜ん? お〜〜い!」
「……」
動く気配のない彼の上に大判のタオルをそっと掛けてからトリミングルームを出て、隣の部屋で優雅にお茶を飲み待っていたアンナに声を掛けた。
「お待たせ」
「あら、終わったみたいね」
「とりあえずは、ね。ランスさん、大丈夫かしら?」
「そうね……あ! 前みたいに『女神の祝福』を贈れば、目覚めるんじゃない?」
「あぁ……なるほど」
アンナの言葉で、もう一度部屋に戻り、私はタオルでランスさんを包んでそっと抱き上げた。そして、彼の頬にそっと口付けをする。
ちゅっ! ポンッ!
瞬間、犬型から人型に戻った……はず。たぶん。今、私は目を瞑っているので分からない。だが、ランスさんが覚醒した気配はなんとなく感じる。
ガタン! ガタガタッ!
「マ、マーヤ殿、暫し、待たれよ!」
「は〜〜い」
さて……なんて謝ろう? わざとではないが、結果的にランスさんを辱めてしまったわけだし……。
彼が洋服を着込む音を聞きながら、そんなことを腕組みして考えていたら、ぐいっと急に両腕を解かれた。
思わず目を開けると、眼前の至近距離にランスさんの顔! 困ったような、少し怒ったような……そして、またしても真っ赤。純白の耳も、うっすらピンク色に染まっている。
きゅん!
……あれ? なんか今、変な音が聞こえたような……ま、いっか。
「マーヤ殿! むやみに異性の頬へ口付けするのは如何なものか! 勘違いする者が出たらどうするのだ⁉︎」
「勘違い? え? 何の?」
「あっ、うっ、それは、その……」
バタンッ!
「はい、はい! ではでは確認致しましょう!」
しどろもどろなランスさんを尻目に、部屋にズカズカと入ってきたアンナが水晶球を差し出してきた。
ピカーーーーーーッ‼︎‼︎
ランスさんが手を翳すと、先程のアンナの時よりも、水晶球がさらに強い閃光を放った。
「ほら、やっぱり! いい? マーヤ、これは凄い発見よ! これは、騎士団全員の魔力底上げも……」
「だ、駄目だ!」
「ランスさん?」
強い口調で、彼がアンナの言葉を遮った。
「何よ、お兄様……」
「お前は言ってる意味が分かってるのか⁉︎ 彼女の目に、男共の裸体を晒すんだぞ⁉︎」
………………
あぁ、なるほど。私の頭の中では、小型犬の成犬達が思い浮かぶが、ランスさんには全裸の野郎共が私の前に並んでるように見えるんだ。
……なかなか破壊力のある絵面だな、おい。
「そ……それに……獣戌族が、あの姿を他者に見せるのは……し、初夜の儀式の時だけだーーっ‼︎」
………………
「は?」
えっと……つまり、それは……あぁ、だからランスさんはあれだけ思い悩んでいたのか!
そういうことは、前もってちゃんと教えておいて頂かないと困るんですけどーー⁉︎
心の中で絶叫する私の方を振り向き、アンナがニッコリと微笑んだ。
「驚かせてごめんね。でも、いいじゃない。私、マーヤだったら、全然構わないもの!」
「同性のお前は、それで良くても……」
「そ、そうよ、アンナ。私は人族だから、その辺りは全く関係ないけど、ランスさんにとっては一大事じゃない!」
「ま、全く関係ない? そんな……」
あら? 私、何か変なこと言ったかしら?
ランスさんの耳と尻尾が悲しげにしょげている。
「ありのままの姿ってことは、自らの魔法防御を解くってこと……自分の心を相手に曝け出す行為なのよ」
「魔法防御?」
「えぇ。私達のように耳がいい種族では、相手の心音が丸聞こえ……相手が焦ってるか、落ち着いてるか……心が手に取るように分かってしまうの。成犬の通過儀礼で人型に変化することで、自分を保護し、周りにそれが伝わらないようにするのよ。で、生涯を共にする大切な相手には、それをオープンにする」
「へぇ、なるほど……って、あれ? つまり……魔法が使えない私の心の声は……だだ漏れ、丸裸だったってこと⁉︎ やだっ、恥ずかしい!」
ボッ!
自分の顔が熱い! 一気に赤くなったのが、見なくても分かる。……あれ? 今まで、変なこととか、考えたりしてなかったかな?
急に不安になってくる。
「大丈夫よ。マーヤは表裏なくて、素直だからね」
「あぁ、悲しいくらいにな……」
なぜか、残念そうにランスさんが呟く。
「ごめんなさい。知らなかったとはいえ、そんなことをさせていたなんて……あの、そういえば……ランスさんに恋人さんとか、婚約者さんとかは……」
がしっ!
言葉の途中で、いきなりランスさんが私の両手を握り締め、見つめてきた。ち、近いっ!
「そ、そのような者はおりません! マーヤ殿! わ、私は貴女のことが……」
カランコロン! パリィーーンッ!
その時、入り口のドアベルと同時に、小さくガラスが割れるような音が店内に鳴り響く!
「え? 何の音?」
「建物に掛けておいた防音魔法が解かれた音よ」
「あっ! ヨルム⁉︎」
コツッ……
名前を呼ばれた入り口の彼が、ペコリと礼儀正しく頭を下げた。
「アンナ様、団長。次の公務へと向かうお時間です。そろそろ移動しないと……」
そう言いながら、副団長ヨルムさんが手に持った金色の懐中時計をパカッと開け、こちらに向けてきた。
時計の長針と短針がてっぺんで重なっている。もう、そんな時間か……。
「ちょ、ちょっと待てヨルム! 私はまだ、マーヤ殿に話が……」
「いえ、随分と時間が押しておりますので、お話ならまた後日にお願いします。では、失礼しますね、マーヤさん」
「じゃあまたね、マーヤ! お茶、ご馳走様でしたーー!」
「え、あ、えぇ、またね」
「あぁぁぁぁーーーーーーーーっ‼︎」
バタバタバタバタバタ……
嵐のように去っていく皆に手を振り、馬車の後ろ姿をただぼんやりと見送った。
「そういえばランスさん、私に何て言おうとしてたのかしら? う〜ん……ま、いっか。さて、お昼でも食べよっと」
そう言って私は、ティーセットを片付けつつ、部屋の電気をパチッと消し、奥の休憩室へと引っ込んだのだった。
最後までお読み頂きありがとうございました。
センスの悪い魔王様は過去の短編作に登場してますので、もしお暇だったらそちらもどうぞ。
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