1.職業違いの異世界召喚
「ようこそ、おいでくださいました! 貴女様が我が獣戌国家パルキャニス、救国のテイマー様なのですね!」
厳かな教会聖堂のような場所に、歓喜の声が響き渡る。
振り向くと、白銀の神職服を身に纏った女性が跪いていた。
胸前で両手を握りしめ、まるで祈りを捧げるような格好。
聖女と呼ぶに相応しい姿の女性だが……私の目は、彼女の蜂蜜色な三角の耳と、後ろで揺れるふさふさの尻尾に釘付けとなっていた。
……え? ここは……どこ?
美人コスプレイヤーなお姉さん?
あれ? 私、さっきまで職場にいたんじゃ……?
目に映る周囲の光景に、自分の理解が追いつかない。
不安のあまり、腕に抱えていたシャンプーとトリートメントのボトルを思わずギュッと抱き締めた。
「あのぅ……テイマー様?」
呆然としている私の顔をそっと下から覗き込むように、彼女がもう一度呼びかけてきた。
「ふえっ? ち、違います! テイマーって……異世界ファンタジーとかの、あの獣調教師? 私、テイマーじゃありません! トリマーです!」
「えっ?」
私の言葉に驚いたのか、聖女様の大きな瞳はまん丸になり、尻尾はピンッと逆立った。
「だ・か・ら、トリマー! 犬の美容師さんなんですーーっ!」
私の声が空間内に反響したのだった。
◇◇◇◇
プルルルル……ピッ!
「おはようございます、医師! いつもお世話になっておりますぅ! えぇ、そうです。今日、例の保護した子達を……はい! はい! はい! では、お待ちしておりまぁす!」
受付から、電話対応中な店長の猫撫で声が響いてきて、思わず私の口から溜息が漏れ出た。
その吐き出された二酸化炭素が荒れた口角をさっと撫でつけ、傷口がピリッと痛みを発信する。
「痛っ……」
口角だけじゃない。
今日は左目も腫れていて、ズキズキと痛む。
ふっと鏡に映った顔……内出血を隠す為に着けた眼帯がかえって悪目立ちしていた。
「これが……今の私……なんて顔してるんだか……」
◇
ペットサロン『カーテンコール』、店休日は月曜日。
今日は、その休みの日のはず……なのに、いつも通り職場に7時半出勤している。
他のスタッフ達はお休み。
今、店内にいる人間は、店長の彼女と私の二人だけ。
電話の向こう側は店長が今、狙っている年下イケメン獣医さん。
お相手にいい顔をしたいのか、ほいほい仕事を安請け合いしてはキャパオーバー。
その仕事を当然のように、店長は一番下っ端の私に丸投げしてくるのだ。
……別に、休日出勤の仕事内容どうこうの文句じゃない。
私にだけ押し付けられる、この不公平感が納得いかないのだ。
トリマーのお仕事は好き! 大好き!
でも、働き口は限られている。
安月給だが、ここをクビになったら次のアテがない。
節約して、貯金して、開業資金貯めて……そんなのこの先いったい何十年かかるか、気の遠くなるような話。
だから、私は大人しいフリをして、店長の言いなりになるしかないのだ。
子供の頃からの夢をやっと叶えたはずだったのに……。
ガチャ!
顔面をフルメイクで武装し終えた店長がドアから顔を覗かせ、動物と接するに不向きな化粧品特有の匂いが室内に流れ込んできた。
「もうすぐ到着するから、それまでに完璧に準備しときなさいよ! それにしても……ははっ! 今日もまたずいぶん酷い顔ね。あんた、また殴られたの? 馬鹿ね。いい加減、そんな男別れなさいよ」
「あははは……」
「……ふん」
バンッ!
私が笑って濁したのが気に入らなかったのか、ムッとした顔で彼女は強めにドアを閉め、出て行った。
『だいたい誰のせいでこうなったと思ってるんです?』
その言葉が喉まで出かかって、飲み込んだ。
サクッと嫌味を返せたら、どんなに気分は楽だろう?
……いや、誰のせい? ……自分のせい……かな?
無意識のうちに右手が頬を摩った。
左目ほどではないが、やや腫れて少しだけ熱を持ってるのを掌が感じる。
昨晩、『また休日出勤だ』と告げたら、同棲している彼氏に浮気を疑われて、何発も何発も殴られた。
別れられるもんなら、とっくに別れてるわ、あんなDV男。
でも……もしも別れ話をしようものなら……きっと……私は殺されるだろう。
昔はあんなに優しかったのに……私の就職が決まり、仕事を優先するようになってから、彼の態度は豹変した。
………………
「はぁ……止め止め!」
今ぐるぐる考えていても、ただ気持ちが暗くなるだけだ。
それよりも、目の前のことを一つ一つしっかりこなそう。
◇
ウチのサロンは、ボランティア活動の一環で保護犬のケアを請け負っている。
動物病院で健康チェックが終わると、お店に保護された子達が送り届けられるので、全身を綺麗に整える。
そして、里親を探す活動をしてる方へと引き渡すのだ。
さっきの電話は『今から向かいます』という動物病院からの業務連絡。
「ワンちゃん達が到着するまでに、準備しておかないと……」
カルテを準備して、防水シューズを履き、シザーケースを腰に巻く。
エプロンを頭から被り、道具のチェック、水温管理、シャンプー類の補充……etc。
がこんっ! バシャッ!
「わっ! やっちゃった!」
誰かが片付け忘れた足元のバケツに蹴つまずき、中に残った水を床に撒き散らしてしまった!
「あぁ、モップ持ってこなきゃ……先にこれを片してから……」
つるんっ!
「……へ?」
それは一瞬だった。
シャンプーとトリートメントのボトルを胸で抱えたまま、私は濡れた床で滑って、勢いよくすっ転んだのだった。




