第8話 悪い子は更生させましょう
『弱いね、君』
『………げほっ………ごほっ………』
泥に塗れて、血反吐を吐きながら、少年はそれでも立ち上がる。
既にふらついて覚束ない膝を拳で叩いて無理矢理力を入れ、霞む視界で目の前の相手を睨みつける。
いない。
『私はにらめっこなんてしてないよ』
『…っ!!』
つまらなそうな声が耳元で聞こえた瞬間、鞘で容赦無く横っ面を殴打され、少年はまたも無様に転がった。
きっと身体が重いのは、乾く前から次から次へと張り付く泥のせいだけではないだろう。
『…はぁ』
鞘についた血を眺めると、少女は小さく溜息をつく。
何で私が。幾度そう思ったことだろう。雑魚を嬲る趣味など、持ってやいないというのに。一回ぶっ飛ばしたくらいでやり返してくるとか、あの上司は本当に大人気ないと思う。
『…ねえ、今日はもうやめにしない?これ以上やったところで―――』
顔を上げた途端、少女の肩が揺れた。意識を飛ばすつもりで殴ったはずの少年が、既に立ち上がっている。
『…………………どうして』
少女の口から、弱々しく声が漏れる。その言葉がどういう意味で吐き出されたのか、恐らくは少女自身も理解できていない。
何度叩きのめしただろう。
何度打ちのめしただろう。
なのに、少年は立っている。
『っ…』
腕に確かに残る痺れに気付き、少女は微かに目を瞠った。
『………根性だけは、既に一人前かな』
『…………………………』
『…何だ。褒めてあげたのに』
少女の声に何も応えることなく、少年がふらふらと構えをとる。きっと既に、少年の耳には何も届いていない。今の彼は、ただの意地だけで動いている生ける屍だ。
これ以上は命に関わる。それを充分に理解した上で、少女は鞘を構えた。
『…でも、根性だけがあったところで何の意味も無い』
『………―――』
『…力が伴わなければ何の意味も無い』
『だから、私が意味を与えてあげる』
直後、一足で少年の懐に潜りこんだ少女が、少年の腹に鞘の柄を抉りこんだ。
既に胃液すら出しきったせいで、声にもならない掠れた不協和音だけを吐き出しながら、少年が膝から崩れ落ちる。
その小さな身体を、少女は優しく抱きとめた。
『…強くなろう、じん』
『………………』
『………くん』
虚ろに消え行く意識の中で、少年は背中を何度も撫でる温もりだけを感じていた。
■
雪村サヤは、特務機関のエージェントである。
そして同時に、現役の女子高生でもある。放課後には友達と買い食いをするし、部活に打ち込み、汗水を流し、テスト前には血眼になって一夜漬けに勤しむ。
「(…おなかすいた)」
…といったイベントとは、本人の性格上、あまり縁の無いことではあるものの、そんなことが許される普通の女子高生なのだ。加えて、幸い、彼女の所属するクラスはいじめとは無縁なので、比較的平和に、サヤは学園生活を謳歌している。
今はちょうど、お昼時。本日の学生らしい出来事といえば、お弁当を忘れてお昼ご飯を食いっぱぐれたことくらいだろうか。ああ、何て学生らしい。コンビニに行こうにも、財布を忘れた。電子マネーを使おうにも、『ぺ◯ぺイで』の一言のハードルが高い。セルフレジは、もし何かやらかした時の、後ろで待ってるお客様の視線が怖すぎてまぢ無理。もし、お腹が鳴ったら、筋力で無理矢理抑えこもう。無駄の無い無駄な能力の活用である。
『ねえねえ、この間の事件知ってる?』
『あー何だっけ…、元気の塊みたいだった同僚が突然の失踪…だっけ?』
『何か分からないけど怖くない?』
「…………」
『ああ雪村さん、今日もお美しいぜ……』
『おい、声かけてこいよ』
『いや、無理だろ…』
窓際の席に座り、うららかな陽の光を浴びながら、優雅に一息をつくその姿。まるで中世の絵画の様なその光景に、生徒達は誰もが皆、心を奪われ、彼女が過ごす美しい世界を壊すことをよしとせず、声をかけることを躊躇してしまう。
つまり、断じてぼっ…ではない。裏の世界に生きる者として弁えるべき一線というものがあるし一般人を裏の事情に下手に関わらせて万が一危険に巻き込むことを避けんが為の当然の措置であり何が言いたいかと言うと断じて決してぼっ……ではない。ちょっぴり、人付き合いが苦手なだけ。おトイレでランチなんてしたことはない。
『…ねえ見た?校門にいた子』
『見た見た!髪の毛ぴょこぴょこしてて可愛かったよね〜』
『いや、そうじゃないの。あの子、何か絡まれてるみたいで…』
『ええ!?』
「……………ん?」
と、ここで、何やらみょ〜に気になる話が耳に入り、サヤはゆっくりと目を開けた。
長い睫毛に縁取られた麗しい瞳に魅入られて、幼気な男子諸君が人知れず姿勢を正す。一切、それに目をくれることも無く、サヤは立ち上がると、徐ろに窓の外に目を向けた。
「………んん??」
見れば、全校生徒を毎日見守ってくださっている校門に、何やら謎の人集り。
どんなに品行方正な学園だろうと、残念ながら、いるところにはいるであろう人種の方々が、虫の様にわさわさと集まって何事であろうか。祭りか、はたまた抗争か。サヤ的には後者の方がご飯が進む。無いけど。
『――――――』
「……………ん〜???」
首を捻りながら、窓を開けると、サヤはじっ〜と目を凝らす。
常人よりも遥かに優れた彼女の視力は、数百メートル先の喫茶店の今日のオススメを読み取ってみせる代物である。弟子と食べ歩きする際に、大変重宝している。
そんな彼女の目の先で、厳ついおにーさま達の間からぴょこぴょこと、小さな頭が僅かに覗いているではないか。
「……あのきゅーとでぷりちーな可愛らしいアホ毛は……」
■
少年は、テレビの中でしか見たことが無いような、立派な頭をしたごつい殿方に囲まれて、もれなく途方に暮れていた。どうしてこうなってしまったのか。後悔しても、時既に遅し。
「あーいてー。いてーよー。こりゃあ、骨が折れちまったかもしれねーなー?」
「はあ」
「だからよぉー、慰謝料よこせって言ってんのよ。分かるか?ぼうず」
「俺、お金持ってないよ」
「なら、親御さんの財布からでも抜いてこいよ」
「俺、親いないんだ。殺されちゃった」
「あ。………それは………うん……ごめんな…………ごめん……」
彼はただ、師匠が忘れたお弁当を届けに、彼女が通う学園へとやってきただけなのに。少し顔を出して、ぽんっと渡してはい終わり。
だったはずなのに。
己もまた、学校を抜け出す悪い子ちゃんになってしまったおかげで、無意識に急いでいたことが災いしたのか
『ぶげぇっ!!!!!』
『て、てっちゃーーん!!??』
『あ、すみません』
右見て左見て、もう一回右見て。幼き日に教え込まれた左右の安全確認を怠ってしまったジンは、ガラの悪い年上のお兄様とぶつかり、師匠のシゴキによるくそ強体幹で、ナナハンをかますが如く派手にぶっ飛ばしてしまったのだ。
おかげ様で、他校の鉄砲玉と勘違いされたジンは、この通り、カツアゲの憂き目にあうことに。諸行無常。
「ぶつかったのは、本当にごめんなさい。この通り、謝ります。すみませんでした」
とはいえ、悪いのはどちらであるかなど、火を見るよりも明らか。地面を無様に転げ回ったおかげで、全身余すこと無く傷だらけの砂だらけな有様の不良に、ジンは年不相応の丁寧さで頭を下げる。某常磐氏の教育の賜物。他約2名の女性陣であったら、間違い無くこうはいかなかっただろう。道を踏み外して、彼らの仲間になっていた可能性すらある。
「…お、お前、妙に肝座ってやがんな…?」
「そうかな?ありがとう!」
「褒めてねーよ」
囲まれたこの状況で凄まれているというに、まるで意に介さない少年の態度(輝く笑顔のお礼付き)に、今更ながら不良達は混乱を隠せない。
「…ナメてんじゃねーぞクソガキがっ!!」
「え」
だが、腐っても不良。こんなガキにナメられたままでは、ヤンキーの名が廃る。
脅しも兼ねて、一発痛い目に遭わせて、大人の怖さというものを教えてやろう。残念な頭で素晴らしくシャバい発想を捻り出した別の短気な不良が、不意打ち気味に少年に向かって拳を繰り出した。今ここに、彼の名は地に堕ちた。
喧嘩慣れした…つまりは人を傷つけることに躊躇の無い拳。少年の小さな身体など、簡単に吹き飛んで、痛々しく地面を転がることだろう。
己に迫る拳を、特に庇う様子も避ける様子も見せずにじっと見つめていた少年の顔面に、不良の拳が無慈悲に突き刺さる。遠くから、野次馬の小さな悲鳴が上がった。
「…………………え?」
だが、声を上げたのは、殴られた少年ではなく、殴りかかったはずの不良。それも、どこか戸惑いがちに。
拳の奥の静かな瞳に見つめられ、シャバ憎が慌てた様に一歩、距離を取る。
「どうした?」
「……あ、いや……」
「何だよお前、フリで止めたのか?」
加害者と被害者のあべこべな態度。明らかに異常な光景。そりゃあ、仲間達も声をかけずにはいられない。
今、少年の顔面には、確かに拳が入った。近くで見ていた不良達の目は、しかとそれを目の当たりにしている。
だというのに、少年は一歩もその場を動いていないし、鼻血の一つも出していない。何なら、そもそもの話、不良達の耳には、拳の打撃音すら聞こえていなかったのだ。
「……な、何だ、今の感触……?」
「…………」
己の拳を確かめる様に撫でていた不良が、再度、戸惑いの声を上げる。
何故、殴ったはずの彼がそのような反応をしているのか、不良達に知る由も無い。
「…てめぇ、何しやがった!!」
「何って……、衝撃を殺しただけだけど……」
「…は?」
聞かれたから答えました。そんな軽い反応を、ジンは返す。事実、ジンがとった行動は極めて単純なものだった。己に繰り出された拳に対して、自ら顔を近づけて迎え撃ち、拳の先が頬に触れると同時に今度は引き戻し、更に、首を曲げることで衝撃を逃がした。それだけである。
故に、不良の拳には真綿を殴る程度の感触しか伝わっていないし、ジンの頬は変わらず綺麗で柔らかそうなまま。
殴った本人が理解できていないのだ。それなり以上のステゴロの心得がない限りは、今の動作を見切れるはずもない。
「えと…、一発はもらったからお相子ってことで、もういいかな?」
「………っ」
殴られても、至ってけろり。
もしや、自分達は喧嘩を売る相手を間違えたのではないだろうか。少年から底知れない何かを今更感じ取った不良達の足が、己が意に反して後ずさる。
玉砕か、はたまたプライドか。
彼らの間に緊張した空気が奔った、その時である。
『…うーちーのー子ーをーいーじーめーるーのーはーどーこーのー』
「うつけじゃあっ!!!!!!」
「お゙ろ゙げぶぼぁ゙っ゙!!!!」
「て、てっちゃあーーーーーん!!!!????」
物凄い勢いで何かが近づいてきたと思った途端、突如、場に響き渡るとてつもない轟音。
仲間達に『てっちゃん』と呼ばれていた、砂だらけの傷だらけだった不良が、いきなり乱入してきた影が繰り出した捻りの入ったドロップキックによって、それはそれは派手に吹っ飛び、今後が心配になる軌道でバウンドしながら校門に激突して、暫しの痙攣の後、静かに動かなくなった。
「な、何もんだこらぁ!!!」
「南校の回しもんかワレ!!」
現実離れした人間ピンボール。遅れて、事に気づいた仲間達が、乱入者に慌てた様に睨みを効かせ始める。ここで即座に報復といかないところが、彼らが長い間、舎弟に甘んじている理由だろう。
「…………………ああん?」
「「……ひっ!?」」
「…どっっからどう見ても清純可憐なかわい子ちゃんじゃろうがいてこますぞワレ…」
影は臆すること無く、ゆらりと立ち上がると、竹箒片手に勇猛果敢に睨み返す。自分達以上の凄みを秘めたメンチに貫かれ、堪らず、不良達の身体が情けなく縮こまった。まさに、ヘビに睨まれたカエルである。
「な、何だぁこいつ…」
「こ、この凄み。間違いなく堅気じゃねえ……っ」
「……ってか、お、女ぁ!?」
「……………………このクズ共が………………」
「「「ぴっ」」」
目を光らせながら、ごきごきと剣呑に指を鳴らし、一歩一歩、ゆっくりと不良達に近づいていく乱入者。地の底から響く様なお声。隠す気のこれっぽっちも無い、『只今から、貴方がたを滅させていただきます』という、丸出しの殺気に、ついに不良達は尻餅をついてしまう。いと哀れ。
「…私の目の前で私のジンくんに手を出すとは……。貴様らのその時代遅れのリーゼント、後ろ半分だけ毟り取って旋毛にたんぽぽでも生けてくれる。せめて来世は健やかに咲き誇れることを綿毛にでも願うんだなっ……!!」
「あ、あひぃ……」
「た、た、た、助け、たす、たすぽぽ……っ」
「怯むんじゃあねぇっ!!」
「「っ!」」
だが、それでも不良。されど不良。女にナメられたとあっては、ヤンキーどころかモンキー。
既に栄光は地の底まで堕ちていることには目を瞑り、純情だったあの日の勇気を奮い立たせ、不良達は顔を見合わせ頷き合うと、脚を震わせながら、立ち上がった。
「…相手は所詮ひ、ひとり……っ!やるぞオラァ!」
もう、名声なんていらない。彼らを突き動かすのは、ただの漢としての、『意地』。
「てっちゃんの仇……取ってやらァ!」
「俺達はもう…負けられないんだよぉ!!」
「母ちゃん……俺さ、ちゃんと学校に行くよ……だから頼む。…今だけでいい…力を…貸してくれ…っ!!!」
負けられない戦いが、ここにあるのだ。
「……くだらん。塵に等しい雑魚どもが。はらわたを食らい尽くす価値もない、全員まとめて葬り去ってくれる。生まれたことを後悔し、つまらん幻想を抱いたまま、ここで惨めに死ねっ……!!!」
「あ、師匠。お弁当届けにきたよ」
「わーい。ありがとおジンくん♡」
くるっ。
溢れ出ていた殺気を空の彼方に霧散させて、少女は可愛らしく少年に抱き着いた。
ご機嫌にほっぺたを擦り寄せるその姿。そこに、先程までの大魔王は、どこにも存在しない。
「「「………………」」」
「…ジンくんジンくん、一緒に食べよー?あーんしてあーん♡」
「ええ?俺も学校戻らなきゃいけないんだけど……」
『…大丈夫大丈夫。ジンくんの足なら5分あれば事足りるから』
『それはそうだけどさ……師匠、友達いないの?』
『いいいいいいいるいるいるし失礼な。ジンくん失礼な!』
対峙する自分達を無視して、あまつさえほわほわお花を咲かせ始め、終いにゃそのまま立ち去ってしまったお二人様。
拳を振り下ろす先を見失った不良達が、どうしたものかと、再度、顔を見合わせ、そしてすぐさま、冷たい汗をどっと噴き出した。
「「「……………………」」」
何が何やら全く分からないが、とりあえず自分達は…
「………た、助かった………?」
「……何なんだよあいつら……」
「お、俺……不良やめようかな……」
「「「はぁ………」」」
この日、サヤが通う学園は、ほんの少しだけ平和になったという。
これもまた、日常を守る為の使命の一つ……なのだろうか?
…判断は、賢い皆様方にお任せしよう。
▶サヤ
クラスメイトの目の前で二階から飛び降りた。
しかし、この一件以降、少年に対する態度を目の当たりにしたクラスメイトの意識が変わって、少しだけ仲良くなった…らしい?
▶てっちゃん
目が覚めたら皆帰ってた。




