第6話 真面目に戦いましょう
『………ここ、は』
少年が次に目を覚ましたのは、薬品の匂いが鼻につく、真白い病室だった。
『(………ゆめ……、?)』
『………………』
『………っ!!』
朧気な頭が徐々に覚醒していくにつれ、同じく悪夢も蘇る。
現実とは思えない、炎に包まれた故郷で咆哮する巨大な影狼。
己を守るために命を賭したかけがえの無い家族が、無残に引き裂かれる瞬間。
ただ泣き叫ぶことしか出来なかった自分の前に現れた――――
『目が覚めましたか?』
『…………っ』
この声。
どこまでも澄ましたこの声は。
あの時、自分の家族の命を、まるで軽いもののように吐き捨てたこの声は――――!!
瞬く間に、頭に熱が上る。一度殴ってやらねば、腹の虫が収まらなかった。
少年が痛む身体を無理矢理動かして、声の主を仰ぐ。
『………おま…………っ……え、………』
そして、止まる。
あれ程までに憎たらしかった顔面は既に、これ以上手を加えるまでもなく、無残に腫れ上がっていた。
頬に貼られたガーゼが、素晴らしく痛々しい。
そして蘇る、少女の暴挙。
…殴ってやろうとは考えていた。
考えていたが、多分、それでもここまではしないと思った。
『何でしょうか』
『……、いや、あの………』
『……………………………………だいじょうぶ?』
『お気遣いどうも』
少年が、拳を振り下ろす先を見失った瞬間であった。
■
その日は、ジンの初めての実戦であった。
「…気配が高まってきたね」
「…!」
人々が寝静まった音も無い空間の中、静かに吐き出されたサヤの呟き。それをしかと聞き届けたジンが、忙しなく行っていた準備運動を中断して、彼女に向き直る。
「…しかし、よりにもよって、だね」
何故、怪異は現れるのか。
何故、人を襲うのか。
そもそも何処からやって来るのか。
その目的は何なのか。
何百年経とうとも、未だにはっきりとしたことは分かっていないという。
しかし、過去の先人達が、怪異の出現時には土地に流れる神聖なる気、古来より龍脈と呼ばれるものの乱れが現れる兆候が少なからず存在することを突き止め、長い試行錯誤と科学の発展の末、漸くある程度の予測だけはつけられる様になっていた。
「…まさかこんなところでおいたするだなんて」
吐き捨てる様にして、サヤが口を開く。
今、二人がいるそこは、上弦町で最も高い場所に位置する、町を見下ろすことの出来る神社だった。
その鳥居に背を預け、目を閉じていたサヤは、緩々と身を起こすと、胸に抱いていた刀を腰に差し直す。
「…ジンくん」
「んー?」
「…拗ねてる?」
「………」
師の問いに、弟子は何も言わなかった。けれど、年相応で素直な心は、少年の感情をありありと面に浮かべてしまう。ばつの悪そうな顔で頭を掻くと、ジンは己の武装…腕に装着した蒼色の手甲を撫でる。
「だって、仮にも師匠の弟子なのに、剣を振るわないなんて……」
「仮ではなく紛うことなく弟子だけど……。…師匠は何度も言ってる。君はまだ剣を振り回せる程の身体が出来上がっていないの。今、剣を振っても、振り回されるのは君自身」
「師匠だって細いのに」
「…師匠は特別。何故ならば、可愛いから」
「ぶーぶー」
いつになく子供の様に…間違い無く子供ではあるのだが、口を尖らせる弟子を、師匠は和やかに見つめていた。
けれど分かっていた。その振る舞いは虚勢。本当の彼は今、身体の奥から沸き起こる恐怖と必死に戦っている。
「…ジンくんジンくん」
「っ…え?な、何…?」
ほら、やっぱり。サヤがいつも通りに声をかければ、返って来るのは、いつもの溌剌さが見る影も無い固い声。誰が見ても分かりやすく、ジンは緊張していた。
「おいで」
かもかも。師匠が徐ろに手招きをすれば、素直な弟子は何の疑いもせずに寄ってくる。信用されていることが大変嬉しい師匠であった。
「…はぐー」
「ぐはっ」
ということで。その純真さにときめくハートを押し隠し、サヤは大きく手を広げると、弟子の小さな頭を豊かな胸の中に招き入れた。柔らかな感触に両頬を挟まれた弟子が、苦しそうに呻くと、顔を上げてこちらを見つめてくる。
「ひひょー?」
「…大丈夫だよ、ジンくん。君の努力は、他でもない師匠が知ってるから」
「………むぐ」
「…背中は私が守るから。ジンくんは前だけを見て」
「………ん」
ジンの頭の上に乗せられた顎から、柔らかい声が聞こえてくる。背中を撫でる掌と、いつになく優しい声色に安らいだのか、漸くジンの肩から力が抜けた。腕の中の感触からそれを感じ取ったサヤが、優しく身体を離す。
膝を曲げて覗き込んだ弟子の顔にはもう、揺るぎは無い。
「師匠、俺、頑張る…!」
「…ふふ、うん。かっこいいよ、男の子」
ガッツポーズを決めた弟子の頭を、最後に師匠が優しく一撫でしたその時。
『反応有り。二人共、来ます』
ここまで一切の口を挟まなかった常磐の声が、無線上で二人の鼓膜を揺らす。
サヤがあくまで自然体のまま緩々と振り返り、ジンが慌てて戦闘態勢を取った先で、空間が歪に歪み始め、そして、世界の色が反転した。怪異による世界の侵蝕が始まった合図である。
『―――――――ッ………』
二人の目の前の虚空に歪な亀裂が奔り、それをこじ開ける様にして、鋭い爪を備えた醜悪な手が現れる。
耳を塞ぎたくなるような不協和音を奏でながら、亀裂の中から這い出てきたのは
「…小鬼型か。数だけは多いから面倒だね」
「…ごくり」
靄に包まれた中に覗く緑色の表皮。小柄な体躯に、真紅に染まる凶悪な瞳。人間には存在しない鋭い牙と歪な角を生やしたその様相は、まるで物語に登場するゴブリンを思わせるものであった。
更に特筆すべきは、数。一匹、一匹、また一匹と、次々と亀裂から這い出てくる小鬼は、瞬く間に二人を包囲出来る程の量にまで増えていた。
開幕以前から一方的に不利な状況。思わず、ジンの頬に冷たい汗が一筋、滴り落ちる。
「っ」
そんな少年の意思を暗闇から引き上げたのは、鞘が石畳に突き立つ力強い音。
ジンが肩を跳ねさせて横を向けば、凛と敵を迎え撃つ師が、穏やかな顔で弟子を見つめていた。
「…気を付けてね、ジンくん。もし捕まったら…」
「…捕まったら?」
「苗床にされちゃうゾ☆」
「何の!?怖い!?」
言っている事は穏やかではなかった。
『嘘を教えないでください、雪村さん』
「嘘なの!?」
『ええ。もし捕まっても、恐らくそのまま寄ってたかって嬲り殺しにされて目出度く挽肉になるだけです』
「それもそれで怖い!!??」
こっちも。
『そして、君がこの先、辛く仄暗い道を往く事が出来るのか。これが最初で最後の試験です。頑張って生き残ってください』
「………!!」
それは叱咤か、激励か。どちらにせよ、この死線を乗り越えられない人間に先は無い。
博士が作り出し、師匠手ずから与えられた近接格闘用の武装・『蒼威』を構え直したジンが、静かに小鬼と対峙する。
「……………ふぅーーー……っ」
『………!!』
「…………ふふ」
ジンが静かに息を吐けば、先程まで揺らいでいた瞳に静かな焔が宿り、見届けたサヤの唇が満足そうに弧を描く。
己とそう変わらない体格のくせに、身体から醸し出すオーラは比べ物にならないことに気付いた小鬼達。禍々しい瞳が、ここにきて目の前の少年を獲物と見定め、妖しく光を灯した。
「よーい」
と、この場で一人だけいつも通りだったサヤが、徐ろに足元に転がっていた小石を爪先で蹴り上げ、3回程リズム良くリフティングする。
「どん」
そして、気の抜けた声と共に、一番近くにいた小鬼に向かって勢いよく蹴り出した。
ただでさえ醜い小鬼の顔が、思いっっきり顔面にめり込んだ小石でそれはそれは醜く歪み、後ろにいた仲間達を派手に巻き込んで吹き飛んでいく。
『『『――――――ッ!!!!!』』』
それが、開戦の合図。
「…あーあ。ジンくん怒らせちゃった。いーけないんだ」
「100パー師匠のせいだよね!?」
奇襲に憤り、背後から一斉に飛び掛かってくる小鬼の群れ。
サヤは振り向くこと無く、バック宙の要領で軽やかに空に舞い上がると襲撃を躱し、対してジンはスライディングで小鬼達の下を滑り抜けることで、危なっかしく攻撃を躱す。
「斬」
小鬼達の背後に着地したサヤはすかさず抜刀。纏めて3 体の小鬼を腰から真っ二つに斬り裂き、返す刀で2体を葬った。一足遅れる形となったジンも、己の近くにいた小鬼の横っ面を勢い良く殴りつける。顔面を砕かれる形となった小鬼が、力尽きて霧の様に霧散した。
「…斬り捨て御免」
『〜〜〜〜ッ!!!!』
「…おろ?」
だが、数体蹴散らしたところで小鬼はまだまだ健在だ。
仲間をやられたことで感情的になったのか、小鬼達がけたたましい鳴き声をあげると、より激しく、より乱暴に、鋭い爪を振り回してくる。
「…ひょいっと」
「わっ、ちょっ、おとと…!?」
「…ジンくん。もっとしっかり避けないと。ほら、あんよが上手、あんよが上手」
「わたたたた……っ!!?」
勿論、まともに食らえばただでは済まない。
必要最小限の動きで敵の攻撃を軽やかに躱すサヤに対して、ジンは一つ一つの動作が全く持って騒がしい。まるで地雷原でご機嫌にタップダンスを舞うが如くな弟子をサヤはにまにまと眺め、その背中に迫る致命傷だけは確実に弾きつつ、更に3体の小鬼を袈裟斬りにした。
「…ん。……へい、ジンくん、パース」
続けて背後から迫る凶刃を視線をくれることもせず刃で受け止めると、サヤは半身をずらして勢いを前方へと流す。そして、バランスを崩して眼前に現れた背中をすかさず後ろ回し蹴りで吹き飛ばした。可愛い弟子の元へと、その背中を狙っていた個体諸共なぎ倒しながら、小鬼が飛んでいく。
「へ!?」
目の前にいた小鬼を2体まとめて掌底で吹き飛ばした弟子が声に反応して振り向くと、ぎょっと目を剥いた。醜い顔面が物凄い勢いで己へと迫ってきているではないか。
「ひええ!?」
獰猛な牙が生え揃った醜悪な口が眼前に広がり、堪らずジンの口から漏れる、情けないお声。
「…しまった。師匠としたことが…。このままではジンくんの大切なファーストキッスが小鬼に奪われてしまう……。ゴブ攻めジン受けの異種◯とか……発禁ものやで」
『真面目にやってください』
「うわああぁ!!」
本作品が大変なことになる前に、ジンは素早く膝で顔面をかち上げてお断りすると、浮き上がった無防備な腹に強烈なラッシュをお見舞いした。もれなく必死である。
またもや吹き飛ばされた小鬼が、サヤの元へととんぼ返りする。とりあえずサヤは目の前に迫る身体にホームラン宣言。すれ違いざまの神速の一閃を見舞い、真っ二つにした。
気の所為でなければ、苦痛に歪む顔の中に微かに悲哀が見え隠れしていた小鬼が、あえなく力尽きる。
「………狙いどーりの斬り捨てごめんちゃい。これぞ師弟の連携技。愛の共同作業。絆アクション、チェインアタック、リンクアーツ。ジンくん、どういう名前にする?漢字でも横文字でもいいけど『愛』か『ラブ』は入れてね」
「どうでもいいよ!ほんっとびっくりした!!」
図らずも(?)後ろからの攻撃は阻止されたとはいえ、いつもながらこの師匠の振る舞いはフリーダムすぎる。
ジンはぷんぷんと頬を膨らませながら頭を下げ、左右から迫っていた小鬼の爪を躱す。
続けて、両手を地面につき、逆立ちになる形で下から右の小鬼の顎を蹴り上げると、すかさず脚を広げて、手を軸に回転。左の小鬼を蹴り飛ばす。更に、その勢いのままに飛び上がり、空中で身を翻すと、蹴り上げた頭に踵をお見舞いした。
「…わお、かっくいー。師匠、きゅんです♡」
「後ろ!」
「うぃーす…」
呑気に弟子を眺めて指でハートマークを作っていたら叱られたので、サヤもまた、背後から近づいていた小鬼に対して振り向くこと無く裏拳を見舞う。気の抜けた声からは想像出来ない重たい衝撃によって顔面を醜く窪ませた小鬼が、大の字になって倒れ伏した。
「…斬り捨てめんご」
「斬ってない!」
侮っていたはずの存在による、息の合った連携によって瞬く間に数を減らしていく同胞達。
ここにきて漸く、圧倒的な力の差が存在することを理解した小鬼達の足が鈍った。
「…このまま終わらせるよ。ついてきて、ジンくん」
「はい!!」
だが、二人に決して油断は無い。容赦もしない。
サヤが集団の真っ只中に飛び込むと、神楽を舞うが如く小鬼をまとめて斬り刻む。全身に奔る激痛に少しでも動きを鈍らせれば、次の瞬間には顔面に拳が叩き込まれている。
異質な月の輝く真夜中に、小鬼達の声なき悲鳴が木霊していた。
▶師匠
実は戦いながら隠し撮りしていたが、後日確認したら、ブレにブレまくってまともに撮れていなかった。
▶『ジンくん無惨〜手折られる無垢な華〜』
サヤが2秒で脳内に作り上げた架空の薄い本。前・後編¥500
尚、想像だけで血反吐を吐いた。




