第5話 部屋のお片付けはきちんと
『…別に庇わなくとも、一発は甘んじて受けましたよ?』
眼前に迫ったその脅威を、男は身動ぎもせずに待ち構えていた。
それが、自らへの罰であると考えていた。
『………』
けれど、己に牙を剥いた、血が滲む程に握りしめられた小さな拳を、横から割り込んだ白い手が優しく包み込んでいた。今も尚、涙を流し続ける少年が必死に振り解こうと足掻いても、手はびくとも動かない。
『…庇ったつもりなんて無い。デリカシーの無い中年一人ぶっ飛ばしたところで、この子が傷つくだけ』
『………』
『だから代わりに私がやる』
『は―――』
直後。
とんでもなく重く、そして鈍い音がしたかと思えば、少年の目の前から男の姿が掻き消え、遥か向こう側の瓦礫で突然爆発が起きた。見間違いでなければ、大人の男性一人くらいの大きさの塊が、物凄い勢いできりもみ回転しながら吹っ飛んで、瓦礫の下敷きとなった気がするのだが、まさか。
『……………』
『すっきり』
『……すっ…げぇ…』
自分とそう変わらない細い腕が今の轟音を作り出したのだと、少年が気付くのにはそう時間はかからなかった。
『……なあっ!あんた、強いんだろ!?』
『…あん?』
心做しか恍惚としている少女に少年が声をかける。即座に頭を叩かれた。
頭を押さえて唖然とする少年を見下ろすのは、さっきまでの温かみが影も形も無い冷たい瞳。
『…年上のおねー様をあんた呼ばわりするとは何というクソガキ。斬り捨ててやろうか』
『あ、ごめんなさい。……じゃなくて!!』
『お願いだよ!お姉さ…ま!!俺を、俺を弟子に……っ!!』
少年が、今度は少女に食って掛かろうとする。
だが、ただでさえ傷だらけの身体。無理矢理に動かした身体に奔る激痛は、小さな身体には到底耐えきれるものではない。
『………ぅぐ………っ』
『あ』
抱えきれない悔しさと口惜しさの中、少年は静かに意識を手放した。
■
「「…うわ」」
その日。サヤとジンは署の奥、元々あまり人の寄り付かない区画の中でも、とりわけ人が立ち寄ることの少ないとある一室へと足を踏み入れていた。
そして一歩踏み出すなり、二人の口から漏れ出る苦い声。
それもそのはず、二人の足元には散乱する書類の山。難解な絵の描かれた図面に用途不明な金属パーツ。そして脱ぎ散らかされた衣服。中には女性物の下着までもが混じっている。
「…相も変わらず『だらしのない』の一言に尽きる。ジンくん、君はこんな風になっちゃ駄目だよ」
「師匠、人のこと言えなくない?」
「………師匠ここまで終わってないから。まだ踏みとどまってますから」
「師匠、『どんぐりの背比べ』って言葉知ってる?」
「知らにゃい」
足元に散らばる書類を丁寧に拾い集めているジンの白い目に負けず、遠慮無くサヤがゴミの山へと足を踏み入れる。
「…『博士』。いるの?」
そして、自分達を呼び出したはずの、姿の見えない部屋の主を呼ぶ。
『いるとも』
すると、虚しい音だけが部屋に反響するだけかと思いきや、そう間を置くことなく、返事が返ってきた。
「………」
…返ってきたものの、姿は相変わらず見えない。
サヤとジンも思わず、師弟仲良く同じ動きで首を動かして部屋を見渡してしまう。やっぱり見えない。
『サヤちゃん、サヤちゃん。ここ。こーこ』
「…どこ?」
『君の足下だよ。サヤちゃん私を踏んでいるよ』
「………」
言われて今更、足下の奇妙な感触に気づいたサヤが、そっと、脚を上げる。
靴に張り付いた書類の下からぬるりとこんにちはする、二十代半ば程の女性の顔面。
サヤは躊躇い無く、朝の気持ちのいい散歩中に某を踏んだかの様な顰めっ面を浮かべた。
「………ぅわ」
「ばっちい」
「ふふふ。綺麗な本音をありがとう。ついでに起こして?」
辛うじて見えている右手を二人に差し出して、情けない催促をする女性。このお方、どうやら、書類の山を布団代わりにして、ご機嫌に惰眠を貪っていたらしい。
博士と呼ばれていた彼女、その名は紫という。サヤやジンが使用する武装を開発・強化する役割を担い、収集した敵のデータの解析も行う研究班に所属する人間である。
「………ほほう」
「…何?じっと見て」
「黒の紐か。大人になったねサヤちゃん」
「………………………………………………………………」
「師匠、無言で博士の顔面ひたすらストンプしまくるの止めな?」
尚、あまりに人としてだらしない為に、彼女は特別に専用の部屋を与えられている。同じ開発班のメンバーも、どうしてもという場合を除き通信のみで、直接足を運ぶことは無い。何故って汚いから。
「………博士、かわい子ちゃんの脚に踏んでもらった感想を五・七・五でどうぞ」
「『ありがとう つぎははだしで おねがいね』」
「ばっちい」
「おやぁ?ジンくん。二回目は故意だよ?博士の繊細な心は傷ついたなぁ。くすん」
「……繊細な人の部屋じゃないよね」
靴の跡の残った顔面を惜しげもなく晒し、ゴミ山をかき分け現れたる、博士こと紫。伸ばしっぱなしの赤茶の髪を、雑に後ろで結い上げた彼女の服装は、へそ出しタンクトップにホットパンツと、大層露出の多い衣服の上によれよれの白衣を羽織っただけ。折角の整った容姿も、垂れた左目の下の妖艶な泣きぼくろも、もれなく台無しにするご機嫌な有様だった。
「ん〜〜……っ♡」
腰を引かせながら、いやいや引っ張ったサヤの手を借りて立ち上がった紫が、凝り固まった関節を解そうと伸びをする。だらしないくせに無駄にスタイルが良い。二人の耳に、下からぎしぎしという、何かが軋む音が届いた。
「………っと、やあ、おはようだね二人共。ところで今何時?」
「…お昼回ってる」
「そっか早朝か」
「相変わらず生活終わってるね博士」
「そんなに褒めないでおくれ〜」
どうやら、散々に夜更かしをした結果、寝落ちしたらしい。
骨を鳴らし終わった紫が、呆れた視線を下から向けてくる規則正しい良い子の頭をわしゃわしゃ撫でくり回す。それを後ろに下がって見ていたサヤが、後で私もやろ。と密かに決意していた。
「それにしてもジ〜ン君〜…いつも言っているだろう?博士のことは親しみを込めて『紫ちゃん』と呼んでくれたまえって。『紫たん』でも可」
「でも博士は自分のこと博士って言ってるじゃん」
「博士が博士のこと『紫ちゃん』っていったらそれはもう人間凶器だろう?後、博士は普通に博士のこと『私』って言うし」
「俺は別に気にしないよ?可愛いと思う」
「ジン君ったら天然ジゴロ♡紫ちゃんきゅんとしちゃう♡」
「確かに何かキツいね」
「小僧ったらくそ失礼。博士顔は笑ってるけど心は咽び泣いているよ」
言いながらも、紫は何故か己が身体を抱き締めて嬉しそうに震えていた。
ジンが謎の身の危険を感じて無言で一歩下がる。散らばった書類に躓いて傾いた身体を、待ってましたと言わんばかりに後ろのサヤが受け止め、素早く抱きしめる。どうやら、危険は前だけではなかったらしい。
「………♪」
「師匠痛い」
「…師匠はイタくないよ」
「俺が痛い」
「…うん。師匠もジンくんといたい」
「……………???」
何故、己は更に抱き締められているのか。ハテナマークを頭に浮かべるジンと嬉しそうなサヤを愉しそうに眺めていた紫であったが、ふと我に返り、疑問を口にする。
「…ん?というか、二人共何か用??」
「博士が呼んだんじゃん」
「……私の『凪叉』の調整が終わったって聞いた」
弟子の頭に顎を乗せたまま、サヤが口を開く。よく見ると、その腰にはいつもの鞘が無かった。
「あーそうだったそーだった」
「…はよはよ」
うきうきと、身体を揺らしながらサヤが急かす。必要なことではあると理解しているが、腰に獲物が無ければ素晴らしく落ち着かない。今の今まで、サヤは身体の奥にもどかしさを感じてずっとうずうずしていたのだ。決して変な意味ではなく。
「えー………っと」
ジンを後ろから抱き締めながら身体を揺らすサヤの視線の先で、紫が早速、言われた武装を探して机を見る。
見る。
見回す。
机上には書類の山しか無い。
「…えへへ……その辺に、無い?」
「「………博士………」」
暫しの逡巡の末、ぽりぽりとぼさぼさの頭を掻きながら、紫が気まずそうに告げれば、もれなく貫く縦に並んだ二人の白い視線。このままでは頼れる大人としての地位が危ぶまれる、と焦った紫が、仄かに興奮で顔を赤くしながら、慌てて記憶を探る長い旅に出る。
「博士、こっちは?」
最早、期待も出来ないと、それを横目にジンが一振りの刀をゴミ山の中から引っ張り出して、掲げる。
拵こそサヤの刀に似てはいるが、微妙に異なる別物のようだ。
「ああ、『月…』、その子は違うよ。少し癖が強くてね。まだまだ開発段階なんだ」
「………まさか、凪叉バラしたりしてないよね?」
「しないしないそんなこと……えーと、えーと。…あ、うん、思い出した。ほら、そこの棚の上にウーパールーパートルーパーのぬいぐるみあるじゃん。その横のチンアナゴ風ちんすこうのフィギュアの下に掛かってるマンドリルドリルが描かれたTシャツの物干し竿代わりに使ってた」
「人の刀を何だと思ってんねや」
サヤが溜息と共に、やけに劇画調なマンドリルが描かれたドリルが描かれたTシャツを手に取り引っ張り出せば、共に出てくる見覚えのある刀。本当に愛刀が物干し竿として利用されている残酷な事実に絶句しかけたものの、またこの手に戻ってきた嬉しさの方がギリギリ勝ったのか、サヤは何度か刃を抜き差しした後、愛刀を抱き締めて小さく身を震わせた。
「……あぁ〜金打の音ぉ〜♡お帰り私の凪叉ぁ……♡んふふ落ちつくぅ………」
「ふふ…良かったねサヤちゃん。私も君の大切な武装をいじれて鼻が高いよ」
「囀るな」
大切な武装を物干し竿として使っていた輩の発言ではないが、こう見えて腕だけは確かである。人格はあれだが、腕だけは確かである。
「……ジーンくんっ」
改めて、大切そうに胸に愛刀を抱きかかえると、サヤはジンに笑顔で向き直る。その顔には、可憐な姿には似つかわしくない、戦闘民族さながらの闘争心が、抑えきれずに漏れ出ていた。ジンの背中に一筋滴り落ちる、冷たい汗。
「…ジンくんジンくん、お手合わせしよう?師匠、早速この子の感触を確かめたいでござる」
「えー?今の師匠、変にテンション上がってるからなぁ。…手加減してくれる?」
「…するする。師匠、素手でやるから」
「意味なくない?」
「…寝技しか使わないからぁ♡」
「戦略的撤退っ」
わきわき這い寄るいやらしい指に、すかさず回れ右したジンが部屋を出て走り去る。
サヤが紫をちらりと見やる。いつ淹れたのかももう忘れた、冷めきったコーヒーを堪能していた紫が笑顔で手を振っているのを確認した瞬間、サヤの姿は霞の様に掻き消えた。
「………廊下は走っちゃ駄目だよ〜」
きっと、秒で捕まった弟子君は、哀れ訓練場に引きずられていったことだろう。
コーヒーの残りを一息に呷ると、紫は乾いた笑いを浮かべ、傍にあったモニターの電源を入れる。予想通り、首根っこを引っ掴まれた弟子が、ちょうど訓練場に引き摺られてきたところであった。
「うーん……明るくなったのはいいことだけども」
『…ひと、ふた、み、よ、っと…』
『うわああああ!!師匠っ遠くからひたすら斬撃飛ばすとか卑怯じゃない!!??ほまれが無いよほまれが!』
『誉はハマで死にました。…それに、浮かせて落とすのは基本だから。ほらほらジンくん、情けなく逃げるだけじゃ可愛いだけだよ?ソニックブーン、ソニクブーン』
『ぎゃああああああ!!!掠ったぁ!!今掠ったよ師匠!!』
『サマソッ』
「…まあ、仲良しなのはいいこと……かな?」
…一応、助け船は出しておこう。紫は本日も騒がしい師弟に苦笑すると、無機質な足音を響かせながら、口笛交じりに部屋を出ていった。
▶博士
本名は鬼怒川紫。名字で呼ぶと拗ねる。
▶師匠 技リスト
『破道剣』↓↘→ + P 気を練り上げ、前方に斬撃を飛ばす。牽制として使おう。
『翔龍剣』→↓↘ + P 天を翔ける龍が如く、鮮烈な斬り上げを見舞う。対空、もしくは『破道剣』を飛んで躱した相手への追撃に使おう。
『戦楓仭』↓↙← + K 刀を構えてめっちゃ横に回る。酔うから自分にもダメージが入る。あまり使わなくていい。




