1.魔法の発現
ウェスト・コーナーの森を、トワイニング王国の軍隊が行軍している。行軍を始めて早6日、今日も既に太陽は西に傾きつつあり、兵たちは疲労の極みに達しつつあった。
「ヴォーン、しっかりしろ、どこに行くつもりだ!」
ヴォーン・マーベルは自分を呼ぶ声に、はっとして振り返った。彼の名を呼んだ仲間が、不審と不安の入り混じった目で彼を見つめている。彼の金髪は夕陽をうけて輝いている。
「レノックス、進まなくていいのか?」
「はぁ、ヴォーン、おまえ、何も聞いてなかったんだな。さっき、隊長が今日はここで野営だと言ってたんだが」
「悪いな。ボーっと歩き続けてたんで」
「しっかりしてくれ。おまえのせいで厄介事に巻き込まれるのはごめんだからな」
そう言って、レノックスは他の兵たちの方へ去って行ってしまった。
(レノックスの奴、なんだかんだ言って面倒見がいいんだよな)
去り行くレノックスの背中を見つめながら、ヴォーンはそう思うのだった。
レノックス・セントクレアは、ヴォーンのバディである。口は悪いが面倒見が良く、また剣の腕も一流と言えるほどであるので、隊長の信頼も厚く、多くの兵の憧憬の的である。一方のヴォーンは、剣は彼の部隊でもっとも下手で弓矢も平均以下、体力もないため、部隊の仲間からは無能、お荷物と呼ばれている。このような2人であるため、バディを組んだ2年前から、ヴォーンはいつもレノックスに助けられてばかりだった。
「ヴォーン、起きろ、俺らの担当時間だぞ」
夜1時を過ぎた時、ヴォーンはテントのなかでレノックスに叩き起こされた。各バディは決められた時間ごとに歩哨をするのだが、彼らの担当の時間になったのである。
眠い目をこすりながらテントを出ると、いつの間にか外は雨が降っていた。視界が非常に悪く、敵兵の視認が難しいから警戒するようにとレノックスに言われたが、ヴォーンの心身は連日の行軍に伴う眠さと疲労のため、警戒心などあってないようなものだった。顔を雨に濡らし、重い足を引きずりながらヴォーンは配置についた。
トワイニング王国は東西に長い半島上の国であり、半島の付け根にあるウェスト・コーナーの森を挟んでブルトン帝国と接している。トワイニング王国とブルトン帝国は80年にわたって戦争をしているため、ウェスト・コーナーの森は幾度となく戦場になった。
今回、トワイニング王国は今度こそウェスト・コーナーの森の帝国側にある『光の城』砦を陥落させ、ブルトン帝国へ侵攻するための橋頭堡を確保すべく、『炎の城』砦よりヴォーンやレノックスの部隊、『赤色虎』約600人を出動させたのだった。
突然、レノックスがヴォーンの左腕を掴んで下方に引っ張り、ヴォーンをしゃがませた。ヴォーンが声を発するよりはやく、彼の頭があった所を矢が通り過ぎる。
「ヴォーン、静かにしろ。向こうから敵兵が来てる。約15人だ」
ヴォーンの口を手で押さえながら、レノックスはそう言った。
「とにかく、この人数差では勝ち目はない。隊長に報告するぞ」
そう言うが早いか、レノックスは匍匐前進で敵兵とは逆方向へ進んでいった。ヴォーンは混乱しながらもレノックスについていく。この2年間でレノックスの指示が間違ったことは一度もなかったため、レノックスへの信頼は絶大なものになっていた。
しばらく、2人は黙って匍匐前進を続けた。ヴォーンはすでに1時間以上匍匐前進している気分になった。実際には、20分も経っていなかったのだが。いずれにしても、彼らの部隊のテントが見えないのは問題だった。どこかで方向を間違えたのだろうか。
前を行くレノックスの動きが止まった。
「何があった?」
不審に思って小声でヴォーンが尋ねると、
「前方に敵兵、約5人だ」
レノックスの指差す方に目をこらすと、確かに人影がある。よく発見できたものだと感心しつつも、これからどうするか決めないといけない。
「で、どうする、レノックス?」
「できればやり過ごしたいんだが。少し様子を見る」
そう言っている間にも敵兵はどんどん近づいて来て、顔が視認できる距離まで近づいた。4人の若い兵士であった。ヴォーンは彼らの顔が見覚えのあるように思われた。
「あと5歩分近づいたら、攻撃するぞ。俺が飛び出すからおまえは後ろから援護しろ」
「…待て、レノックス、あれは味方ではないか?」
しかし、その声が届く前にレノックスは飛び出していた。しかたなくヴォーンもついて行く。
まさにレノックスが彼らに斬りかかろうとした時、ヴォーンは彼らを思い出した。つい3週間ほど前にヴォーンらの部隊に加わった兵たちであった!
「やめろ、レノックス、味方だぞ」
ヴォーンはレノックスを止めようとしたが、すでにレノックスは彼らの内の1人に斬りかかっていた。
「レノックス、俺だ、バーナードだ。…ギャァ」
バーナード・メイトランドが右肩から胸を斬られ、悲鳴をあげてよろめいた。バーナードに駆け寄り彼を支える者がいる。バーナードのバディのカイン・アクセルロッドだ。
レノックスもようやく、自分が襲った者が誰か気づいたようだった。持っていた剣を投げ捨て、バーナードに駆け寄った。
ヴォーンもようやく、バーナードのもとに着いた。カインが止血をしており、スタンリー・ニューバーン、トレント・ラフリーが手伝っていた。レノックスは呆然としていた。
ひと目見て重症と分かる、大けがだ。直ちに軍医に診てもらわねば、バーナードは死に頻するだろう。
「スタンリー、トレント、野営地から軍医を呼んできてくれ」
「それが…」
スタンリーと顔を見合わせた後、トレントが言いにくそうに口を開いた。
ヴォーンとレノックスがブルトン帝国兵と遭遇した時、野営地もブルトン帝国軍に襲われていた。歩哨に見つからずに接近したため、完全な奇襲となった。『赤色虎』はほぼ壊滅したらしい。
「我々は歩哨に出ていたので無事だったんですが、歩哨から戻ったら野営地が襲われていたんです」
そう言ってトレントは口を閉ざした。
バーナードとカイン、スタンリーとトレントはそれぞれバディで歩哨をしていたが、彼らの交代で来るはずの歩哨が来なかったため、野営地の様子を見に行ったそうだ。
これまでバーナードの手当てをしていたカインが立ち上がった。
「手持ちの物資では、ここまでが限界だ。止血はしたが包帯が足りないし、凝血剤もない」
「診せてみろ」
ヴォーンはカインより軍歴が長いため、怪我への対処も経験が豊富なのだ。
…カインの手当ては、お手本通りの見事なものであり、ヴォーンが手直しする点はないように思われた。
それにしても出血量が多い。バーナードの意識はすでに途切れ途切れだった。早く輸血してあげたいと思うのは、ヴォーンだけではないだろう。
ヴォーンは短剣を取り出し、左手に当てた。痛みが走り、赤い血が流れる。血が流れたままの左手をバーナードの右肩に乗せた。バーナードの心音が伝わる。そのまま祈るように呟く。
「治れ、治ってくれ」
そう言った途端、バーナードの傷口が光ったように見えた。
ヴォーンの手の下で、バーナードの傷口が塞がっていった…。




