夜会で繰り広げられる婚約破棄劇の行く末は
「──君との婚約は、今日この日をもって破棄させてもらう!」
パーティー会場に高らかな声で響き渡ったその言葉に、侯爵令息シャーグ・ケヌサックは自慢の金髪を揺らし、端麗な顔を歪ませて呆然とした。
「は……?」
思わず彼の婚約者である公爵令嬢シータ・カーターの顔を見る。
「あら、どうしましたの? シャーグ様」
シータはいつも通り冷ややかなほど上品な笑みを浮かべて彼を見返す。
「何か仰りたいことでも……?」
言いたいことはあった。今日この日のために準備した、彼女に対する言葉が。
しかし、口にしようとしたその言葉は彼自身ではなく、まったく別の人物から発されたのだった。
国王から寵愛を受ける末王女の誕生パーティー。
上級下級問わず国内のありとあらゆる貴族が招待されたこの最大級の夜会こそ、シャーグが選んだ晴れ舞台だった。
婚約者の公爵令嬢シータに対する婚約破棄、そして彼の真実の愛である男爵令嬢リシィ・ルガーとの婚約宣言。
衆人環視の中、お高く止まって可愛げのないシータの鼻っ柱を折り、リシィとの愛を見せつけ、ロマンチストで有名な末王女に見届けてもらうことで世間の支持を得て未だ婚約破棄を認めないシャーグの父に折れさせるという完璧な計画だった。
(もちろん、最初はそんなつもりじゃなかったさ。でもあの女、シータと来たら……!)
シータはシャーグの家に嫁に来る身でありながら、公爵家という身分を鼻にかけてシャーグを常々見下していた。
ほんの少しフォークの使い方を間違えただけで、あの薄ら寒い上品な笑みで「あら、シャーグ様はこんなところでもおどけてわたくしを楽しませてくださるのね」と嫌味を言う。別の令嬢とほんの数時間一緒にいただけで、白々しく悲しげなそぶりで「わたくしの心を傷つけて、シャーグ様になんの得がありましょうか」と宣う。
氷の彫刻を思わせる涼しげで作り物めいた美貌も、絹のような輝かしい銀髪も、高飛車で可愛げのない態度のせいでまったく台無しだ。
しかし、どれだけ気に入らない相手でも、この婚約は政略だ。どちらかに余程の瑕疵がない限りは破棄することはできない。頭を抱えていたシャーグの前に現れたのがリシィだった。
「ええー? その婚約者さん、厳しいですねー。シャーグ様が可哀想……」
ある夜、夜会でいつものように美しい令嬢に声をかけ、リシィとはそこで知り合った。
ストロベリーブロンドのふわふわとした髪に、アイスブルーの瞳。小柄だが女性的な体型で、くるくる動き回るたび胸元がたゆんっと揺れる。
ルガー男爵家の令嬢を名乗っているが庶子で、数年前まで平民として暮らしていたのを男爵家に引き取られたのだという。貴族のマナーに慣れず、貴族令嬢らしからぬ素直で派手な言動は、他の令嬢令息から見れば眉をひそめるものだったろうが、婚約者の冷ややかな態度に飽き飽きしていたシャーグには愛らしく魅力的に映った。
「あたしが婚約者だったら、シャーグ様にそんな思いさせないのに」
そう言って腕に絡みつき、胸を押しつけながら、あどけなさと妖艶さの混じる笑顔で微笑まれたシャーグは確信した。彼女こそが真実の愛の相手であると。
リシィという理想の女性を見つけたシャーグにとって、シータはますます冷酷で陰険な女に映った。婚約者で、将来の夫である自分に対し、どうしてそんな態度を取れるのだろう。リシィはこんなにも自分を立ててくれるというのに。
「シャーグ様。最近は火遊びがお盛んなようですが、どうかほどほどになさいますよう。ご執心の花は、どうやら他の殿方の目も奪っているそうですわ」
「なんだと? お前はリシィを侮辱しているのか!?」
「事実を告げたまでですわ。他人の手垢のついた宝石を手中に収めるべきではなくてよ」
リシィに嫉妬しているのだろう、シータはたびたびシャーグに貴族的な言い回しで進言してきた。
そして、決め手になったのがシータがリシィを虐めているという噂だった。
「あたしが悪いのっ、シャーグ様は婚約者がいるのに……。あたしのことを目障りに思っても仕方がないんだわ……」
あるお茶会でシータがリシィに平手打ちをした、ドレスに茶をかけた、私物を踏み壊した……そんな話をリシィの友人から聞かされ、ついには涙ぐんだリシィ当人から相談を受けた。
「ごめんなさい、あたしがお二人の仲を引き裂いたばっかりに……」
さめざめと泣くリシィを見て、シャーグは義憤に燃えた。
リシィは何も悪くない。悪いのは、身の程を知らないあの女だ。
こうなれば婚約破棄をし、あの女にわからせてやるしかない。
そう決意して父に訴えたり、色々と法を調べてみたが、現状シータの悪事の証拠がない以上一方的な破棄は難しい。馬鹿なことを考えるな、と父に叱られたが、そこで諦めるシャーグではなかった。
(ダンスが始まる直前に、会場の中央でシータにこう告げてやるんだ。「公爵令嬢シータ・カーター、侯爵令息シャーグ・ケヌサックの名においてお前との婚約は破棄する! お前のような性根の腐った女は婚約者に相応しくない!」と。そしてリシィに対する悪行を暴露し、リシィの素晴らしさを聴衆に聴かせてやる。完璧だ……!)
パーティーの主役である王女と、主催者である王太子が証人となれば、意地の悪いシータも観念するに違いない。そう意気込んで、当日を迎えたのだが……。
「──君との婚約は、今日この日をもって破棄させてもらう!」
「なんですって!? いったいどういうおつもりですの!?」
「どうもこうもあるか、この悪女め! お前の本性などとっくに知っているんだ!」
なんだ、この光景は。
シャーグがまさに行おうとした衆人環視の婚約破棄を、見知らぬ二人の男女が繰り広げている。互いに美男美女、顔こそ見覚えはないが、豪奢な衣装が高位貴族であることを示している。
「男爵令嬢に嫉妬し、あろうことか公爵令嬢の立場を嵩に着て、彼女を虐めたそうだな!」
「身に覚えがありません! わたくしは断じて潔白ですわ……!」
「黙れ! お前には彼女の涙が見えないのか!」
なんだ、これは。
わけもわからず呆然となりゆきを眺めているうちに、シャーグは彼らの会話劇に段々と冷や汗を流し始めた。
名前や詳細な内容こそ異なるが、まるでまったくシャーグが図っていた婚約破棄計画と同じなのだ。男爵令嬢を虐めた性悪の公爵令嬢を一方的に糾弾し、涙を流す男爵令嬢を慰めてその愛をアピールする……。
(ま、まさかっ)
とっさにシータを見る。婚約破棄劇の本来の主役だったはずの彼女は扇を広げて口元を隠し、ことのなりゆきを冷ややかに見つめている。
「お前、何か知っているのか!?」
「なんのことですの?」
思わずシータを問い詰める。シータは半ば呆れたような、嘲笑うような眼差しでこちらを見る。
「とぼけるな、これはいったい……!」
「──ならば、私が彼女に求婚させてもらおう!」
シャーグの言葉を、また別の声が遮った。朗々とよく通る声の、これまた美男子が、言い争っていた二人に割って入る。
「あ、あなたは……!」
「なぜ貴様がここにっ!?」
驚く二人に、聴衆はこの美男子は何者なのかと思わず目を剥く。するとそこに──
「──と、いうわけで! 突然冤罪を着せられ婚約破棄を告げられた公爵令嬢はどうなってしまうのか! 彼女の前に現れた男の正体は!? この続きは明後日より王立劇場にて上演いたします!」
三人の前に道化師めいた扮装の男が現れ、そう宣言する。その言葉ののち、婚約破棄劇を繰り広げていた三人が聴衆に向かって華麗にお辞儀をしてみせた。
「以上、王女様に捧げる余興劇でございました!」
一瞬静まり返り、その後会場に割れんばかりの拍手が鳴り響く。
どうやら彼らは貴族ではなく役者で、一連の騒動は寸劇であったらしい。
「素晴らしいわ!」
と、役者たちの前に躍り出たのは、輝かしいプラチナブランドの髪の、パーティーの主役たる末王女アイーダ。まだあどけなく美しさより可愛らしさが目立つ顔の頬を紅潮させ、興奮を隠しきれない様子である。
「余興があるとは聞いていたけれど、真実味があって思わず見入ってしまったわ! ありがとうシータ、素敵な余興を催してくださったわね!」
「滅相もないお言葉でございます」
アイーダ王女に話を向けられたシータは、落ち着き払ってカーテシーをした。
やはり、これらはシータの企てだったらしい。
「王国の星たる王女殿下の目を少しでも楽しませられたのでしたら、これ以上の光栄はございませんわ」
「でも、とても驚いてしまったわ。とても真剣な演技だったから……てっきり本当に、婚約破棄宣言がなされたのかと思いましたわ」
「ははは。さすがにそれはないよ、アイーダ」
と、アイーダ王女の肩に手を置いたプラチナブランドの貴公子は王太子コンスシンだった。
「今のはお芝居だったから良いけれど、王族主催の夜会でそんなメチャクチャな真似をする輩がいるわけないだろう? それも、誰より可愛いこの国の至宝であるアイーダの誕生パーティーで」
「そうですわね。自分が目立つことばかりを考えて、王族の顔を潰すことを頭にも入れていない輩がそんな真似をしたら、婚約破棄どころではありません」
コンスシンの言葉に、シータは上品な笑みで頷いた。
「少しでも物を考えられる人間であれば、自分が不敬者だとその場で処断されるとわからないはずがありませんわ。ねえ、シャーグ様?」
「な、なんで俺に言うんだ……」
「あら、シャーグ様も何やら素敵な催しを考えていらっしゃるようでしたから」
「い、いや、そんな……」
「まあ、婚約破棄だの断罪劇だの、お芝居ですから面白いのでしょう。実際に行われたら、当事者はもちろん巻き込まれた参加者、主催者は傍迷惑なだけですわね」
たおやかに笑っているはずのシータが異様に怖い。シャーグは引き攣った笑みを浮かべ、背中に冷や汗をかいていた。
──シャーグの企みを全て見抜いていたシータは、それでも(元)婚約者へのわずかな情で、あえてその企みを喜劇で潰すことで、彼が王族に処断される未来を回避したのだ──という真実に、まだ彼は気づくことはない。
「そういえばお兄さま、随分遅かったですわね。何か揉め事でもありましたの?」
「ああ、先程私の体に許可なく触れようとする無礼者がいてね。その女の処理をしていたんだ」
「まあ!」
爽やかに物騒なことを言うコンスシン王太子に、アイーダ王女は愛らしい仕草で口元を押さえた。
「この国においてお父さまの次に高貴なお兄さまに? いったいどこの誰が……」
「ルガー男爵家がどうこう言っていたね。捕縛して牢に収容しているから、詳しい尋問はパーティーが終わったあとにするよ。愛しいアイーダの晴れ舞台に泥を被せるわけにはいかないからね」
「お兄さまったら」
コンスシンに頬に口づけされて、アイーダはくすぐったそうに笑った。それを微笑ましげに見つつ、「それでは、失礼いたします」とシータが再びカーテシーをする。
「もうお帰りになるの?」
「ええ、余興が済んだことですし。わたくしたちもこのあと、色々話し合わなければならないことがありまして。名残惜しくはございますが、これにて辞させていただきます」
「面白い余興をありがとう、シータ。どうかこれからも妹の良き友人でいてほしい」
「勿体なきお言葉。……さあ、行きますわよ、シャーグ様」
「な、何っ!?」
あくまで下品にならないように、しかししっかりとシャーグの腕を掴み、シータは冷ややかな──悪魔のように美しい笑みを浮かべた。
「わたくしと話があるのでしょう? 奇遇ですわね、わたくしも貴方様にしなければならないお話がございます。ぜひ、カーター公爵家にいらして? お父さまも首を長くしてお待ちですわ」
「ひっ、ひぃっ……」
現カーター公爵は貴族社会の闇を牛耳るともっぱら噂である。かつて幼いシータに迂闊な真似をした貴族令息がカーター公爵の怒りを買い、存在を消されたという噂があったことを、シャーグは今頃になって思い出す。
シャーグはとっさにリシィの姿を探して助けを求めようとするが、“真実の愛”は今王宮の地下牢獄に捕縛されていた。
「た、助けっ……」
彼の悲鳴は、華やかな夜会の喧騒の中に紛れて消えた。
数日後、シャーグとシータの婚約が解消され、さらにシャーグが廃嫡、ケヌサック家から追い出されたと話題に上るが、すぐさまよくあるゴシップのひとつとして忘れ去られていった。
そして、王立劇場で上演された、シータ考案の新作舞台は好評となり、その後何年も繰り返し上演される恒例の演目になったという。
シャーグ・ケヌサック
典型的な顔だけイケメンのアホ令息。
最初はシータの顔に惚れていたが、シータの口うるささですぐ嫌気が刺した。
シータ・カーター
冷酷つよつよ公爵令嬢。家のため政略結婚に耐える覚悟があったが、シャーグのあまりのアホさに忠告とドSが隠しきれなくなった。
一応最後まで面倒を見るつもりだったが、婚約破棄を計画されていると知り、徹底的に虐めてやると決意した。
リシィ・ルガー
尻軽庶子男爵令嬢。イケメンが大好き。
うっかり王太子に手を出そうとして捕まり、家から切られて娼館送りにされた。
アイーダ
愛され王女。まだ子供。
大好きなお兄さまと優しくてかっこいいシータが結婚したら良いのになあと思っている。
コンスシン
完璧王太子。ただしシスコン。
家格的にも能力的にもシータが婚約者としてちょうど良いためその後たびたびアプローチするが、「シスコンはちょっと……」とやんわりお断りされている。