EXTRA 烏と狐、休日の過ごし方
5日目の夜。仁礼野の勧めで馬宮が実家に帰省してしまったので烏丸は暇を持て余していた。からかったり冗談を言い合ったりできる馬宮がいないとなんだか職場が寂しい気がする。
「烏丸さん、どうしました?ちゃんとモニター見ててくださいね」
「す、すみません」
頭の中のもやもやした気持ちに仕事の手が止まっていたようだ。仁礼野はあれから何事もなかったかのように過ごしている。数日前の夜に「反省会」でばらばらに壊された殻はすっかり元通りになったようだった。
「仁礼野さん、体のほうはもうその、大丈夫なんですか……?」
「ええ。おかげさまで。前より少しだけ細くなってしまいましたけど」
仁礼野は笑って烏丸に手袋をはめた両手で自分の体を指し示してみせる。紺色の作業着に包まれた体は前に比べて全体的に細くなっている気がした。
「……あの、中の魂は無事なんですよね。罅ひびとか……入ってたりは」
「気になりますか……。ならご自分で……確かめられてはいかがですか」
仁礼野が烏丸の両手を取り、作業着とシャツの胸あたりのボタンを外すと殻の中へと招き入れた。烏丸の手のひらが盛り上がった男性らしい胸を構成する廃材や金属や布に触れ、そのままさらに奥へと差し入れられる。仁礼野が一瞬だけ苦しそうに呻うめく。烏丸の指先が魂の表面に直に触れたのだ。
「どうです。まだぼんやりと光ってるでしょう。傷がないかよく見たいのでしたら……抜き取ってもらって構いませんよ」
「いや、それはいいです……。今、触られてめっちゃ痛そうでしたし。なんかすいません」
烏丸は仁礼野の殻の奥から両手をあわてて引き抜くと、背中の後ろに隠してしまう。仁礼野は「そうですか」と言って少し残念そうな顔をした。
「烏丸さん。顔……赤いですよ」
「えっ⁉︎」
仁礼野のぼそりとした指摘に烏丸はとっさに両手で顔をおおう。手のひらに触れる肌が熱い。
(仁礼野さん。今のはさすがに……やりすぎでしょ)
烏丸は仁礼野がさっきしたことを思い返してさらに顔が赤くなる。熱さで喉が渇いてきた。
「すみません。ちょっと……自販機で飲み物買ってくるんで、監視カメラのほうお願いできますか」
「はい、行ってらっしゃい。今夜は烏丸さんのお好きなアレ、あるといいですね」
*
今夜もなかった。烏丸は小部屋の外にある自販機のラインナップを前にしてため息をつく。とりあえず財布から出した小銭でミルクココアや果汁100%のジュースなど甘そうな飲み物をいくつか買う。後から小部屋の冷蔵庫にいつでも飲めるようにストックしておくのだ。
「アタシあんなの…………初めてなんだけど」
烏丸は思い返してしまい熱くなってくる頬に買ったばかりの飲み物のペットボトルをあてる。ひんやりとした冷たさが気持ちがいい。作業着のポケットで仁礼野が作った烏のキーホルダーがゆれる。そういえば自分がここに来たのっていつ頃だっけ……。
烏丸はポケットのキーホルダーを見つめ、仁礼野と初めて会った夜を回想する。ここにやって来た時、今思い返しても自分でも理由がわからないほどに烏丸は荒れていた。馬宮と同じように実家に嫌気がさして飛び出してきたのだ。夜行バスで何日かかったか、烏丸は夜光町にたどり着いた。
そしてあの「夜光町四丁目夜間警備求ム。」の募集をインターネット検索で見つけ、働けるならどんなところでもいいと速攻で応募した。バス乗り場から走って走って、夜光町プレイタイム・ファクトリーに到着するとインターホンを鳴らす。担当者が入口のシャッターを開けてくれ、烏丸は5日間で100万という報酬につられてそのまま働き始めた。担当者は仁礼野と名乗ったが下の名前は教えてくれなかった。
〈あの……アタシはどうすればいいんですか〉
〈そんなに難しくはないですよ。基本はここの小部屋で監視カメラのモニターを見てるだけですから〉
仁礼野は面倒見がよく、いわゆる世間一般でいう親切そうな人のイメージそのものだった。たった1つだけを除いては。ある夜のこと、烏丸は途中から仁礼野にモニターを見るのを代わってほしいと頼まれた。
〈どこいくんですか仁礼野さん〉
〈ああ、ちょっと……トイレに行こうかと。すみません〉
そう言って仁礼野は小部屋を出たっきり、翌朝の6時を過ぎても小部屋には帰ってこなかった。今思えばあれは反省会に行っていたのだと思う。たった1度だけ、烏丸は仕事中に4番のパーティールームを映すカメラを切り忘れたことがあった。仁礼野が出した合図に気づかなかったのだ。
仁礼野がステージの上でマスコットたちにバラバラに壊されていく瞬間を烏丸は全て見てしまった。反省会が終わらないうちに辛さと息苦しさで吐きそうになってトイレに駆けこんだ。
〈……見たんですか〉
〈え、何のことですか〉
翌日の夜、何事もなく帰ってきた仁礼野が烏丸に突然そう言った。烏丸がとぼけると仁礼野は一度も見たことがないほどに冷たい目をした。
〈見たんでしょう、反省会の様子〉
〈いったい何のことだか……〉
〈はっきり答えてください、烏丸さん。見たんですか、見てないんですか?〉
仁礼野の口調に静かな怒りが滲みだす。烏丸はなんと答えようかと迷った。すると作業着の襟のあたりをぐっ、と強く掴まれ強制的に目を合わせられた。普段は切れ長で優しい目が怒りから大きく見開かれている。何も映していない人形のような光のない瞳がとにかく怖かった。
〈……答えろ。どっちだ烏丸〉
〈み、見ました。すいません、もうしませんから……!〉
〈本当か、なら今この場で誓え。あれはこの先も、絶対に、覗かないと‼︎〉
烏丸は仁礼野の気迫に圧されて首を何度もふって「誓います!」と叫んだ。仁礼野が烏丸の作業着を掴む手を緩めた。掴まれて数センチは浮いていた体が床に落ちる。解放された烏丸は連発する咳と息をするのに必死だった。
〈つい……カッとなってしまってすまなかった。忘れてくれ〉
〈いえ……ルールを破ったのはアタシですから。怒られて当然すよ〉
仁礼野さんは悪くないです、と重ねて言うと仁礼野は何も言わなかった。ずれたキャップを被り直すと烏丸に一礼して仕事に戻っていった。
「烏丸さん」
「え?」
仁礼野の声がすぐ近くでして烏丸は驚く。いつの間にか小部屋から自販機の前に移動してきていた。自販機の前で腕を組み、陳列棚の中のラインナップを眺めている。そして「今夜もなくて残念でしたね」と言った。
「あまりに帰って来るのが遅いので心配になってしまいまして。手に持ってるそれ……冷蔵庫に全部入りますかね」
「あ、すみません。甘いのないとダメなんでつい。仁礼野さんどれか飲みます?」
烏丸がそう言って買ったばかりの飲み物を見せると「ではこれで」と仁礼野はミルクココアの缶を引き抜いた。そういえば気になっていたのだが、あの体でどうやって飲食ができているのだろうかと烏丸は不思議に思う時がある。
(まあ……いいか。気にしなくても)
「それじゃあ、そろそろ部屋に戻りましょうか。引き続きモニターお願いしますね」
仁礼野が先に立って廊下を歩き始めた。烏丸は小走りでついていく。工場の外に広がる夜はまだ深く、朝は遠かった。
*
終わらない。仕事が、終わらない。仁礼野の勧めで再び夜行バスに乗り3時間かけて実家に帰った馬宮は自室でパソコンの文章作成ツールを開き、頭をかかえていた。
今放送中のドラマのあらすじ記事を書く仕事を請け負っていたのを仁礼野や烏丸たちと忙しい日々を過ごす中ですっかり忘れていた。締め切りは月曜日。ちょうど夜光町のアルバイト先に帰らなければいけない日だ。
馬宮はひとまず自室にあるテレビの前に行き、HDDの録画を確認する。よかった録画は残っている。
馬宮が録画したドラマをリモコンの再生ボタンを押して内容確認するため早速見始めると、運悪く部屋のドアがノックされ母親の夏菜子が夕食ができたから1階のキッチンに下りてくるようにと言ってきた。
馬宮がすぐに行くと言うと夏菜子はドアの前から去っていった。馬宮は録画を停止してテレビを消すと、部屋から出た。今夜は父さんはいるのだろうか。
「……いただきます」
今夜の馬宮家の夕食は白飯に味噌汁、それから揚げたての豚カツに野菜とフルーツのサラダだった。豚カツは昔から馬宮の好物だった。
「啓けい、お前……なんか怪しい仕事とかしてないだろうな」
馬宮から銀行の通帳を見せられた父親の晴彦が「なんだこれは」と疑いの表情を向けてくる。それもそのはずだ。しばらく前まで残金0円からのほぼマイナスの記載だった口座にいきなり100万円が振り込まれていたら誰だって疑いたくなるだろう。
馬宮は「違うよ。ちゃんとした職場だよ」と自分のスマートフォンに残していた休憩時間に撮った烏丸や仁礼野と映っている写真を見せる。
「そうか?なら……別にいいがな。なあ母さん」
写真を見た晴彦は咳払いをしてから夏菜子に話題をふったが口の中に物が入った状態でタイミングが悪く「今話しかけないで」とばかりに睨まれてしまう。
「……ごちそうさま」
「もういいのか?豚カツ、お前好きだろう」
晴彦は馬宮が皿に半分残した豚カツを見て聞いてきた。馬宮はやらなきゃいけない仕事があるからと言って、キッチンから出て自室に向かう。その後ろ姿を見て晴彦と夏菜子は表情を曇らせた。
「……あの子、まだ怒ってるのかしらあのこと。あなたが働かない奴はうちの家族じゃない、なんてあんなひどいこと言うから出て行ったのよ。あっちでちゃんと仕事は見つけられたようだし、もう許してあげたら」
夏菜子が晴彦を見てため息をつきながら自分の皿の上の豚カツの切れ端を美味しそうにほおばる。さっくりと揚がった豚カツはソースでもケチャップでも何をかけても美味しかった。
「……それは、たしかにそうだな。これ食べたら謝りに行ってくる」
味噌汁をすすりながら晴彦がそう返すと夏菜子は大きく頷いた。
「あ、そうだ。あの子の分の豚カツ今からパンで挟んでサンドイッチにするから持っていってあげて」
「ああ」
*
夕食をさっさと切り上げた馬宮はせっかくの好物の豚カツを完食できなかったことを悔やんでいた。録画を集中して見ようとしてもそっちが気になってしまい、内容が入ってこない。すると部屋のドアがひかえめにノックされた。
「……啓、開けてくれるか」
馬宮が自室のドアを開けると晴彦がラップのかかった皿を持って入ってきて作業をしているパソコンの隣にそっと置いた。
薄暗い部屋の中で小型テレビの前に座りこむ馬宮に「この部屋暗くないか?」といってリモコンで照明の光量を上げる。
「それ、母さんからだ。さっきお前が食べ損ねた豚カツをサンドイッチにしてくれたようだから冷めないうちに食べなさい」
「……うん。ありがとう」
馬宮が礼を言うと晴彦は部屋から出ていく。ドアを閉める時にちょっと振り返って馬宮のほうを見る。
「何、父さん」
「……その、あの時は……すまなかった。さすがに言いすぎたと思ってる。来週からも体に気をつけて仕事……頑張れよ」
晴彦はつぶやくようにそれだけ言うとドアを閉めた。1人残された馬宮はぽかんとした表情で閉められた部屋のドアを見つめる。父親が自分に謝っているところなど今まで見たことがなかった。
(……そうか。父さんも気にしてたんだな)
馬宮は晴彦に認められたことが嬉しくてつい微笑む。夕食前はまったく捗らなかったライターの仕事のほうはなんとか今日明日中に間に合わせるしかない。
馬宮は晴彦が置いていった豚カツを挟んだサンドイッチの皿を取るとラップを開け、ドラマの録画を見ながら食べ始める。マスタードソースが少し塗られた食パンはしっとりして、カツは冷えていたがやはり美味しかった。月曜日に烏丸や仁礼野に会ったら今夜のことを話そうか。馬宮はサンドイッチを食べながら夜光町に帰る日を想った。
【了】