とげとげ、いばら姫。
とげとげ、いばら姫。
ここはいったいどこなんだろう?
すみかが目を開けると、そこはなぜかまだ目を開ける前と同じ真っ暗だった。真っ暗な世界の中で目覚めたすみかはとりあえず手探りで世界を認識しようとした。
すると、すぐにその手がなにか硬い壁のようなものに当たった。
それから、周囲をその壁伝いに手でさわってみると、どうやら自分の前方だけではなくて、左右にも、上下にも、後ろにも、つまり『自分のいる世界の周囲のすべてを壁で囲まれている』ことに気がついた。
つまり、それは箱だった。
すみかは箱の中にいる。あるいは、箱の中に閉じ込められているのだ。
その箱の大きさは、だいたい、普段、すみかの寝ているベットくらいの大きさだった。奥行きは、すみかの体二つ分くらいはある。
普通に日常の生活の中で使うとしたら、決して小さい箱というわけではないのだけど、人がその中に入るとなると、それは途端に、とても狭い箱のように思えた。
すみかはとりあえず、その小さな箱の中から外に出ようと思った。
箱なのだから、(あるいは、自分がこの箱の中に入っているのだから)どこかに開けられる場所があるはずだった。
すみかはとりあえず、無言のままで、(誰かに見つからないように)その箱の自分の正面の部分をゆっくりと慎重に押してみた。
でも、箱はびくともしなかった。
何度か挑戦したあとで、すみかは箱を開けることを諦めた。(なにか重石でも乗せられているみたいに、動く気配が全然しなかったからだ)
それから真っ暗な世界の中ですみかは自分の今の状況について、考えてみた。
でもいくら考えても、なぜ自分が突然、こんなに暗くて狭い箱の中に閉じ込められなければいけないのか、その理由が全然、すみかにはわからなかった。
仕方なく(もしかしたら危ないかもしれないけれど)すみかは箱の中から助けを呼ぶことにした。
最初は遠慮がちにとんとんと箱の正面にある壁を叩いてみた。
反応はない。
次はもう少し大きく壁を叩いた。するとさっきよりもずっと大きな音がした。
でも、やっぱり反応はなかった。
「あの、すみません。誰かいますか?」と声を出してみた。(小さな箱の中で、すみかの声は思っていた以上に、反響して、とても大きく響いて、少し驚いた)
返事はない。
「すみません。あの、そこに誰かいませんか!」
今度はもっと大きな声を出してみた。
……でも、返事はやっぱり誰からも返ってはこなかった。
すみかは最後に思いっきりどんどんと正面の箱の壁を叩いた。すると今度は本当に大きな音がしたのだけど(耳がきーんと痛くなったくらいだった)、やっぱり外からはなんの返事も、反応も返ってはこなかった。
そこまでやったところで、すみかは箱の中から出ることを諦めることにした。(これは、もうしょうがないことだと思った)
恐怖がなかった、……箱の中にいることが全然怖くなかったといえば、それはもちろん嘘になる。箱の中に閉じ込められていることは、とても怖くて、不安だった。
でも、それは箱の外にいても同じだと思った。
なら、このまますみかはずっとこの箱の中にいようと思った。この箱はすみかを箱の外には出してくれないけれど、代わりに『すみかを箱の外側のいろんなもの』から守ってくれていた。
それは、本当に安心できる壁だった。(頑丈さはさっき自分自身で確かめたばかりだったから、信用できた)
それから、すみかは真っ暗な世界の中で、……小さな箱の中で目を閉じて眠りについた。もしかしたら、もう二度と目がさめることはないかもしれないと思うと、ちょっとだけ怖かった。
でも、すみかは疲れていたのか、結構すぐに(緊張と恐怖でなかなか眠れないかもしれないと思ったのだけど)その箱の中で眠りにつくことができた。
……二度と目覚めることのない、永遠の眠りに。
さようなら。
最後にすみかは心の中でそう言った。
すみかの心の中に最後まで残っていたのは、家族のみんなの幸せそうな、いつかの家族の団らんの風景だった。
……それから、どれくらいの時間が経過したのだろう?
どんどんどん! と箱を外側から強く叩く音が聞こえた。
その激しい音で、すみかは深い眠りの中から無理やりに目を覚まされた。
すみかはその無理やりの目覚めに少しだけ不機嫌な気持ちになった。
……せっかく人が気持ちよく眠っているのに、……箱の外から箱を激しく叩いているのは、いったい誰だろう? とすみかは思った。
するとすぐにその人物の正体がわかった。
「大丈夫!? すみか、そこにいるんでしょ!? 今、すぐに開けてあげるからね!! 待ってて!!」という、とても大きな『聞き覚えのある声』が箱の外から聞こえてきたからだった。
それは『いばらの声』だった。
それからすぐに、がたがたと箱の外でいろんなものを動かすような音がしたあとで、ぎー、と言う音を立てて、箱がゆっくりと(……壁が横にスライドしていくようにして)、開いていった。
すると、開いた箱の外からは眩しい太陽の光が、世界いっぱいに入り込んできた。(すみかは、その光の中で、あまりの眩しさの中でそっと目を細めた)
「やっぱりここにいた。よかった。大丈夫? 無事? どこか怪我とかしてない!?」とすみかのことを見ながら、太陽の光を背にしているいばらは、すみかを見て安心して、ちょっとだけその目を涙ぐませるようにして、本当に嬉しそうな声でそう言った。
「大丈夫。まだ、生きているよ、いばら」とすみかはにっこりと笑って(体はすごく衰弱していた。すみかにできることはそれが精一杯だった)いばらに言った。
するといばらは「ばか。当たり前でしょ。死んだら終わりなんだからね、生きなきゃだめだよ。絶対にね」とすみかに向かって、(笑顔のままで)その手を伸ばしながら、そう言った。
すみかは、確かにそれはいばらの言う通りだ、と思いながら、すみかはいばらのその手を、しっかりと(自分の意思で)にっこりと笑いながら、握った。
デートだよ。楽しいね。
フラワーパーク 夢と希望と愛の国 (恋人同士のお客様には、『特別なプレゼント』があります。入り口で係りの者に申し出てください)
そんな可愛らしくて甘酸っぱいキャッチフレーズの書かれた、(そして、いらないサービスのある)とても恥ずかしい名前の大型施設のファンタジー風の装飾のなされた立派な白い門の前で、すみかは一人で、さっきから三十分くらい立ちっぱなしのまま、一人の知り合いの女の子のことを、ずっと待っていた。
隣を歩いて通り過ぎていくのは、幸せそうな家族連れと若い恋人たち。
そして、とても仲の良さそうな親友同士と思えるような、高校生や中学生くらいの女の子の集団たち。
みんなすごく幸せそうな顔をして、その白い門をわくわくしながらくぐっていった。
あまり楽しそうじゃない顔をしているのは、すみか一人だけだった。
それもそのはずで、すみかは遊園地という場所があまり好きではなかった。
いや、遊園地に限らず、人の多い場所は苦手だった。
だから普段であれば、すみかは絶対に遊園地のような場所にくることはないはずだった。
そのすみかがなぜ、一人でフラワーパークという恥ずかしい名前の、すみかの住んでいる地方にあるあまり規模の大きくない、知名度の低い、地元の人しか名前を知らないような遊園地の白い門の前で、こうして待ち合わせをしているのかというと、それには深いわけがあった。
すみかが待っている知り合いの女の子はすみかと同い年の中学一年生の、すみかと同じ中学校に通っている、すみかとは違う教室の女の子で、名前をいばらと言った。
すみかといばらは、小学校のある時期まで家が隣同士で、いわゆる幼馴染の関係だった。(いばらの家族が同じ街の違う場所に引越しをしたことで、家は隣同士ではなくなった)
ある日、いばらが放課後の教室ですみかに、「あのさ、すみか。実はお母さんから、このチケットをもらってさ。二人分あるから、良かったらすみかと一緒に遊んできなさいって言われたんだけど、……どうする? 一緒にいく?」とちょっとだけ照れた顔をしてすみかに聞いていた。
すみかは恥ずかしいし、遊園地も好きではないので最初、その誘いを断ろうと思った。
でも、すみかは、「わかった。いいよ。遊園地に行くのは、今度の日曜日でいいかな?」といばらに言った。
いばらはそのすみかの言葉を聞いて、「えっ」と言って、本当に驚いたという顔をした。(いばら本人は、どうやらすみかが断ると思っていたようだった)
そんなことがあって、二人は日曜日の今日、隣の街にあるフラワーパークの白い門の前で待ち合わせをしたのだった。
すみかがいばらの誘いを受けたのには理由があった。
それは最近のいばらの様子がどこかおかしいと思っていたからだった。
その理由を知りたいとすみかは思っていた。
もしなにか悩み事があるのなら、自分にできることなら、いばらの悩みの相談に乗ってあげたいと思ったのだ。
「お待たせ」という声がした。
すみかが声のしたほうを見ると、そこには見慣れた中学校の制服姿ではない、私服姿のいばらがいた。
……暖かい三月の春の風が、二人の周囲を吹き抜けた。
入り口に書いてあった特別なプレゼントとは赤い風船のことだった。
すみかといばらは自分たちは恋人同士ではないと受付のとても愛想の良い笑顔の素敵なお姉さんに会ったのだけど、「せっかくですから、どうぞ」と言ってすみかといばらに一つずつ赤い風船を手渡してくれた。
周囲の様子を見てみるとどうやらそう言って入場者の全員に色とりどりの風船を手渡しているみたいだった。
すみかはいばらの様子が気になったのだけど、いばらは案外嬉しそうな顔をしていた。(そんないばらの顔を見てすみかはほっとした)
「ラッキーだったね。風船」
とにっこりと笑っていばらは言った。
「うん、でもちょっと邪魔じゃない?」とすみかは言う。
するといばらは「もう、夢がないな、すみかは。まあすみからしいと言えばらしいけどさ」と上機嫌なままでそう言った。
それからいばらは空を見上げた。
そこには青色の空が広がっている。その青色の高い空をみて、すみかは自由という言葉を思い出した。
「さてとじゃあ最初はどのアトラクションに乗る?」
入り口の白い門をくぐったすぐのところにあるフラワーパークの大きな地図を見ながらいばらは言った。
「どれでもいいよ。いばらが決めてよ」とすみかは言った。
すみかといばらが二人で一緒に行動をするとき、なにをするのか決めるのはいつもいばらだった。
「うーん。それじゃあ、どうしようかな?」
腰に両手を当てた姿勢で真剣な顔をしながらいばらは言った。
いばらは青色のワンピースを着ていた。足元には白い靴を履いていて、白い小さめのバックを背負っている。
頭には真っ白な(水色のリボンのついている)丸い帽子をかぶっていた。
すみかは緑色のシャツを着ている。デニムのズボンを履いていて足元はスニーカーだった。
背中には大きめの黒のバックを背負っている。
二人とも手には先ほどもらった赤い風船を持っている。がその風船には飛んでいくことを防止するための指にはめることができる輪っかのようなものが付いていた)
すみかが周囲を見ると人はほとんどいなかった。ただまっすぐな白い道が緑色の芝生の間に伸びているだけだった。
世界はとても静かで、どこがで鳥の鳴く声だけが聞こえてきた。
遠くには大きな観覧車が見えた。この地方にある小さな遊園地の一番の人気のあるアトラクションだった。
その観覧車に昔、もっと小さかったころにすみかはいばらと一緒に乗ったことがあった。
「よし。決めた。まずはメリーゴーランドに乗ろう」とすみかを見ていばらは言った。
「わかった。そうしよう」とすみかは言った。
驚いたことに歩き出したとき、いばらは自然とすみかの手を握った。
すみかはそんないばらの行動にすごく驚いたのだけど、いばら本人はすみかを見て「デートだからね。手くらいはつないでもいいでしょ?」とにっこりと笑ってそう言った。
歩いていく途中の道にはソフトクリームを売っているの小屋があった。
その小屋ですみかといばらはソフトクリームを一つずつ買った。
すみかは「奢ろうか?」と言って財布を出したのだけど、いばらは「大丈夫」と言って自分の財布を出して自分の分のソフトクリームを買った。
それから二人はまた手をつないで歩き出した。
歩いている最中に、「すみかはあのお城の中に入ったことある?」といばらは言った。
いばらの言っているあのお城とはフラワーパークの中央にある白い中世のようなお城のことだった。
観覧車に並んで人気のあるアトラクションで、フラワーパークの名前の通り、いろんな綺麗な花が咲いているとても綺麗なお城だった。
「あるよ。お城の中にあるお土産屋さんでぬいぐるみを買ったことがある」とすみかは言った。
「違うよ。それは普通のお城の一階のところのお話でしょ? 確かにお城の中だけど、通路みたいな広い道を通って、広場みたいなところを歩いて通り抜けるだけでしょ?」
「まあそうだけど、あそこはそう言うアトラクションでしょ?」とすみかは言う。
するとふふっと笑ってからいばらは待ったましたと言うような得意げな顔をすると「実はそれだけじゃないんだな。あのお城はね、ちゃんと二階や三階があってね、そこまで入ることができるようになっているんだよ。すみか。知らなかったでしょ?」といばらは言った。
「知らなかった。あのお城の中に入れるの?」と本当に驚いてすみかは言った。
「もちろん。嘘じゃないよ。隠しアトラクションてやつ。結構あるんだよ。フラワーパークの中に隠しアトラクション。噂だと十個あるんだって。その中で私が知っているのが三つ。一つはお城の中に実際に入ることができること。二つ目はレストランでいつもとは違う豪華な食事会ができること。三つ目は夜の時間にだけ開催される怖いアトラクションがあること。私が知っているのはこの三つだけど、すみかはなにか知ってる?」
「一つも知らない」とすみかは言った。
「まあそうだよね。男の子はあんまり興味ないみたいだもんね。隠しアトラクション。でも女の子の間では結構話題になったりするんだけどな」ソフトクリームを一口食べてから、いばらは言った。
「十個全部見つけるとね、願いが叶うって噂があるんだよ」
いばらは言う。
「願い?」
すみかは言う。
「そう。願い。好きな人と一緒になれるんだって」
そう言っていばらはすみかの顔を見て笑った。
メリーゴーランドは思っていた以上に楽しかったし、サーカス小屋みたいなレストランでの食事も美味しかった。
観覧車には乗らなかった。
お城の中に入ることもしなかった。
その代わりよく歩いたし、よく話をした。(いばらと何気ない話をしながらこんなにたくさんいばらと話をしたのはどれくらいぶりだろうとすみかは思った)
いばらはよく空を見ていた。
青色の空を。
その青色の中になにかとても大切なものを探すようにして。
そんないばらの横顔を見て、すみかは僕たちはいつか、大人になるんだと思った。
すみかはいばらの言っていた隠しアトラクションを探してみた。
でも全然ひとつも見つけることはできなかった。
そしてデートの時間は終わって、お別れの時間になった。
「今日はありがとう。すごく楽しかった」
フラワーパークの白い門の前でいばらは言った。
いばらはなにかをすみかに伝えようとしていた。
でもそれがなんなのかすみかにはわからなかった。
「あのさ、すみか。ちょっとだけ時間いい? 少しだけすみかに話したい大切なお話があるの」ととても真剣な顔をしていばらは言った。
「いいよ。もちろん」とすみかは言った。
入るときにもらった赤い風船はいつのまにか小さく萎んでしまった。(それでもまだ空に浮かんでいたけれど)
嫌な予感は確かにしていた。
本当はいばらのお話を聞きたくないとも思った。
でも僕にはそれを聞かなてはいけないんだと言う気持ちが今にも泣き出しそうないばらの顔を見ていてそう思った。
「私ね、今度また引っ越しをするんだ。今度はずっとずっと今よりも遠いところに引っ越しをするの。だからもうすみかとは会えたくなっちゃうね」
と無理やり笑った顔をしていばらは言った。
すみかがいばらのことを好きだったのかと言われると、たぶんそうだったのだろうとすみかは思った。
こうして離れ離れになってみて、いばらと会えなくなって、初めてそんな自分の気持ちにすみかは気がついた。
いつもすみかの近くにいてくれて、すみかのことを守ってくれたあの強い女の子はもうどこにもいないのだと思った。
すみかはいばらへの手紙を思いを詰め込んだ手紙を書き終えてからそんなことを思った。
今度の日曜日。
すみかはいばらにあの日、お別れの日にフラワーパークの白い門の前で、二人でした約束の通りに会いに行くことにした。
電車に乗って。
とても遠い街へ。
(そこは海の見える街らしい)
そのとき、すみかはいばらに告白をしようと思っていた。
今度は今までのお返しに自分がいばらのことを一生涯、守っていくために。
日々、すみかの中から失われていく、いばらの声と笑顔をもう一度、思い出すために。
もう怖くないね。
とげとげ、いばら姫。 終わり