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異世界でのご飯作りは、幸運の高さが美味しさを左右します!?

作者: 海坂依里

「俺だって、ちゃんと学校通いたい……」


 特別、不健康だったわけじゃない。

 だけど、大事な学校行事には必ず体調を崩してしまう。

 それが俺、穂鳥羽在音(ほとばあると)が生まれて持った宿命だった。


「まともな青春、経験したいんだよ……」


 大きくなれば少しは丈夫な体になれるんじゃないかと思っていたのに、大事な高校受験当日に道端で倒れるほどの高熱を出した。


『美味しい物をいっぱい食べて、しっかり寝て、それで健康な身体を維持しなさい』


 風邪をこじらせて死んだ俺を待っていたのは、聞き慣れない女性の声。

 凛とした声が女神さまっぽいなーって印象だけは残っているのに、肝心の女性の顔を見ることなく俺は新たな人生を授かった。


「都市レストリアーク……ギルド受付……」


 新しく生きることになった世界では幼少期の記憶がないにもかかわらず、異世界の文字を読むことができるという特別待遇を授かった。


(まともな学校生活送ってこなかったから、16の歳からやり直せるって最高すぎるっ!)


 周囲を見渡すと、人々は西洋風の世界観に染まった中世風の衣装を身に纏っているのが分かる。


(なんで俺だけ体操着なんだよ……)


 異世界転生を果たしたばかりの俺は、現代の日本でいう体操着姿で世界観に染まることができていない。

 中世ヨーロッパに日本の体操着っていう違和感ありありの服装が、今は本気で恥ずかしい。


(このアウェイ感を早めになんとかしないと……)


 健康な身体さえあれば、新しく始まった人生もなんとかなるんじゃないか。

 そんな前向きな思考が生まれてくる自分をくすぐったく感じつつも、俺はギルドと名の付く建物の扉へと手をかけたときのことだった。


「ぐわっ」


 前世の日本では発したこともないような奇怪な声を上げたのは、ほかの誰でもない。

 ギルドに足を踏み入れようとした俺の意思に反して、強い力で肩を掴まれてギルドに赴くことを阻まれた。


「おまえ、職を探してるんだな」


 振り返ると、いかにも人を殺すことで生計を立てていそうな凶悪そうな男が俺に目をつけた。

 目つきや口の形状、眉毛の角度が悪人っぽく、嫌な予感しか感じないことに背筋が凍りつきそうになる。


「職探してる奴、見つけたぞ!」


 体格のいい凶悪そうな男は俺の話に聞く耳なんて持ってはくれず、細い路地に潜んでいた仲間たちを呼ぶために声を上げる。


「今日から、ここがおまえの職場だ」


 あまりの恐怖に言葉を発することができなくなり、人さらいですと大声を上げることは叶わなかった。

 複数の男たちに引きずられるかたちで、俺は独房のような場所へと連れてこられた。


「頑張ってくれよ!」


 大柄の男に背中を押されることで、足のバランスを崩して倒れ込む。

 俺を攫った男たちは、その場へと転がり込みそうになるという醜態に大きな笑い声を上げた。


(くそっ……)


 負け組感満載の新しい人生に、涙腺が緩みそうになる。


(ただ、青春を謳歌したいって願いすら叶えられないのかよ……)


 自分とは似ても似つかない体格の男に背中を押され、確実に真っ赤な痕が残っているって確信があるくらい背中に痛みを感じる。


「ここに来たからには、ちゃーんと働いてくれよな」


 細柄の俺が開けられるわけがないって決めつけたくなるくらい厳重そうな鉄の扉。

 そこへ向かうように指示され、もう逃げ出すことはできないのだと覚悟を決める。


(ここから地獄の始まりか……)


 振り返ったところで、誘拐犯の男たちは俺が鉄の扉を開けるのを心待ちにしているだけ。

 無理に逃走を図って、男たちに暴力を振るわれるのが最善か。

 それとも、何が待っているか分からない鉄の扉を開くのが最善か。


(だったら……!)


 扉に全体重を乗せ、勢いに任せて扉を開こうとしたときのことだった。


 「お願いしていた人手は、まだですか」


 自分が全体重を使って鉄の扉を開くよりも先に扉が開いたため、またしても自分の体はよろけてしまった。


「ギルドの前をうろうろしてたから、ここに連れてきた」

「それは誘拐……まあ、いいです。人手は多い方が、私たちも助かりますので」


 扉の向こうから現れたのは、小学生の高学年くらいの身長が特徴的な少女。

 さりげなく()()という恐ろしい言葉をさらりと流した少女の髪色は薄い青色。

 やっぱり、ここは現代日本ではないことを彼女の馴染みのない髪色が教えてくれた。


「初めまして、ミネです。さっさと中に入ってください」


 小学生と大差ない外見の少女がどうやって鉄の扉を開けたんだと仕掛けを知る前に、ミネと名乗った少女は再び鉄の扉をいとも簡単に開けてみせた。


「リリアネットさん、人手の到着です」

「よっしゃーーーー!!!!」


 鉄の扉の向こう側に待っていたのは、桜の花を思い出させる淡い桃色の髪色の少女。

 そして、独房のような場所に連れてこられたとは思えない清潔感のある厨房。


「さっさと野菜の皮を剥きましょう」

「うん、うん! これで成功確率は上がったんじゃないかなぁ~」


 ミネと名乗った少女は腰あたりまでの長さある髪を結って、ポニーテールの状態を生み出す。

 リリアネットと呼ばれた桃色の髪の少女は、こちらも器用にウェーブのかかった髪を綺麗に魅せるツインテールへと自分の状態を整えていく。


「あなたは、玉ねぎの皮を剥いてください」


 新しく人生が始まったのを自覚できたものの、まさか現代日本でも馴染みのある食材が目の前に用意されるとは思ってもみなかった。


「あ、手を洗うのが先ねぇ」


 ミネが小柄なこともあって、リリアネットという少女はスタイル抜群で随分とお姉さんっぽく見える。


「水は……」

「魔法を使ってください」


 は?

 と心の中で思ったことは、この場にいる二人にはどうか伝わらないでほしい。

 魔法と呼ばれるアニメやゲームの世界にしか存在しない力の使い方なんて、現代日本では教えてくれない。

 無知な自分を曝け出すのが恥ずかしくて、俺は言葉を出すのすら躊躇ってしまう。


「手を洗うのに、何十分かかるかなぁ」

「そんな人材は求めていません」


 女の子チームは朗らかな雰囲気の中で、それぞれニンジンとじゃがいもの皮を剥くための準備を整えてい……た……?


「あの、お二人は何をやって……」

「見て分かりませんか。食材を洗うんです」

「ねぇ」


 二人の間で、次の工程は決まっているらしい。

 けれど、俺の視界に映るのは、ニンジンとじゃがいもと真剣に睨めっこをしている二人の姿。

 二人はニンジンと玉ねぎの皮を剥くなんて展開とは程遠いところにいて、表情の存在しない野菜たちと終わらない睨めっこを続けていく。


(睨めっこをすれば、魔法が発動する……?)


 見様見真似。

 魔法の使い方なんて習ったこともないんだから、二人を模倣して何もないところから水を誕生させるしかない。


(手を洗うんだから、まずは手を差し出して……)


 魔法で発動した水が流れていくように、流し台へと両手を伸ばす。


「おっ」


 前世を懐かしんだのが功を奏したのか、俺は見事に何もないところから水を召喚させることに成功した。

 石鹸の泡が混ざった水なのか、手を擦り合わせると石鹸の香りが程よく漂って心地いい。


「えっ、凄い……もう、水が出ちゃったの?」


 大人と子どもの境目くらいの顔立ちのリリアネットさんが、手を洗っている様子を覗いてくる。

 何もやましいことはしていないはずなのに、手を洗っているってだけで羞恥心のようなものが生まれてくるのは何故なのか。


「こんなの……別に普通ですよ」


 生まれてくる羞恥心を紛らわせるために、急いで石鹸の滑りのようなものを流水で洗い流していく。


「それがねぇ、普通じゃないんだよ」

「何が……」


 手を洗い終わって、タオルか何かありませんかと尋ねる予定だった。

 でも、その予定はものの見事に覆された。


「水魔法を失敗すると、こうなります」

「って、うわぁぁぁぁ」


 新しい人生が始まってからというもの、前世の自分が発したことのないような奇声を上げ続けている気がする。

 現実に『うわぁぁぁぁ』なんて叫び声を上げる機会が本当にある思ってもみなかった。


「ミネさん? ミネ? あー、もう、分かんないけど、魔法を止めろっ!」

「止まらないから、困り果てているんです」

「魔法って、難しいよねぇ」


 ミネは食材を洗う準備を整えていたはずだが、そこに待っていたものは水が噴き出る噴水のような大惨事。

 厨房が水浸しになるのはもちろんのこと、この場にいた全員がミネの水魔法の犠牲になってしまった。


「なんとかくん、大丈夫?」

「やっと名乗っていないことに気づいてくれましたか……」


 永続する魔法は存在しないということらしく、ミネの暴走した水魔法は踵が水に浸る前くらいには自然と止まってくれた。

 履いていた靴下も靴も、絞り出せば溢れんばかりの水を吐き出すこと間違いないってくらい履き心地が悪い。むしろ気持ちが悪い。


「タオルです……ご迷惑をおかけしました……」

「ありがと……」


 ミネが顔を拭くためのタオルを手渡してくれたが、このタオルもタオルで拭き心地が良くない。

 もさもさしていて、あ、安いタオルだって、すぐに判断できてしまった。


「デッキブラシ持ってくるねぇ」

「あ、私もお手伝いしま……」

「魔法が存在するなら、魔法で乾かせばいいじゃないですか」


 自分が思い描いた魔法を発動させるために、妄想力を働かせる。


「え、でも、なんとかくん、魔法っていうのは……」


 病弱な自分は妄想の世界に浸るのが大好きだったおかげなのか、俺は第二の魔法を発動させることに成功する。


「凄いです……」


 第二の魔法どころか、同時に第三の魔法を発動しているかもしれない。

 夏の暑さを思い出させるような太陽の力を借りて水を蒸発させ、排水が間に合っていない厨房を乾かしていく。

 そして、この場にいる三人が着ている衣服も同時に乾かす。


「こんなにあっさり魔法が発動するなんて……」

「すっごいよ! すっごいね! ミネちゃんっ!」


 あんなに気持ち悪かった靴も靴下も一緒に乾き始め、元の履き心地を取り戻していく。

 妄想の力、最高。

 そんな言葉を叫んでしまいたくなるくらい、魔法は都合よく願いを叶えてくれる。


「ふわふわです……」

「え、え、え、なんか素材が変わったみたい……」


 厨房にいる三人が着ている衣服は、恐らくそこまで高価なものではないことが見て分かる。

 でも、魔法の力を借りた衣服たちは、柔軟剤の効果を備えたくらい柔らかく仕上げることができた。


「こんな簡単に魔法が発動するなんて、なんとかくんは天才だねっ!」

「アルトです! ア・ル・ト!」


 新しく始まった人生も在音という名前かどうかは知らないけど、前世は海外でも通用しそうな名前だったことに今は大きく感謝したい。


「なんとかさん、その調子で、こちらの食材を洗ってもらえると助かります」


 欲を言えば名前を呼んでほしかったけど、強制させたくないし、無理もさせたくない。

 前世で友達らいし友達を作ることができなかった俺からすれば、この距離をどうやって縮めていいのか分からない。


「水の量、これくらい?」

「完璧です」

「うん、うん、洗い物しやすいねっ」


 魔法の力で水道の蛇口を捻ったときのような水の量を二人に提供すると、二人は水の恵みに感謝しながらニンジンとじゃがいもを洗い始める。


「なんとかさんは、天才ですね」


 いちいち俺の様子を気遣ってくれるのに、どうして名前を呼んでくれないのか謎な存在のミネ。

 でも、俺からしてみれば、この共同作業に幸福感を抱いてしまって、名前を呼ばれないことなんてどうでもよくなってくる。


「たまたま……魔法との相性がいいんだと思う……」

「相性がいいというのも、立派な才能の一つですよ」

「だねぇ。この世界は誰もが魔法を使えても、魔法を上手に使える人間の数が少ないからねぇ」


 高校を受験することができなかったあの日の俺に、新たな青春を与えようとしてくれるミネ。

 凶悪な男たちに誘拐されたあとだっていうのに、これから先の未来に希望が待っているんじゃないかって気持ちで満たされていく。


「その……魔法学園……みたいな教育機関は……」

「魔法学園は、お金持ちのお嬢様やご子息が通われる場所ですから」

「私たちみたいな庶民には、手の届かない場所だよねぇ」


 魔法学園に通えば、魔法の成功率を高めることができるんじゃないかって考え自体が安易なものだってことに気づかされた。


「まだ……その、夢を見たって……」


 まだ、夢を諦めなくてもいい年齢のはず。

 でも、自分の声があまりに弱すぎて、二人を励ますことすらできない。


「私たち下働きは、寝食が保障されていれば十分なんですよ」


 ミネは悲観した声ではなく、はっきりとした声を発した。

 これが自分の日常だって現実を、しっかりと受け入れている。


「命があるだけ、ありがたいよねぇ」


 何も楽しいことなんて起きてもいないのに、リリアネットさんは嬉しいことがあったんだと言わんばかりの柔らかい笑みを浮かべた。

 この独房のような場所に用意されていた厨房での仕事は、二人にとって過酷なものではないってことが分かる。


「ミネ」


 左手は食材を洗うための水魔法を継続しながら、右手はミネの頬を目がけて水鉄砲を飛ばす。


「っ」


 食材を見つめたまま言葉を発しなくなったミネは顔を上げ、攻撃を仕掛けた俺へと視線を向けた。


「ここに魔法を成功させてる人間がいるんだから、もっとおっきな夢……抱いてくれ」


 恥ずかしい。

 新しい人生を始めたばかりの自分が言葉にするにしては、出来すぎた言葉が口からさらりと出てきていることに驚かされる。


「だねっ、こんなに魔法の成功率が高い人、初めて会ったよ」


 リリアネットさんが朗らかな笑みを浮かべながら、優しすぎる声と言葉を送ってくれた。


「……まったく、出来すぎる後輩を持つ先輩の身になってください」


 手の甲で、頬を濡らした水を拭うミネ。

 その際に、ニンジンに付着した土がミネの頬を汚した。


(でも、言わないでおこう)


 その光景が、面白いって思えた。

 楽しいって思えたから、俺とリリアネットは目を合わせて秘密を共有する。


「ふぅ、なんとかさん、ありがとうございました」

「はいはい、もうなんとでも呼んでくれ」

「次は、野菜を切らなければいけませんね」

「って、なんで、また睨めっこなんだよ!」


 前世では大声を上げる機会なんてものはなかったはずなのに、新しく始まった人生ではツッコみの量が半端ない。

 ほんの少し大声を出すだけで、喉が痛くなってくる。


「なんでって、魔法を発動させるためです」

「野菜を切らなきゃ、煮込むことも炒めることもできないでしょ?」


 二人は、さも当たり前のように野菜と向き合う。

 でも、二人がカレーの材料になりそうな野菜たちと真剣な睨めっこを繰り広げたところで、魔法のまの字も発動しそうにない。


「野菜を切るんだから、包丁使った方が早い……」

「包丁とは、なんですか?」


 刃物の類を探しに行こうとしたが、その足すら止まってしまった。


「え、あー……」


 もしかすると、包丁という言葉は日本限定の言葉なのかもしれない。


「ナイフ? カッター……は違うか。剣? ソード的な何かは……」

「何をおっしゃっているのかわかりませんが、野菜は風魔法を使って切るものですよ」


 ミネは出会ったときから淡々とした口調だったが、それは今も変わることがない。

 この薄い青色の髪色の少女は淡々と、この世界には刃物の類が存在しないことを教えてくれる。


「え、ちょっと待った、何でご飯を食べて……」

「何って……」


 こんな西洋風の世界観なのに、まさかナイフとフォークが存在しないなんてことがあるのか。リリアネットさんが視線を向けた先に、俺も一緒になって視線を向ける。


「箸……」

「箸以外で、何を食べるというのですか」

「え、じゃあ、汁物……スープは!」


 いかにもゲームの中にありそうな西洋風な世界なのに、この世界での食事は箸を使う文化だということを学ぶ。

 さっきから新しい世界での学びが多すぎて、頭が爆発しそうになっている。


「スープは、スプーンです」

「スプーンはあるのかよ!」


 ミネは自慢することなんて何もないはずなのに、堂々と銀製品で作られたスプーンを俺の目の前で自慢してみせる


(この淡々とした口調が、喉を痛める原因だ……)


 俺はもっとミネにテンションを上げてほしいという意味合いも込めて、経験したこともないくらいの大声でツッコんでいくという展開を導いているのかもしれない。


「お味噌汁は、箸だよねぇ」


 明日、不慣れな声を出したことが原因で喉が枯れてしまうかもしれない。


(ってことは、野菜を切るのも魔法を使わなきゃいけないってこと……)


 妄想の力を働かせたところで、包丁を召喚することはできない。

 だったら、風魔法とやらで野菜を切るイメージを頭の中で広げていくしかない。


「え、アルトくん、本当に天才なんじゃない?」


 妄想の力で魔法が使えるようになるのなら、こんなにも容易い術はないと思う。

 包丁で野菜を切るイメージを妄想するだけで簡単に魔法は発動し、野菜たちはとんとんとんというリズムに乗って食べやすい大きさへと刻まれていく。


「なんとかさん、こちらもお願いします」

「アルトくん、こっちも!」


 野菜だけでなく、本日の食事で使う肉を風魔法の力で切り分けていく。


「なんとかさん、次は炎魔法です」

「はいはい、炒めればいいんだろ」

「正解です」


 誰もが魔法を使うことができる世界っていうのに間違いはないんだろうが、その魔法の成功確率が異常なまでに低いということを察する。


「今日は美味しいお夕飯が食べられそうだねぇ」

「成功報酬、弾んでもらえるかもしれませんね」


 ミネの成功報酬と言う言葉を聞いて、俺を誘拐した男たちは凶悪そうな外見に反して本当に調理担当の人間を探していただけなんじゃないかと悟る。


「新しいお洋服、買いたいなぁ」

「私は、ご飯のあとの甘い物が欲しいです」

「いいねぇ、いいねぇ」


 ほんの少し先の未来に夢を抱く二人を見て、何がなんでも魔法を成功させて美味い食事を提供したいって気持ちが自然に生まれてくる。


「やっぱり、なんとかさんは天才です」


 相変わらず名前を呼んでくれないミネに油断してしまって、ミネが笑いかけてくれた瞬間に目を奪われた。

 喜びの感情と共に、ポニーテールで結んだ髪の毛がゆらゆらと揺れ動いているところが可愛いなんてことを思ってしまった。


「最大の難関までやってきましたね」

「だねっ」


 ミネとリリアネットさんは、何人分の食事を作っているんですかってツッコみたくなるような大鍋の中を覗き込む。

 もちろん大鍋の中には、俺が炎魔法で火を通した食材が煮込まれている。

 今か今かと、人間に食されているのを待ち望んでいるはず。


「なんとかさん、作るのは肉じゃがです」

「じゃがいもがほっくほくの肉じゃがだと嬉しいなぁ」


 あまりにもツッコむことの多い人生に早々と疲れてしまったのか、この西洋風の世界観に肉じゃがが立派に溶け込んでいることへのツッコみを忘れてしまった。


「ちなみに、調味料は……」

「なんですか? ちょうみりょうとは」

「肉じゃがが美味しくなる何か?」


 調味料がないのかよ!

 そう声に出してしまうと、本当に喉が枯れてしまいそうだったから心の中で盛大にツッコんでみた。


(は? は? 調味料がない????)


 肉じゃがの味は分かる。

 さすがに肉じゃがの味はまだ記憶に残っているものの、その肉じゃがの味を魔法で再現するってことの意味が分からない。

 どう妄想を広げたら、肉じゃがが完成するのか。


(醤油を使ってるのは分かってるけど、なんであの甘さが出るんだ?)


 調理実習で肉じゃがを作った記憶がないため、肉じゃがの甘さが何でできているのか想像もつかない。


(まあ、魔法がどうにでもしてくれるだろ……)


 気持ちだけは込めた。

 美味しい肉じゃがになってくれっていう気持ちだけは、しっかりと込めた。


「これ、白飯が何杯あっても足りねぇなぁ……」

「こんなに塩辛い食べ物が存在したんすね……」


 楽しい楽しい食事の時間の始まり。

 とは、もちろんならなかった……。


「あー……」

「新入り、そんなに落ち込むなよっ」


 痕が残りそうなくらいの馬鹿力で背中を叩いてくる大男に向ける顔がない。

 これは俺への嫌がらせではなく、励ましという意味だったと解釈できた今だからこそ、顔を向けることができずにテーブルへと伏す。


「最後の最後に失敗してしまうなんて、なんとかさんらしいですね」

「俺の何がわかるんだよ!」

「ははっ、でも、わかるなぁ。アルトくんっぽいよ」


 俺は、最後の最後。

 味付けの過程で、魔法を大失敗してしまった。

 食材に味が付いただけ褒めてほしいと思うものの、その味が付いた野菜と肉たちが塩辛すぎて食事の時間がちっとも楽しいものにならない。


「あー、あー、あー……」

「そんなに落ち込まなくても、これが現実です」


 ふと顔を傾けて、俺たちと一緒に食事している凶悪そうな男たちへと視線を向ける。

 今にも人を殺してしまいそうな人相をしていて、この人たちの職業はなんですかってツッコミたいのに、その残忍さを含んだ顔立ちの男たちは文句も言わずに失敗した料理を食べ進めてくれる。


「魔法の難しさ、痛感してもらえたでしょうか」

「嫌ってくらい痛感した」


 魔法の力を利用しての肉じゃが作りは失敗したものの、そのあとの米を炊くって作業はなんなくこなすことができた。

 再び魔法を成功させることはできたため、俺の力が弱まったとかそういうことではないらしい。


(なんで、味付けの過程だけ失敗したんだろ……)


 たまたま失敗しただけと思い込みたいけど、実際は自分が調子に乗ったからなんじゃないかって発想も生まれてくる。


(褒められたの……嬉しかったからかも)


 塩辛さしか感じない食事を口に運んでいくと、まるで漬物と白飯を一緒に食べているような感覚になっていく。

 漬物の味は懐かしいはずなのに、調理された食材は肉じゃがを目指していたって思うと申し訳なさが生まれてくる。


(勇気、出さなきゃ……)


 ちゃんと、顔を上げる。

 ちゃんと、ミネとリリアネットと目を合わせる。

 無理しているのではなく、ちゃんと、俺は大丈夫だって表情を浮かべてみせる。


「あの、俺を、ここで雇ってほしい」


 ここで働きたいって言葉にするだけで苦労するなんて思ってもいなくて、心臓が激しく動いていることに動揺する。


「ありがと~! じゃあ私、アルトくんの部屋を用意してもらえるようにお願いしてくるね」


 リリアネットさんは手続きを済ませるために、食堂っぽい場所から去っていった。


「なんとかさんの魔法、とても戦力になっているので助かります」


 味付けは失敗したけど。

 そんな言葉を心で付け加えて、天狗にならないように気を引き締める。


「なんとかさんのおかげで、これから美味しいご飯をたくさん提供できそうで……その、とてもわくわくとした気持ちになります」


 何か重要な告白をされたわけでもないのに、一気に自分の顔が熱を帯びるのを感じる。

 意味の分からない恥ずかしさに包まれながら、俺はまた度を越えた塩辛い野菜たちを口に運んだ。


「俺も……美味い料理、食べてもらいたいなーって」


 落ち着け、落ち着け、俺の心臓。

 言い聞かせていく自分が格好悪いのに、そこまで自分のことを嫌いになれないのはどうしてなのか。


「ちゃんと勉強して、美味い料理を提供できるようになりたい」


 新しく始まった人生に待っていたものは絶望しかないと思い込んでいたけれど、新しく始まった人生はそこまで悪いものではなかった。

 むしろ、俺の人生を支えてくれるんじゃないかって人たちとの出会いに深く心が動かされているのを感じる。


「ふふっ、何百年かかるでしょうか」

「え、ちょっ、ま、何百年もかかるって……」


 ついさっきまで、俺はミネが生きてきた世界に存在しなかった。

 さっきまで存在しなかった人間だから、知らなかった世界のことを知りたい。

 新しい世界のことを知って、前世で経験できなかった青春ってものを経験してみたいって思う。 


「一緒に頑張りましょう、なんとかさん」

「アルト」


 人の名前を呼ぶ気がない奴の夢なんて忘れてくれてもいいのに、名前を呼んでもくれない夢を応援しようと言葉をくれるから、言葉を返すことをやめたくないって思ってしまう。


「俺の名前は、アルト」

「そ……れは……まだ……早いかと……」


 ただ名前を呼んでもらいたかっただけなのに、ミネは視線をあちらこちらにさ迷わせて挙動不審状態。


「初めて名前を呼ぶときは……と決めて……」


 顔を赤らめたミネを見ていると、こっちが悪いんじゃないかといたたまれない気持ちに襲われていく。


「名前……呼んでほしいだけなんだけど」

「な……そんな恥ずかしいことをおっしゃらないでください!」


 自分は、なんてちょろい人間なんだと思わなくもない。

 ミネに感じる胸のときめきとか、これが恋なのかって錯覚してしまいそうになる。 


「物事には順序というものがあるんです……」

「え、仲良くなるのに、そんな乗り越えなきゃいけない壁が……」


 コミュニケーション能力に乏しい同士の、異世界生活の始まり。

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