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メグミとの思い出

作者: 橋本洋一

 高校二年生のとき、僕はメグミと出会った。

 一個下の彼女は僕よりも背が高くて、モデルさんみたいな体型をしていた。

 瞳はきらきらと輝いていて、覗かれると胸のときめきを感じるような魅力を備えていた。

 艶やかな黒髪は短くカットしている。そのほうが動きやすいのだとメグミは笑った。


 そんなメグミと出会ったのは、爽やかな風が吹いていた五月の頃だった。

 僕が入った年に新校舎になったので、まだ真新しい図書室は本の匂いに満ちていなかった。イギリスの円形図書館をイメージして建てられたそれは入学して一年経っても新鮮に思えた。


 新聞部だった僕は資料を探しに訪れていた。

 今度の記事は少し面倒だなと思いつつ、棚の上のほうにお目当ての本を見つけた僕は手を伸ばした。でも届かない。あとちょっとで届くのになと踏み台がないか視線を落とす。


「あのう。私が取りましょうか?」


 そう申し出てくれたのはメグミだった。

 親切な子だなと思いつつ「お願いします」と頼んだ。

 本を僕に渡して「難しい本を読むんですね」とメグミは言う。


「新聞部の活動で必要なんです。ちょうど法律ではどうなっているのかなって」

「そうだったんですね。頑張ってください」


 短い会話を終えて僕は新聞部の部室へ戻った。

 すると新聞部の先輩に「石田くん。ちょっといいかな」と手伝うように言われた。

 明日、陸上部の取材で写真を撮ってほしいとお願いされた。

 僕は二つ返事で引き受けた。


 そして翌日。

 僕と先輩が陸上部が練習しているグラウンドに行くと、そこにはメグミがいた。


「ああ。昨日の新聞部の人だ」


 メグミは笑顔で手を振ってくれた。

 先輩は知り合いなのかと僕に訊ねた。

 昨日のことを話すと「情けないなあ。普通逆でしょ」と呆れられた。


「それで、お礼はしたの?」

「いえ、特には……」

「駄目よ。女の子に助けられたんだから」


 メグミは「別にお礼のために助けたわけじゃないですよ」とやんわり断ったけど、先輩は強引に学食でも奢るようにと僕の背中を押した。


 僕は迷惑かなと思ったけど、明日の昼に奢ると言った。

 メグミは少し迷いながら「ありがとうございます」と応じてくれた。

 それから連絡先を交換した。当時はスマホもラインも無かったので、メアドと電話番号を互いに教えた。


 それから僕とメグミの交流が始まった。

 陰気で根暗な僕と明るくて活発なメグミが仲良くなれるとは思わなかった。

 だけど、一緒にいて落ち着ける関係になっていった。馬が合ったのだろうと僕は思う。


「石田先輩は将来、何になりたいですか?」


 僕が三年のとき、メグミはにこにこ笑いながら訊ねてきた。

 特になりたいものが無かった僕は「とりあえず、まともに生活できたらいいね」と答えた。


 僕の家庭環境は最悪だった。

 頭のおかしい兄が僕に暴力を振るって、それを回避するために一人で暮らしていた。

 家族とはまともに会っていなかった。


 そのことはメグミには話していた。

 多分、同情してくれたんだと今となっては思える。


「先輩は頭が良いから、きっと幸せになれますよ」


 頭が良くても環境が悪ければ人は不幸になる。

 その事実をよくよく知っていた僕だったけど、無垢な瞳で見つめてくるメグミを否定できなかった。


「ありがとう。必ず幸せになるよ」


 それから僕は今いる埼玉県から京都府の大学に進学した。

 メグミとはちょくちょく連絡を取っていた。

 彼女は都内の大学に進学する予定だ。


「先輩。たまにでいいから会いに来てくださいよ」


 僕のことを心配してくれているのか、そういったメールを送ってくれた。

 メグミが大学に合格したら会おうと約束した。

 それまで一人で頑張ろうと思った。



◆◇◆◇



 心を病んでしまった僕は実家で寝たきりの生活を送っていた。

 既に兄はいなくて、母と祖母だけが住んでいた。

 だけど安心できなかった。死にたいと思っていた。


 大学の友人が死んだ。僕のせいで死んだ。

 その重い十字架が僕を苛んだ。


 食べる気力が無かった。

 このまま餓死しよう。友人に謝ろうと思っていた。


「石田先輩……食べてください」


 メグミが枕元にいた。

 卵雑炊をスプーンですくって食べさせようとする。


「ごめんね。僕はもう死にたいんだ。つらくて悲しくて、生きたくないんだ」

「どうしてですか? 幸せになりたいんじゃないんですか?」

「だって、何のために生きているのか、分からないんだ」


 メグミは泣きそうな顔をしていた。

 申し訳ないなと思いつつ、目を閉じた。

 何も考えたくなかった。


「じゃあ、私のために生きてください」


 覚悟を決めた声だった。

 メグミはぽろぽろと涙を流していた。

 震える手でスプーンの先を僕の口元に添える。


「私、先輩がいないと寂しいです。死んじゃうなんて嫌です」

「…………」

「なんでもします。先輩が生きてくれるのなら、結婚でもしましょう。一生支えます」


 兄に疎まれて、家族から見捨てられた僕にそこまで言ってくれる人はいなかった。

 友人の死の原因を作った僕だけど、生きてていいのかなと思ってしまった。


「……ありがとう」


 僕はゆっくりと、雑炊を食べた。

 優しい醤油味で、美味しかった。



◆◇◆◇



 それから僕は大学を辞めて専門学校に入った。

 そしてメグミと一緒にアパートで暮らすことになった。

 家賃は僕の親が出して、食費はメグミの家族が出してくれた。


 ままごとみたいな暮らしだったけど、心が落ち着く時間が多かった。

 つらい出来事も考えなくなった。

 もちろん、悲しいことは起きたけど、メグミが一緒にいてくれたから乗り越えることができた。


 今までの人生の中で幸せだったと思う。

 そのくらい穏やかな心でいられた。


 だけど、そんな毎日は長く続かなかった。

 それは僕が臆病だったからだ。


 僕は駄目な人間だ。どうしようもないくらい意気地なしで度胸がない。

 メグミを失うことを恐れて、メグミに嫌われることを怖がった。

 だからメグミの望みはできるだけ叶えようとしていた。


 それでも、メグミの一番の望みを叶えることができなかった。

 メグミが望んだことをできなかったのだ。


 それはメグミと結婚することだった。


 メグミは大学卒業後、自衛隊に入隊することになっていた。

 そのために勉強していたことを僕は知っている。

 しかし、心から応援できたかと問われたら否定でしかない。


 メグミが悩んでいた。僕と結婚するか自衛隊に入隊するか。

 もちろん、入隊して結婚することもできるだろう。

 けれど、僕の面倒を見なければならないと義務感を持っていたメグミには無理な話だった。


 夢か僕か。悩んでいたメグミに僕は別れを切り出した。

 はっきり言えば僕はメグミに依存していた。メグミがいなければ生きていけないほどだった。でも、そのためにメグミの夢を諦めさせることを僕は望まなかった。


 メグミは泣きながら別れたくないと言った。

 僕だって別れたくなかった。

 でも、僕のために生きてほしくなかった。

 メグミが幸せでいてほしかった。

 僕と一緒にいると不幸になる。だから別れたのだ。


 最後にメグミと話したのは住んでいたアパートでのことだった。

 彼女が荷物をまとめて出ていくときだ。

 メグミは今にも壊れそうな顔で、笑った。


「最後に、言いたいことはありますか?」


 そのとき、やっぱり別れたくない。結婚してくれと言えば今もメグミが隣にいたのかもしれない。

 勇気を出して、言えば変わったのかもしれない。


「幸せになってほしい。僕が隣にいなくても、どうか幸せになってほしい」


 やっぱり僕は言えなかった。

 臆病で、意気地がなくて、度胸が無かった。


 メグミは渇いた笑顔のまま、僕に言った。


「身勝手な人ですね」


 それから僕はメグミと会っていない。

 写真も思い出も消してしまった。


 彼女と出会ったことに後悔はない。

 一緒に暮らしたことに後悔はない。

 僕がいなくても、メグミが幸せであればいい。

 寂しさが去来しても、彼女さえ生きていれば耐えられる。

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― 新着の感想 ―
飾り気のない文章。朴訥で、清純で、よかった。
まあ、飲めよ…………(すっと横から濃いめのハイボール)
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