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タンザナイトの夜

作者: タコ

 晴れて定年退職を迎えた私は今、日本から遠く離れたアフリカ・タンザニアの地に赴いていた。仕事漬けの日々から開放され、「体の自由が利くうちに」と思いたった上での行動だった。


 なぜタンザニアかというと、それは私にも分からない。雄大な世界にただ身を投じてみたかっただけかもしれないし、あるいは都会の喧騒から離れたかっただけなのかもしれない。いずれにしろ私は今、全てのしがらみから解放され、自然豊かなタンザニアという国にいる――。



 およそ20時間にも及ぶ空の旅を経て、そこから市街のホテルまで舗装されてない道路をバスとタクシーに乱暴に揺られて数時間。正直、この時点でだいぶ疲れており、観光などする余裕もなく、私は案内された部屋に入るとそのままベッドで寝入ってしまった。


「……っあ~……っ」

 と、欠伸をしながら目を覚ましたのが夕方で、窓の外はすっかり夜のとばりの群青色と、夕日のオレンジ色になっていた。

「あ」――と、ホテルのパンフレットに目をやると、すでに夕食の時間ではないか。

 私はベッドから立ちあがり、食堂へと向かった。



 夕食を済ませた後、私はラウンジの椅子に座り、ぼんやりと外を眺めていた。先ほど見た燃えるようなオレンジ色は鳴りを潜め、空は青紫へと色を変えていた。

 何度目かのまばたきをしたその時、

「あの~……」

 首から重そうなカメラをげた若い娘が、不安げな面持ちで私に声をかけてきた。

「日本人……の、方? ですか?」

「え? ええ、ハイ」

 驚きつつも体勢を直し頷くと、娘はパッと明るくなり

「ホント! うわ、嬉しいです! こんなところで同じ日本人に会えるなんて! 母国語ってやっぱり安心しますね!」

 と、打って変わって饒舌に話しだした。

 目を丸めるこちらをよそに、娘ははしゃぎながら隣の椅子に座りこんだ。

「ご旅行ですか? それともお仕事の関係でこちらに? あ、もしかして移住してるとか?」

「い、いや、定年を迎えて自由の身になったのでね。体が言うことを利くうちに、海外旅行でもと思って……」

「へ~」

 大きな瞳をキラキラと輝かせる娘に、私は少したじろいだ。

「ホ、ホラ、『今が一番若い』って言いますでしょう。これ以上歳食って、足腰立たなくなる前に、世界を見ておきたくてね……」

「フ~ン。いや~素晴らしい~。素晴らしいです!」

 と、なぜか拍手を送られた。

「長い間、お仕事お疲れ様でした。いっぱい働いた分、たくさん楽しんでくださいね!」

「え……? あ、ああ、ありがとう」

 私は居心地悪そうに椅子に座り直した。

 自分の子供、あるいは孫ほども歳の差がありそうな娘に、私はだいぶ困惑していた。礼儀云々をうるさく言うつもりもないが、今時の若者は皆こうなのだろうか?

「そちらは? まさか、女性一人で旅行ってわけではないでしょう。家族旅行ですか?」

「ふふ。それが、まさかの一人旅なんです」

 そう言って胸を張る娘の言葉に、私はつい「一人旅!?」と聞き返した。

「驚いたな。君みたいな若い子が一人で旅を? しかも、……言っちゃなんだが、女の子一人で……?」

「あはは、女の子って歳じゃないですけど、ハイ」

 あっけらかんと笑う。

 最近の若い子は……とは言いたくないが

「呆れたな。……大きな声では言えないが、治安がいい場所とは言えないよ? ここは」

 スリは当然のようにいるし、すぐ隣には野生動物だっているのだ。油断していたら命の危険がある場所なのだ、ここは。

「女性の一人旅としてこの場所を選ぶのは、はっきり言ってどうかしている」

「……ん~」

 娘は少し首を傾け

「『タンザナイト』って知ってますか?」

 と、尋ねてきた。

「? タンザ……ナイト?」

「はい」

 そう言って、娘は首元のペンダントをつまんでみせた。

 青とも紫とも言えない、絶妙な色合いを持つ美しい宝石がそこにあった。

「十二月の誕生石なんですけど――あ、十二月生まれなんですよ、私」

「は?」

 話が全く見えてこない。

 渋そうな顔をするこちらを気にも留めず、娘は続ける。

「『タンザニアの夜』って意味なんですって。私、自分の目で確かめたくて。タンザニアの夜を。どんなのかな〜って」

「……」

 口をポカンと開け唖然とする私をよそに、娘は窓の外に目をやった。

「綺麗な星空ですね」

「え?」

 促されるように視線を移す。

 なるほど確かに綺麗だ。先ほどまで何の感慨も無く眺めていた景色だが、改めて見て見るとなかなかどうして美しい。建物の中にいるから、広い夜空とは決して言えないが……。

「……外で見てみませんか?」

「え?」

 娘は驚いた様子でこちらに振り返った。

 が、しかし誰より驚いていたのは私自身だった。

「あ、いや、すみません! 若い娘さんに言う言葉ではなかった! 決して下心があって言ったわけではないんですよ? ほ、本当に」

 本当に自然と口からこぼれ落ちた言葉なのだ。

 そこに意味など全くなく、ただ流れるようにして声として発せられただけなのだ。

「……お、おやすみなさい……」

 なんともいたたまれなくなり、流れる汗をぬぐいつつお辞儀をすると、私は急いでその場を離れようとした。

「そんな事ありませんよ!」

「!」

 思いがけず娘が引き止めてきた。

「ホント言うと私、外で見たいな〜って思ってたんです。でも一人じゃ心細いから、誰かに着いてきてもらいたくて……。日本人ぽい人がいたから、頼めないかなって思って。だからあなたに声をかけたんです」

「……」

 一瞬ポカンとしたが、私はすぐに微笑んだ。

「……僕で良ければ」

 頬が熱くなっているのが自分でも分かった。



 ホテルの外に出ると、ラウンジで見た空の何十倍も広い星空が広がっていた。

「おお……」

「わぁ……」

 共にあげた感嘆の声に図らずも一体感を感じる。

「あっちの方、行ってみましょう!」

 娘は嬉しそうに茂みのある方を指さした。遠くの方で野生動物の声が聞こえてきているというのに。

「いや、ホテルから離れるのは――」

「ホテルの光が余計なんですよ」

 そう言って、娘は首から提げていたカメラを掲げた。

「先、行ってますから」

「え? い、いや、待ちなさい」

 スタスタとよどみなく先を行く娘の後を、私は慌てて着いていった。


 ホテルの光が届くか届かない位の場所まで着くと、娘はようやく空を見上げた。

「うわぁ……」

 私もならって空を見上げる。

 鬱蒼と茂る黒い木々の額縁。その向こうに広がるダークカラーの青と紫。二つの色はお互いを引き寄せあうようにして混じり合い、複雑で美しいグラデーションを作りあげている。そして色とりどりの小さな星々は、ぼんやりと輝く天の川を彩り、チカチカと歌うようにして光り輝いていた。

「……はぁ……」

 妙な圧迫感すら感じる夜空に、思わずため息が出る。

「……なんだか押しつぶされそう……」

 娘はペンダントを握りしめ、ポツリと呟いた。

「……ああ」

 畏怖や畏敬、抗い様のない本能の部分に訴えかけてくる感覚――。太古の昔から脈々と受け継がれてきた人間の人間たる一部分。

「……」

 私は、何故かこれまでの思い出を頭の中で振り返っていた。物心ついた頃から今日までの記憶を、思い出せる限り全て。

「……人間なんて、ホントに……ちっぽけな生き物なんだな」

 陳腐な言葉ではあるが、だがそれ以外に言葉が浮かばない。

「もっと早くに来れば良かったな……。良いものを見させてもらった……」

 私は自然と合掌していた。



 ホテルに戻ると、娘はこちらに振り返って頭を下げた。

「ホントに、ありがとうございました。おかげさまで良い写真も撮れました」

 あれから結局、私は娘の満足するまで写真撮影に付き合った。途中、お互いの身の上話なんかもしたが、ほとんど当たり障りのないものでつまらないものだった。

「今日の事、忘れられない思い出になりました」

 と、娘が屈託なく笑う。

「いや、こちらこそお礼を言うよ。どうもありがとう。君に出会わなければ、あんなに美しい夜空を見る事はできなかった。私にとっても、良い思い出ができたよ」

 私がそう言うと、娘は照れたように笑った。

「私、明日の飛行機で帰りますんで」

「そうか」

「短い間でしたが、お世話になりました。会えて本当に良かったです」

「私もだよ」

 娘はサッと手を差し出し

「じゃあ、一期一会って事で!」

 握手を求めてきた。

 私はその手をギュッと握り返した。

「元気で。気を付けてな」

「はい」

「親御さんに心配かけるんじゃないぞ」

「余計なお世話です。――じゃあ、またいつか!」

 名も知らぬ娘は再会を願う言葉を残し、スタスタと歩き去っていった。

 だがきっと二度と会う事は無いだろう。だからお互い名前を明かさなかった。

 しかし忘れない。『タンザニアの夜』を冠する宝石がある限り。


 私は余韻に浸りながら自分の部屋へと向かった。


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