糞 of the 糞な人間
「その子どもは、いつ生まれるんですか?」
子どもの頃以来の久々の声だからか、それとも口の中がカラカラだからだろうか。私の声は、掠れて、弱々しいものになってしまった。
それでも届いたのだろう。カタリナもミュゲルも驚いた顔をしている。
しかし、カタリナはすぐに私を馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「来月には生まれるわ。もちろん、祝ってくれるでしょう? お姉様は、優しい優しい聖女様ですもの」
確かに、アメリアは優しい。心優しく、美しい聖女だ。
けれど、私は優しいアメリアではない。なぜかアメリアの中に住んでいただけの存在だ。
アメリアを侮辱し、アメリアの心を壊したこいつらを許すことはない。
聖女だ、何だのと崇めたくせに、誰もアメリアを守れなかったこの国も、見ているだけしかできなかった私自身も許すことはない。
この国の全てに最悪の事態を──。
私はにこりと笑みを浮かべた。
だって、アメリアはいつも微笑んでいたから。
「婚約破棄を申し入れます」
にこにこと微笑みながら、声を荒げることなく言った。
婚約解消と違い、婚約破棄は一方に明らかな過ちがあった場合に成立するもの。例えば、不貞とか。
「どうしてだい? 貴女の大好きな王妃という権力も、居場所も与えてあげるんだよ? それに、私ともずっと一緒にいられる。感謝するべきだろう」
あーぁ。アメリアは権力なんか、これっぽっちも興味はないのに、何言ってるんだろう。
アメリアには、自分しかいない。
アメリアは、何でも言うことを聞いてくれる。そう思ってたんだよね?
必死こいてて、本当にダサイ。優しくて、美しくて、可愛いアメリアには相応しくない。
アメリア一筋でなければ、存在する価値もない。
「聖女は、王族と同等の力を持ちます。ですので、あなたのおっしゃる権力は私には不要です。煩わしい雑務が増えるだけですし、裏切り者も必要ありません。ですので、婚約者という立場はお返ししますね」
驚きの表情が不快だ。
言われて当たり前のことをした。それなのに、この状況が呑み込めないなんて、なんて愚かな王子なのだろう。
「そうだ! あなたの愛しのカタリナにでもやってもらったら、どうですか? 同じ教育を受けて、私ばかりが不出来で怒られていましたので、私よりも余程優秀な妹ですよ」
「どうして、そんな意地悪を言うの? お姉様、ひどいっっ!!」
顔を手で覆い、泣き真似をする馬鹿な妹にも、きちんと微笑む。
どんな時でも微笑みを絶やすなと家庭教師に言われたことを実践しているだけなのに、カタリナからの視線は鋭さを増した。
あらあら……。アメリアが鞭で打たれる姿をあなたも見ていたでしょう? なら、私が微笑む理由を知っているはずよね?
ねぇ、カタリナ。そうでしょう?
「ひどい……ですか。それは、こちらのセリフではありませんか?」
「そんなことはないだろ? 貴女の居場所を作ってあげているのだから。私だって、傍にいてあげられる。……そうか。目が覚めたばかりで混乱しているのだね。可哀想に……」
馬鹿な男だ。
特に秀でたもののない第二王子が王位を継承できるのは、聖女であるアメリアを妻にするから。
つまり、あんた自身の力ではない。そんなこと、分かっていたはずなのにね。婚約したばかりの頃は、少なくとも理解していたよね?
いつからそんなに傲慢になってしまったの?
簡単に人を操れるのだと勘違いをしてしまったの?
アメリアを見なくなってしまったの?
「第二王子。あなたが行ったことは、不貞です。私が目覚めないのであれば、私と婚約を解消すれば良かっただけ。けれど、それをしなかったのは、聖女の力が貴方には必要だったから。そうですよね?」
アメリアは気付いていたか分からないが、ミュゲルとカタリナの浮気は、窓から落とされる前からあったもの。
目覚めなかったのは、半年。生まれるのは、来月。それが何よりもの証拠だ。
「あら、困りましたね。図星だからって、黙りは。あなたは私と違って、自由に話せますでしょう? まぁ、私も今は話していますけれど」
周りには聞こえないよう、声を落として告げれば、ミュゲルは顔を真っ赤にして私を睨み付けてくる。
私は微笑みを浮かべたまま、馬鹿な男を見つめた。
私が言ったことは、全て正論だ。
どう言い返すのだろうか。カタリナがミュゲルの子を妊娠した叫んでしまったことで、こんなにも人が集まってしまっている状況だ。
下手なことを言えば、信頼は地に落ちる。その信頼も、今はどこまであるのか謎だけれど。
さぁ、無能な王子様のお手並み拝見といきましょうか。
「とにかく!! 私はお前と結婚する。表には出さない!! お前なんか、大人しく陰でカタリナの代わりをしていればいいんだ!!!!」
ミュゲルは怒鳴った。その姿を、私は冷めた目で見詰めた。もちろん、口は笑みを形どったまま。
あーぁ。上手くいかなければ声を荒げるタイプか。
弱いものを力で支配しようとする、なんて最悪な男なのだろう。
これ、アメリアも見ているんだろうな。
きっと、泣いている。
抱きしめたくても、私はあなただから、それも叶わない。
ならば、次にアメリアが表に出た時に、最高の幸せを……。
この世は全てアメリアのために──。
「先程もお伝えしましたが、聖女の地位は王族と同等のもの。それを国王様でも、王妃様でもない、直に王位継承権を剥奪されるであろう第二王子がそのような発言をされたこと、周りに多くの人が聞いていること、お忘れではありませんよね?」
ハッとした表情でミュゲルは周りを見回した。
言い争いに口を挟める身分のものがおらず、アメリアのお世話をしてくれるメイドさんたちがオロオロとしている。
心配してくれているのだろう。
王子とカタリナに憎悪の目を向けているものも、少なくない。
ねぇ、アメリア。見てる?
確かに、婚約者の第二王子も、妹のカタリナも、糞 of the 糞な人間で、あなたを大切にしなかった。
でもね、こんなにもあなたを大切に思う人がたくさんいるよ。
さぁ、そろそろ仕上げと行こうか。
優しいあなたの仇は私が討つよ。
大丈夫。殺したり、痛い思いは絶対にさせないから。