悪魔のような家庭教師
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アメリアとカタリナが六歳を迎えると、家庭教師をつけることになった。
ディトルスとエリスは、アメリアにも貴族としての教養を身に付けさせてくれた。
それは、伯爵家の後継者だからなのか、貴族としての義務なのか、はたまた嫁がせる時に教養がないと困るからなのか。
理由は分からないものの、勉強の時間だけはしっかりと確保されていた。
これは、アメリアにとって良かったのか、悪かったのか。私は後者だと思っている。
いや、はじめは良かったのだ。
最初に来ていた家庭教師のジェーン先生は、厳しいけれど、愛のある人だった。
どんどんと新しいことを吸収していくアメリアを可愛がってくれたし、アメリアもジェーン先生の前では、子どもらしい笑みを浮かべていた。
けれど、アメリアの現状を心配して、ディトルスに掛け合ってくれたことで反感を買い、クビになった。
次に来てくれたメイロン先生は、表面上はアメリアには厳しく、カタリナには甘かった。
けれど、こっそりとお菓子をくれたり、娘が昔使っていたという可愛いヘアピンなどをくれた。
あとから知った話だが、メイロン先生はジェーン先生と知り合いで、伯爵家のことを聞いていた。
だから、こっそりとアメリアを可愛がってくれたようだ。
しかし、メイドにアメリアを可愛がっているところを見つかった。
そのことをディトルスに報告されたことで、メイロン先生もクビにされてしまった。
その後に来たユバルスは、最低最悪。人の皮を被った悪魔だった。
あいつを、私は生涯許さない。あれは先生ではない。人間だとも思えない。あいつは、アメリアを虐待しに来ていたのだ。
ユバルスは一見、優しげな風貌をしているが、アメリアを見下していることは、初めて見た瞬間に分かった。
強い者には媚び、弱い者を虐げる。まさに、そんな人物だった。
ユバルスは鞭を振るった。
アメリアは避けることも許されず、痛みで顔をしかめれば「淑女はどんな時でも微笑みを浮かべなさい」と、また鞭を振るわれる。
カタリナの間違いは笑顔で許容され、アメリアは鞭で打たれた。
問題に正解しても、可愛げがない、声の出し方が悪いと鞭を振るわれるのだから、アメリアはどうすることもできなかった。
私は、アメリアの中から見ているしかなかった。
アメリアのために何かをすることは許されず、ひたすら虐げられるアメリアを眺めることしかできなかった。
何度も叫んだ。幾度となく、手を伸ばした。
それでもアメリアには届かない。いっそ、アメリアの中にいるのだから、交代できたら……と思ったものの、それも叶わなかった。
アメリアはユバルスに怯えていた。
母親のジェファリスから扇で打たれたことや、父親のディトルスと、義母のエリスから労働を強いられること、妹のカタリナから頭から水をかけられるなど、理不尽なことは数えきれないほどにあった。
けれど、ユバルスのように力加減をすることなく、鞭で叩かれることはなかった。
ジェファリスでさえ、無意識下に手加減をしていた。
アメリアの体は見えるところは綺麗だが、いつも鞭で叩かれているので傷だらけだった。
治る前に、新たな傷ができる。古傷も増えていく。
アメリアの背中やお腹、太ももには、おびただしい数の古傷ができていた。
「ユバルス夫人、どういうことだ?」
偶々、アメリアが激しく鞭で叩かれるところを見て、ディトルスは声を荒げた。
はじめて、アメリアのために怒ってくれた。そう思った。
アメリアを庇うように立ってくれたから。
「どうとは? 何のことでしょう?」
「アメリアをこんなにも鞭で叩いていること以外、何がある? 令嬢あるまじき古傷だらけじゃないか。どう責任を取るつもりだ?」
「あら。躾でしてよ。あなた方が望まれたのですよ? カタリナには甘く、優しく。アメリアにはつらく、厳しくと」
「だが、こんな痕が残るようなものは困る。貰い手がいなくなるではないか」
「……お父様?」
アメリアが困惑した声でディトルスを呼んだ。
けれど、その声は言い争う二人の声でかき消されてしまう。
「まぁ!! メイドよりもこき使っておいて、嫁に出すつもりでしたの? 生涯飼い殺すのかと思っておりましたわ。逆らう意思がなくなるように、しっかり躾ましたのに」
「躾るのは構わん!! だが、傷が残る体では価値がなくなるではないか!!」
「なるほど。それでも後妻であれば、大丈夫ですわ。評判を悪くすればいいのです。伯爵様たちは手を尽くした。けれど、前の奥様のように男癖が悪い……ですとかね? まともなお家に嫁いだら、伯爵様たちの虐待もバレてしまいますもの。奴隷のように虐げるのが趣味な方に売り付ければ、良いですわ」
ユバルスの話に、ディトルスは笑った。
その意味が分からないほど、この時のアメリアはもう幼くはなかった。
アメリアの瞳から、涙は溢れなかった。けれど、目の前が真っ暗になるほど、アメリアはショックを受けていた。
それでも、アメリアは微笑んでいた。ユバルスに、そう教育をされたから。
この日を境に、アメリアは声を失った。
叩かれても、罵られても、何をされてもアメリアの声はまるで始めからなかったかのように、声が出なくなってしまったのだった。
***
地獄のような日々は変わることなく、何年もの時が流れた。
アメリアは美しい令嬢へと成長をしたが、精神的なもので声を失ったまま。
にこにこと微笑み続ける、人形のような令嬢となってしまった。
賢く、美しい。けれど、喋れないアメリア。
「優しい妹を虐めている」
「癇癪持ちで、手がつけられない」
「男好きで、遊び回っている」
「気に入った男性としか話したくないため、他の人からの話は返事をしない」
これはまだ可愛い方で、全く身に覚えのない、耳を覆いたくなるような噂話を流された。
それも実の父であるディトルスや、義母のエリス、妹のカタリナによって。
社交界に出たアメリアは、真っ当な貴族からは軽蔑の眼差しを向けられ、一部の男性陣からはイヤらしい目を向けられた。
何もしていないのに。いや、され続けた被害者なのに。
私は願うことしかできなかった。
アメリアを救ってくれる存在を──。
噂話を信じず、彼女を見てくれる人を──。
そんなアメリアに転機が訪れる。
十六歳の誕生日に、聖女の力に目覚めたのだった。