存在意義と積もる想い
「ご結婚はまだでしたか。失礼しました」
おませなお嬢さんは三つ編みを揺らして、ぺこりと頭を下げた。
私は笑顔で首を振り、ロズは耳を赤く染めたまま小さく咳払いをした。
「二部屋の用意ですね。一部屋、銀貨二枚。朝食は、サービスです。夕食付きなら銅貨三枚追加になりますが、どうします?」
「その前に確認したいんですけど、ペットは可ですか?」
「大丈夫ですよ。部屋からは出さないよう願います」
「分かりました。長く泊まると割引とかありますか?」
「何泊くらいの予定で?」
「一週間くらいは滞在しようかと思っています」
「二部屋に一週間滞在で銀貨二十六枚に夕食はサービスで、どうです?」
さて、ペットの確認と値引き交渉をしたのはいいものの、宿の平均相場が分からない。
ロズを見上げれば、それで頼んでいる。
「彼女は病み上がりなんだが、夕食のメニューは何でしょうか?」
「シチューですよ。お母さんのシチューは、お肉がほろほろで、お腹にも優しいのでオススメです!!」
「そうか、ありがとう。看板娘のお嬢さん」
おかん属性の印象ですっかり忘れていたが、ロズはものすごいイケメンだ。
そんなロズに微笑まれたからなのか、お母さんのシチューへの熱意からなのか、お嬢さんの頬はリンゴのように赤くなった。
「大盛りにしますね!」
「贔屓するなよ」
はりきった様子で言うお嬢さんに対し、おじさんからの厳しい声が飛ぶ。
「目の保養をさせてもらったんだから、その分くらいのサービスはいいでしょ? お父さんのケチ! お母さんのところに行ってくる!!」
「リゼ!!」
ふんっ! とそっぽを向いて、リゼと呼ばれたお嬢さんは私たちの横を通り過ぎた。
さっきまでの少しだけ背伸びをした雰囲気はなくなり、年齢相応な姿が微笑ましくもある。
「お恥ずかしいところをお見せしました。まだまだ未熟な娘でして」
「いえ。まだ遊びたい盛りでしょうに、手伝いとは感心ですよ」
「そう言ってもらえると助かります」
おじさんは笑っているのに、どこか表情が暗い。
そのことにロズも気が付いたのだろう。視線を向けられるが、私にも原因は分からない。特に会話でおかしいところはなかったはずだ。
「夕飯は九時までになります。もう始まっているので、いつでもどうぞ」
「分かりました。名前を伺っても?」
「失礼。ダンと言います。私と妻のメリッサ、娘のリゼの三人でこの宿屋をやってます。何かあれば私か、妻のメリッサに言ってください。メリッサとは食堂でお会いすると思います」
そう言いながら渡された鍵を、ロズが受け取った。
「俺はロズ、彼女はハレです。短い間だが、世話になります」
いくつか言葉を交わし、私とロズは部屋に行くために木製の階段を上がった。
「となりで良かったね。便利じゃん」
「そうだな……」
「どうしたの? さっきのダンさんの様子が変だったこと? ロズは特に変なこと言ってなかったよ」
リゼちゃんと何かあるのだろうか。仲良さそうに見えたんだけどな。
前世でも、今世でも、手に入れられなかったものがあった気がしたけど、気のせいだったのかな……。
「それもだが……」
何とも煮え切らない。それが違うのなら、心当たりはないんだよね。どうしたものか……。
「どうして、新婚だと聞かれた時にまだと答えたんだ?」
「そんなの、若い男女の旅には関係性が必要だからだよ。夫婦、婚約者、恋人、兄妹くらいしか納得するものはないんじゃないかな。私たちは見た目が似てないから、兄妹は無理でしょ?」
「そうだが……」
耳が赤いな、とロズを眺める。
浮き名を流していた人物とは、とても思えない。
あれかな。姿形はアメリアだから、照れているのかな? うむ。これは、スルーでも問題ない案件とみた。
「とりあえず、部屋に荷物を置いてから十分後に部屋の前でいいよね? またあとでねー」
「え? あぁ、うん……」
まだ何か言いたげな様子だけれど、気付かないふりをして鍵を開けた。
まず目に入ったのは、ベッドの真っ白なシーツ。それから、陽の光がよく入る大きめの窓、若葉色のカーテン。木製の椅子とテーブルに、クローゼット。
シンプルな作りだけど、清潔感がある。私とにゃんた、みゃーこが一週間過ごす部屋は、想像していたよりも過ごしやすそうだ。
「いい部屋だね。夜はみんなでベッドで寝ようね」
ロズが魔法で軽くしてくれたトランクケースを開ける。その中から、鞄に入っていても違和感のない数着のワンピースをクローゼットにかけた。
このトランクケース、軽いだけではなく、詰め込み放題だったりする。ロズだからできるのだろうけど、魔法ってすごい。
『ロズ、何か言いたげだったにゃよ?』
『聞かなくて良かったみゃ?』
「言いたかったら、あとで言うでしょ」
私の言葉に、にゃんたとみゃーこは顔を見合わせた。そして、残念そうな目で私を見てくる。
『あれにゃ。ハレは、アメリア以外にも興味を持った方がいいにゃ』
『そうみゃね。ちょっと、薄情だみゃ』
何とも失礼な聖獣たちの背中を撫でれば、気持ち良さそうに目を細めている。
「私がいつか消えた時、あまり情が移ってない方がいいでしょ?」
お互いに、という言葉はのみ込んだ。
関わりすぎないように気を付けた方がいいだろう。旅を一緒にしているから、難しいかもしれないけれど。
私を見ているにゃんたの目が真ん丸になって、口も半開きになっている。
『寝てなかったみゃ?』
「ごめんね。寝てはいたんだけど、アメリアの体は眠りが浅いみたいで、聞こえちゃった。起きようにも体が重くて起きられなかったんだよね」
少しの間、固まっていたにゃんたは困ったように目を細めて笑う。
『聞こえたこと、ロズにはまだ言わないで欲しいにゃ』
「黙っているのも騙しているみたいじゃない?」
『ロズは、ハレが消えるかもしれないことを納得してないにゃ。それを、ハレ本人が知っていると知ったら……』
「世の中、知らない方が幸せってこともあるもんね」
アメリアを通して知ってはいたけれど、私自身とロズは出会ってまだ一日も経っていない。
それでも、私の心配をしてくれるような優しい人だ。私が知っていると分かったら、気に病むかもしれない。
「私は消えてもいいと思ってるんだけどね」
アメリアさえ良ければ、それでいい。
アメリアファーストの、アメリア至上主義。自分さえも惜しくはない。捧げられるものは、すべてアメリアに。
「アメリアにとって、最高の未来をプレゼントする。それが、私の存在意義だと思うのよ」
アメリアだけが幸せになればいいとは言わない。
けどね、アメリアを不幸にする要素になるのであれば、相手が神様であろうと戦う。
何故、そんなにもアメリアに肩入れするのか。
最初は傷付き続け、それでも人を信じ、愛し続けるアメリアをばかだな……と見ていた。
いつしか、その強さと美しさに憧れた。
アメリアを守りたいと願い続けてきた。
救いたいと手を伸ばし続けてきた。
誰よりも傍にいたのに、何もできなかった。
もし願いが叶うのであれば、迷わずアメリアの幸せを願ったことだろう。
きっと、理屈じゃない。私はアメリアを愛している。親愛でも、友愛でも、恋情でもない。
アメリアの中で、アメリアを通してしか見えない世界の中で、まるで雪が降り積もるように、この感情が静かに大きくなっていった。
アメリアを愛しているのだ。
世界中で誰よりも──。
更新、遅くなりました。
楽しんでもらえたら、嬉しいです!!




