悲しい誕生日
私の体の持ち主であるアメリアは、由緒ある伯爵家の長女として生まれた。
これだけで人生勝ち組……かと思いきや、アメリアの家族は誰も彼女に興味を示さなかった。
それでもアメリアは、必死に両親へと手を伸ばす。
「お母様、このお花をどうぞ。庭師のジェームスに一番キレイなバラを摘んでもらったんです。お母様に似合うと思って」
「誰か、アメリアを連れていってちょうだい。邪魔よ!!」
「いつもお忙しいお父様が少しでもゆっくりできるように、メイドのアンがお茶のいれ方を教えてくれたんです。良かったら……」
「子どものままごとに付き合う暇はない。出ていきなさい」
終始、こんな感じで両親はアメリアの相手をしてくれないどころか、邪魔者扱いをした。
「お嬢様、アンと一緒にお茶をしませんか? 今日のおやつはアップルパイですよ」
「……うん」
優しいメイドのアンだけが、アメリアの救いだった。
誰もいない部屋まで戻ると、悲しいアメリアの心を慰めるかのように、アンは抱きしめてくれる。
本当はメイドと一緒にお茶をするなどあってはならない。
けれど、いつも一人で食事をする姿を気の毒に思ってか、アンはアメリアと二人きりで秘密のお茶会をしてくれた。
アメリアにとって、アンは優しい人だった。
けれど、ある日突然アンは姿を消した。
「アメリア。お前の専属メイドは、ディトルスと不貞をしていたわ。だから、消したのよ」
アメリアがアンを探していると、突然背中から投げつけられた鋭い声。
アメリアの母親のジェファリスは、娘に向けるなどあってはならない視線をアメリアへと向けている。
やめて!! アメリアの中で、何度も叫んだ。けれど、その声は誰にも届かない。
アメリアの父がアンと浮気をしたのは、アメリアには関係のないことだ。
なぜ、この女はそんなことも分からないの?
降り注がれる衝撃からアメリアを守ろうと、アメリアの中から声を張り上げ、手を伸ばし続けた。
それは何の意味もなく、アメリアは小さな体をもっと小さくして、容赦なく浴びせられる罵声と痛みに耐え続けた。
この日、アメリアははじめて暴力というものを知った。
いや、無視されるという暴力はずっと受けてきていた。けれど、憎悪を生まれてはじめて直接叩きつけられた。
それは、アメリアが四歳の時だった。
政略結婚をした両親の間に愛はなかった。
それでも、夫の浮気を許せなかったのか、元々の性分か。母親のジェファリスは、男遊びをするようになった。
そして、それはいつしか本気へと変わり、アメリアが五歳の誕生日の日に家を出ていった。
春にも関わらず、冷たい雨が降っている日だった。
アメリアが、母親と愛人の男の姿を自室の窓から見つけたのは、偶然だった。
誰もお祝いしてくれない誕生日だけれど、もしかしたらアンが来てくれるのでは……と、かすかな希望を胸に窓の外を眺めていたのだ。
アメリアは直感で、お母様がどこかに行ってしまう……。そう感じて、部屋を飛び出した。
屋敷の外に出ると、傘も差さずに馬車のもとへと走る。
「お母様!! お母様、待って!! どこへ行くの!?」
叫ぶ声は、雨の音にかき消されていく。
アメリアは諦めなかった。小さな体で必死に叫び、走った。
決して、優しい母親ではなかった。ここ一年は、機嫌が悪いとアメリアを扇で叩くような母親だった。
それでも、アメリアは母親を求めた。
いつか、いつか、自分を愛してくれる。そんな日を夢見ていた。
「お母様っ!!」
声が届いたのだろうか。一瞬だけ、目が合った。だが、その視線もすぐに逸らされる。まるで、誰もそこにいないみたいに。
そして、アメリアの目の前で馬車は出発した。
「お母様っ!! お母様、待って!! お母様っっ!!!! お願い、置いていかないで。ひとりは嫌なの。お母様……」
アメリアは、遠くなる馬車を見ているしかできなかった。
びしょ濡れで屋敷の中に戻ったアメリアを心配してくれる人は、誰ひとりとしていなかった。
優しくしてくれたアンは、もういない。
孫を見るかのように優しい視線を向けてくれていた庭師のジェームスも、腰を悪くして田舎へ帰ってしまっている。
アメリアは誕生日だというのに、ひとりぼっちだった。
私は「ハッピーバースデイ、アメリア」と、アメリアに届くことがないと分かっていながらも、口にした。
例え届かなくても、アメリアの誕生日を祝いたかった。抱きしめたかった。
どうして私はアメリアの中にいるのだろう。
死んだと思ったら、アメリアの中にいたのだ。
いわゆる転生かとも思ったが、アメリアの中からただ眺めているだけの傍観者でしかない。
私では、アメリアを抱きしめられないし、愛を求めているアメリアに「愛しているよ」とも伝えられない。
なぜ、私はアメリアの中にいるのだろうか。
アメリアのために、何もできないのに……。
この日の夜から、アメリアは高熱を出した。
それでも、父親は一度も姿を見せてはくれなかった。
熱が下がり、やっと部屋から出られるようになると、そこはアメリアの知っている家の中ではなかった。明るい笑い声が響いていたのだ。
もしかしたら、お母様が帰ってきてくれて、お父様と仲良くなってくれたのかもしれない。
幼いアメリアは、そんな都合の良いことを想像して、楽しそうな声のもとへと駆け出した。
そして、声が聞こえてくる食堂の扉を開くと、絵に描いたような幸せな家族が食事をしていた。
けれど、そこに母親の姿はない。アメリアの席もない。
アメリアの父親が、見たこともない女と子どもと一緒に楽しそうに過ごしていた。