16 居なくなっても邪魔をする義妹(ビアンカside)
あの日、ビアンカは全てを手に入れるはずだった。
見目麗しい婚約者も、四大公爵家との繋がりも、オレリアン伯爵家の跡取りの立場も、天使として全ての人々に敬われる立場も―――その全てが、たった一人のできそこないのせいで、宙に浮いてしまった。
「あぁ、ビア。彼女が魔法で逃げてしまったのだからね。婚約はお預けだね」
ちっとも残念そうでもなく、むしろにこやかに告げられた言葉は彼女の心に鋭い棘となって突き刺さった。
「君がもっといっぱい頑張ったら、婚約への道は近付くんだろうね」
トロリとした甘い微笑とともに告げられた言葉は、徐々に身体を蝕む毒の様に彼女の心を侵食していった。
(ミリオンを捕えなければ、私は幸せにはなれない! 私の邪魔をするミリオンが憎い―――!!)
鬱屈した感情は、虐げ、痛めつけ続けた義妹を更に呪うものに変化した。
ミリオンがかつて一人の時間を過ごし、今はビアンカが従者や学友などの取り巻きに囲まれてにぎやかな時間を過ごす学園の教室。そこから華やかな令息令嬢のさざめき合う声が漏れて来る。
ビアンカが在籍するのは、成績優秀者と高い家格の者だけが集められた教室だ。ミリオンは学力こそ学園で1、2を争う位置にはいたけれど、魔法が全く使えない彼女はこの教室には入れなかった。
明るい光がふんだんに差し込む日当たりの良い教室は、アーチ型の枠で象られた大きな窓が連なり、直射日光を程よく遮る上質なレースのカーテンが掛けられている。並べられた机や椅子は、平民の応接室の物よりもずっと高価でしっかりした作りの物が並ぶ。
それらを当然の様に扱う権利を持つ地位に、妾腹の子として生まれたビアンカが就くとは一体誰が想像しただろうか。ビアンカは、機嫌を取る様に媚びた笑顔を向けるクラスメイト達を眉をひそめて見回した。
(誰もかれも自分で勝ち取ることをしない怠け者よね。人の機嫌をとってペコペコするなんてバカみたい)
「ビアンカ様、物思いに沈んでいらっしゃるのですか?」
「あぁ、ビアンカ様のお心を煩わせるものなど、私がどれだけでも取り除いて差し上げますのに!」
「何なりと言いつけてくださいませ、かならずやお力になって見せますわ」
セラヒムの婚約者候補であり、天使との呼び声の高いビアンカ・オレリアン伯爵令嬢。クラスメイト達は学園が掲げる目標『将来の実りある人脈を築くため、より条件の良い交流を掴み取る』を実直に実行していた。将来大きな力を得るであろう彼女の機嫌を取れば、より良い地位は確実なのだ。同じクラスに金の卵を産む鶏がいるようなもの――だから、ビアンカの態度に多少の思うところはあっても、積極的に近付いた。打算で成り立つ関係だと気付いていないのは、残念ながらビアンカ本人のみだった。
ビアンカは、自身を取り囲んだクラスメイト達に侮蔑の視線を送りながらも、愉悦感に満ちた思いに満たされていた。皆が心を砕く中心人物の立場を堪能するため、ひときわ物憂げな表情を作って見せる。
「憂えるというほどではないのですけれど……これまでの恩を忘れて勝手に家を出た愚かな義妹が、まだ私の心を煩わせるのです。姉として、家を継ぐ者として、よくよく諭してやらねばならないのに、こそこそ逃げ回って捕まらないのですわ。まったく困った愚妹です」
ほぅ……と、眉を寄せてため息を吐くビアンカに、一人の令嬢が誇らしげに口を開いた。
「そう言えば、使用人から面白い話を聞きましてよ」
その言葉に、周囲の令息令嬢が悔しげな表情をする。それを滑稽だと捉えたビアンカはクスリと笑いながら「何かしら?」と鷹揚に応えたのだった。
取り巻きから得た情報によれば、平民街のとある店に、ミリオンの居なくなった3ヶ月前から見慣れぬ娘が住み着いたと云うものだった。娘は、店の主人の親戚だという触れ込みのようだが、どう見ても似ても似つかぬ容姿――しかも娘の方は、平民にはありえない美しさなのだと云うことだった。
「美しい」と云う点に関しては、甚だ疑わしい情報であるものの、ミリオンが居なくなったのと同時期に現れた娘だというなら調べてみる価値はある。
―――少女の名は「フローラ」だという。




