日常の一幕
俺は上原友春。弁護士の両親と、姉、双子の妹、弟がいる二十五歳。
仕事は教師。姉が弁護士になって、両親への体裁を保てたので、俺は自分がなりたかった進路を進むことが出来た。
高校からの彼女と二十四歳の頃に結婚し、割と充実した人生を歩んできた。
でも、後悔もある。過ち……ではないが、叶うのなら変えたい過去もある。
兄弟……一番下の弟。四葉が小学生の時にいじめにあっていた。その原因は、母や俺達兄弟が関係していた。
母への愛情や、俺達への嫉妬など、一言では言い表せない深い理由なのだが、それが行き過ぎて、四葉は自殺未遂までしてしまった。
―――過去を変えたい。そうは思うが、あの事件を俺の力で変えられるなんてのはおこがましい。これは四葉のプライドも問題であって、俺に介入できる余地はない。
でも、もし同じ時間をやり直せるなら。少しでもいい。違った形になる様に、最善を尽くしたい。
―――そしてもう一つ。こっちはもっと深刻だ。もし変えるチャンスがあるのだとしたら。彼女の運命を変える事が出来るのなら、俺は―――。
「よーし、授業始めるぞー。日直、号令」
挨拶が終わり、いつも通り授業が始まる。この学校で教鞭をとるのは二年目だ。
「―――と、ここの計算を……暁。解いてみてくれ」
「―――はい」
名指しした生徒は前に出てきて、答えを黒板に書く。
「正解だ。よく復習してるな」
問題を解き終わった生徒を席に戻し、授業を続ける。俺も大分慣れてきたものだ。
終了のチャイムが鳴る。授業を締め、課題を言い渡し、号令で終わる。
「ふう、次の授業は三組か」
「せんせ、疲れてますね」
そう言いながら、数名の女生徒が集まってくる。
「まだ一限目だぞ。疲れてないって」
「えー、うそー。疲れてますよー」
女生徒達が楽し気に笑っている。そういえば俺が高校生の頃も、こんな感じで教師に絡んでたっけ。
「まだまだ、お前たちも次の授業の準備をしろよ」
「「はーい」」
返事をして散っていく。解放された俺も次の教室に向かわないとな。
「……っと、その前に」
教室を出る前に、一人の女生徒の机に向かう。
「よ、友達は出来たか?」
「……デリカシーのない台詞って、分かってます?」
俺の挨拶に不愉快そうに答える女生徒。まぁ、彼女の言い分は全くもって正しいんだよな。
「そうは言うけどな。暁が言ったんだろ? 遠回しなのは嫌いだって」
「それにしたってフランクすぎです。そういう距離感だから勘違いする生徒がいるんじゃないですか?」
冷たくあしらわれる。中々痛い所を突くのが、彼女のいい所でもあり、悪い所でもある。
「そんなんじゃ、いつまで経っても友達出来ないぞ」
「今友達がいない事を前提として発言しないでください。それに―――」
少し躊躇い、そっぽを向く。
「友達とか、そういうのはもういいでんすよ」
「―――やっぱりいないんじゃないか」
彼女のお決まりの台詞だ。いつもそうやって、友達いらないとか、一人でいいとか、まるで何かに言い訳をする様に呟く。
俺にはその姿が、在りし日の彼女と重なってしまう。
女子生徒の名前は暁あかり。高校二年生の時に亡くなった、暁夜月の妹だ。
「はぁ、今日も一日疲れたなぁ」
「もう、おじさんみたいな事言わないの」
家に帰ると妻が迎えてくれた。妻も働いているが、いつも俺より早く帰ってくる。
「いつもお疲れさん」
「それは私の台詞です」
妻は台所で料理をしていた。俺は手洗いうがいを済ませ、スーツを脱ぎ、部屋着に着替えて、洗濯機を回す。毎日のルーティーンだ。
共働きなので家事は分担している。料理は妻。洗濯は俺。掃除は交互か、手が空いている方。きっちりと決めている訳ではないが、それが俺達には合っているし、同棲を始めてから今までこのスタイルだ。
「お風呂も出来てるよ」
「先にいいのか?」
「偶には一緒に入る?」
「……それは、週末にしよう」
冗談よと笑う妻。俺は乗り気なのだが、妻がそういうのなら仕方ない。洗濯と乾燥が終わるまで、風呂に入ろうじゃないか。
「それにしても、新米教師ってのは大変だなぁ」
妻の作った手料理を食べながらぼやく。授業するだけでも一苦労なのに、準備や課題の作成、テストの採点と、気の抜ける暇が殆ど無い。
「私達が学生の頃なんて、先生の苦労なんて考えなかったよね」
「だよなー。数学の黒岩、飄々としてたけど、裏ではこんな激務をこなしてたのか」
学生時代の教員の苦労を、同じ立場になって思い知らされる。こも教師になった故だろうか。それとも、子供には大人の苦労が想像できない故なのだろうか。
「でも、やりがいあるんでしょ?」
「……まぁ、夢だったし」
子供の頃からの夢。口にすると笑ってしまうが、思い描いていた自分に、少しでも近づく事が出来ているなら、もう夢じゃなく、目標で、乗り越えるハードルだ。
「姉貴が弁護士になったから、好き勝手やらせて貰ってるみたいなもんだけどな。……アイツなんて、俺以上に無法者だぞ」
「あいつって……春花の事?」
春花。俺の双子の妹で、スカウトされたのがきっかけでモデルをしている。動画サイトに自身のチャンネルもあり、界隈では有名人らしい。
「春花、近々こっちに来るってさ」
「何で?」
「弟さんに会いに」
「あぁ……相変わらずのブラコンね」
妻の彩芽は春花の高校の時のクラスメイトで親友だ。春花の情報は大体妻から入手できる。
「ブラコンなのは友春もでしょ。幾ら弟が好きだからって、弟が通ってる間に、同じ学校の教師になるななんてね」
「それは……あれだ。心配だろ?」
呆れている様子の妻。確かに自分でもどうかと思うが仕方ない。これは俺の戒めの様なものだから。
「四葉くん。また家に連れてきてよ。私も会いたくなっちゃった」
「おう、四葉に伝えとく。でも、あんまし期待すんなよ。あいつ今、受験もあるし忙しそうでさ」
偶に実家に帰ると、四葉は部屋で勉強している。昔ほどではないが、熱心に勉強している四葉の邪魔はしたくない。
「たまの息抜きって事で。よろしく伝えてね」
こうして、日常の団らんは続いていく。毎日の細やかな幸せが、ここにあった。
「……何?」
電話の相手は不機嫌そうだった。俺もしたくて掛けている訳じゃないから、お互い様だろう。
「実家に来るらしいな」
「誰から聞いたの?」
「彩芽」
「……全くあの子は。直ぐに人の情報を漏洩して……」
溜息を吐く。確かに俺に対する情報提供においては口が軽い。少し注意した方がいいか。
「で? 何でわざわざ電話? 緊急なの?」
「そうだな……春花。俺、同窓会に行く事にした」
「……」
俺が切り出すと、春花は暫く無言になった。俺は我慢できずに話を続ける。
「同窓会の手紙が来たんだ。三年のクラスの。もうグループも出来てて、皆の予定を決めてる」
「……何で、わざわざ私に言うの?」
訝しむ春花。と言っても、春花は俺が言いたい事をある程度予期しているはずだ。
「……同窓会には、浅間達も参加する。俺はそこで聞いてみようと思う」
「―――そう。気を付けてね」
珍しく春花が俺を気に掛ける言葉をくれる。普段からいがみ合い、罵りあっている関係の春花が。
「念のため、四葉には言わないでくれ」
「分かってるって。言うはずないでしょ」
万が一の事がない様に釘を刺す。こんな事言わなくても、春花が話題にするとは思っていないが、念には念を。
「―――暁さんの事なんて、四葉に話せないよ」
「―――」
分かっている。これが自己満足な事も。今更どうにかなる話でもないし、真相を暴けるとも思っていない。でも、俺の中でけじめを付けないと、この先一生後悔する。
「―――俺は、同窓会で聞く。暁夜月さんの死が、本当に自殺だったのか」
高校二年生のある日、一人の生徒が死んだ。
名前は暁夜月。同じクラスの女子生徒だった。
活発な子というよりは、物静かでミステリアスな生徒で、休み時間に読書をしているのを何度か見た。
二年になって初めて同じクラスになって、話すきっかけも無かったから、関わりがなかったのだが、ある事件をきっかけに話す様になった。
俺の弟、上原四葉がいじめられ、自殺未遂をした事件。この事件の解決には、彼女の尽力があった。
一人孤独だった四葉に手を差し伸べたのが彼女だった。いじめの事実も明るみになり、弟の本心も知ることが出来た。全て彼女のお陰だ。
最初は弟を助けてくれた恩が強かったが、話している内に、彼女の独特な魅力に惹きつけられていった。とてもよい友人になる……はずだったのに。
暁夜月が死んだ。最初は信じられなかったが、自殺だと聞いた時、更に信用できなかった。
俺は彼女の事に詳しくない。付き合いは長くなかったし、学校で話す程度の関係だった。でも、彼女が自殺するとは到底思えなかった。大人になった今でも、彼女の死に疑問を抱いている。
だからはっきりさせたいのだ。本当に彼女が自殺だったのか。それとも―――。
真実を知る可能性のある者。俺には心当たりがあった。
「ただいまー」
偶に帰ってくる実家は、やはり何も変わっていない。それがいい所なのだろう。この安心感が心の拠り所になったりする。
「あら、お帰りなさい」
出迎えてくれたのは母だ。俺が帰ってくることは伝えていたし、玄関で待っていてくれたのだろうか。
「出迎えなくてもいいのに」
「たまたまよ。もうすぐ春花も着くって」
嬉しそうな母。俺が帰ってくるといつもこんな感じだ。息子が帰ってくるのは親だったら誰でも嬉しい。そんな風に以前言っていた。俺にはまだ分からない感覚だが、想像すると確かに嬉しいかもしれない。
「四葉、リビングにいるわよ」
母の言葉を聞き、リビングに向かう。入るとそこには、椅子に座って本を読む四葉がいた。
「ただいま。四葉」
「―――あぁ、兄さん。お帰り」
そう言いながら微笑むのは、弟の四葉。俺が勤務している高校の三年生だ。
「今日はどうしたの? 突然帰ってきて」
「―――ちょっとな。春花に用があってさ」
「それなら、自分のマンションに呼べばいいのに」
「自宅でアイツのいちゃもん聞きたくねぇよ。それに―――」
言葉を区切って、四葉の頭に手を乗せる。
「四葉に会いたかったしな」
「―――同じ学校にいるでしょ?」
朗らかに笑う四葉。全くもってその通りだ。少しわざとらしかっただろうか。
「相変わらずキモいわね」
気が付くと、リビングの入り口に腕を組んで立っている春花がいた。いつの間に帰ってきたのだろうか。音もしなかった。
「実家に忍び込んでくるお前の方が気持ち悪いわ」
「あら、ちゃんとただいまって言ったんだけど、もう耳が遠くなったのね。歳を取ると大変ね」
「お前、同い年だろ」
双子なんだから歳に差異はない。しかし、春花は鼻を鳴らす。
「私、妹だから年下ですけど?」
「昔は自分が姉だって言い張ってただろうが」
「覚えてないわー」
「それはそれは、お前こそ老化が進んでんじゃねーの?」
春花と睨み合う。相変わらずこいつと会うと憎まれ口を叩いてしまう。
「ふふ」
そんな俺達を四葉が笑う。こうなると俺達の争いは終わりだ。
「ごめんね、四葉。見苦しかったよね? 貴方の兄は大人げないのよ」
「もう終わりなんだよ。蒸し返すな」
被害者面をして四葉に春花が抱きつく所までセットだ。まぁ、俺は兄貴だから、この辺で引いてやるよ。
「相変わらず、仲がいいわね」
リビングに戻ってきた母。何処をどう見たら仲がいい様に見えるのか。親からすれば、こんなのはじゃれ合ってる程度のものなのだろうか。
「ぜんっぜん仲良くないし。寒気がするわ」
「そこまで言うか!?」
身震いする春花に、流石に言いすぎだと抗議したくなる。四葉も母も笑っているし、冗談なのだろう。それくらいは分かっている。
「はぁ、まぁいいや。母さん、今日は飯食ってくから」
「分かってるわよ。夕飯直ぐに作るから待っててね」
言い残し台所を向かう母。俺は椅子に腰を下ろし、四葉が読んでいる本に注目する。
「何読んでるんだ?」
「小説だよ。友達に進められたね」
「……友達か」
四葉から友達というワードを聞くたびに、俺は嬉しさを感じる。
小学生の時、いじめられていた時からは考えられないくらい、四葉は変わった。内気な性格だったが今は社交的で、クラスでも優等生らしい。友達も多くて、教員からも頼りにされている。後は彼女でもいると安泰なのだが。
「―――何? 兄さん」
気が付くと、俺は四葉を見つめていた。俺もはっと我に返り、困惑してしまった。
「……キモ」
「今回は否定できん……」
春花から鋭い指摘に、俺は反論できなかった。




