眠る方法
夕陽が照らす河川敷にて、俺は再び暁夜月と出会う。
瞳に映る彼女は、記憶の中の彼女と何一つ変わっていない。いつも柔和な笑みを浮かべていて、俺の顔を真っ直ぐに見つめてくる。
「もしかして誰か待ってる? だったらさ、来るまででいいからさ。私、暇してるんだ」
俺の隣に腰を下ろす。俺は彼女から視線を外す。
「……別に、誰も待ってないです」
「そうなの? じゃあ私と同じだね」
「同じ……?」
「そう、ただの暇つぶしさ」
そう言って微笑む暁夜月。彼女の態度で昔の記憶が蘇る。そうだった。彼女はこういう人だった。
人を見透かしたような態度で、ミステリアスなのに、何処か寂し気な雰囲気を纏う。
「―――友達いないんですか?」
「おっと、痛い所を突くね、君」
このこのと肘で小突くジェスチャーをする。図星なのだろうか。まぁ、人の事を言えた立場ではないが。
「そうだね。確かに交友関係は少ないけど、友達ってのは数じゃないだろ?」
「ぼっちの常套句ですよ、それ」
「君、本当に小学生かい? 妹といい、最近の小学生は無駄に博識だねぇ」
―――俺は中身が小学生ではない。妹とは話し合いの場を設けた方がいいと思う。
「私はさ。結構好きなんだよね、一人でいるの。勿論、これは常套句じゃないよ」
「……そうですね。気持ちは分かります」
「だろ? 皆は友達がいないだけとか言うけれど、一人が好きな人だっているんだ。自分の価値観を他人に押し付けるのは止めて欲しいよ」
ため息交じりに言う暁夜月。成程、彼女も俺と同じく一人なのか。昔も今も、俺を見つけられたのはそういう事か。
「妹とは仲がいいんですか?」
「ん? そうだなぁ。まぁ、慕われているみたいなんだよね。自分で言うのはちょっと恥ずかしいけど」
後頭部を掻きながら照れている。それは良かった。なら彼女は俺とは違う。
「―――大切にしてあげてください。姉妹の関係は一生物ですから」
「君、それは流石に小学生の言葉じゃないだろ。漫画の台詞か何かかな?」
確かにらしくない言葉だ。本当にらしくない。どの口が言っているのかと思う程だ。ただ、紛れもない本心だった。
「家族って、切っても切れない関係なんですよ。自分がどうとか、相手がどうとか。本人達の都合とはお構いなしで繋がってる。……本当、うんざりする程に」
「……うーん。捉え方としては合ってると思うよ。でも、だから良いんだよ」
「……」
「切っても切れないから、安心できる。揺るがない関係。そんな物は世の中探し回っても中々ないぜ。少年」
―――どうしてだろうか。彼女のその言葉に、俺は少し惹かれてしまった。
「それは……素晴らしいですね」
「そうさ。だから、君も今の関係を大切にしなきゃね」
微笑む顔を見て思い出す。そうだ。昔もこんな彼女の姿が眩しくて、憧れた。毎日河川敷に通い詰める程に。
だけど、もう昔の俺じゃない。知り過ぎてしまった今の俺には、暁夜月の言葉は届かない。
「僕は一人なので、大切にする関係はないです」
「兄弟だけじゃないよ。お父さんにお母さん。お爺ちゃんにお婆ちゃん。それこそ友達だって、大切な関係だよ」
「友達なんていません」
「いるじゃないか。一人」
悪戯っぽく笑う。俺に友達はいない。彼女は何を言っているのだろうか。
「私達はもう、友達だろ?」
―――昔、同じことを言われた。この一言に、小学生だった俺は救われた。
友達という響きに心奪われた。一瞬だけど、一人じゃないと思えた。暁夜月の存在が、俺の支えになった。
―――でも、俺は知っている。未来が分かる。彼女はいなくなる。俺の前から。
「―――嘘つき」
「え?」
思わず口にしてしまう。俺は重い足を動かしゆっくり立ち上がる。
「もう、僕に関わらない方がいいですよ。時間の無駄になる」
「……何を―――」
暁夜月の返答を聞かずに、俺はその場を後にする。これ以上、彼女の前にいるのは危険だ。思ったことが口に出てしまう。
言ってはいけない事が、塞き止められない呪詛が流れ出てしまいそうだった。
暁夜月は俺の前からいなくなる。それは決まった運命だ。俺が何をしても変わらない。俺に彼女を留めておける魅力はない。
暁夜月は何も悪くない。でも、分かっていても言ってしまいそうだった。現に言いかけていた。
悪いのは全部俺なんだ。俺は俺が嫌いだが、暁夜月の事まで嫌いになりたくない。寧ろ逆だ。
そんな人を嫌いになるなら、それは地獄に落ちるに相違ない悪徳だろう。
あくる日もあくる日も、俺は河川敷にいった。
暁夜月に会いたかった訳ではない。俺にはここしか行く場所がなかった。
昔、図書館に行っていた時があったのだが、図書館に行きだすと、放課後直ぐにいじめっ子達が俺の下にやってきて、強制連行される様になった。
結局、服が汚れた状態では校舎に戻れず、河川敷に行く事になった。当時はいじめられている事がばれない様にしていた弊害だが、今なら図書館でもいいのではないだろうか。当時は無駄なプライドが邪魔をしてばれない様にしていたが、いじめがばれようがばれまいが、俺の人生が変わらない。
それなのに河川敷に行ってしまうのは、心の何処かで暁夜月に会いたいと思っているからなのだろうか。
定位置で川を眺めていると、毎回隣に誰かが座ってくる。見ると必ず、笑みを携える暁夜月だ。
「昨日、面白い動画があってね。聞いてくれるかい?」
毎回違った話題を話す。学校での出来事。家での出来事。友達の話、妹の話、等々。
俺は特に反応しない。暁夜月の一人語りを聞いている。暁夜月も無視し続ける俺にはお構いなしで、話し続ける。
「……」
「ん? 寝ているのかな?」
身体を揺さぶられて目が覚める。気が付いたら寝ていた。
「夜更かしは身体によくないぞ。君はまだ小学生なんだから、しっかり睡眠を取らないと」
言い聞かせる様に叱られる。俺も好きで起きている訳ではない。―――眠れないだけだ。
「……寝てますよ。ただ、しょっちゅう起きるだけです」
毎晩、決まった時間にベッドに入っている。しかし、目を瞑ると、嫌でも考えてしまう。
これから続く日々を。繰り返す日常を。心臓の音がやけに五月蠅くて、ドキドキして眠れない。息苦しくて身体が震えて、目が冴えてしまう。
例え眠りにつけても、悪夢で目が覚める。見る夢はいつも同じだ。
いじめを受けている時。家族と食事する時。学校で過ごす一人の時間。何もかもが俺の心を蝕んでいく。
起きるとびっしりと汗を掻いている。夢の内容は直ぐに忘れるはずなのに、消えない記憶がフラッシュバックし続ける。
もう何日も安眠していない。いや、もう何年もしていなかったか。
「いつか身体の限界が来たら、強制的に眠れます。ほら、さっきもその予兆―――」
言い終わるより早く、俺の身体は横に倒れた。正確には倒された。暁夜月の手によって。
「―――なんですか?」
「眠れない時は誰かと一緒にいると眠れるよ」
そう言いながら、膝の上に俺の頭を乗せ、優しく髪を撫でられる。
「別にいいです。こんな事しなくたって」
「偶には私の話を聞いてくれ。それに、先人の知恵というのは案外馬鹿に出来ないんだよ」
「……何が先人ですか。笑えますよ。それに、話なら、ちゃんと、聞いて―――」
視界がぼやける。意識が遠のく。抵抗できない。落ちていく。
柔らかな手の感触と、微かに聞こえてくる歌声。子守歌でも歌っているのだろうか。そんな子供騙しみたいな事で、俺は眠ってしまうのか。
―――そういえば、昔。母が寝る前に読んでくれる本が好きだったな。眠い目を擦りながら、頑張って聞いていたっけ。
意外と、俺の中にも、忘れているいい思い出があるのだろうか―――。
一人。一人待ち続ける。
何日も、何週間も、待ち続ける。
頭の何処かで気が付いている。もう来ないのだと。
待ち人は現れない。無意味な時間だけが過ぎる。
それは問題じゃなかった。何処にいて何をしていようと、無意味な時間なのは変わらないから。
ただ、この場所に来なくなってしまったら、無かった事になってしまう気がしたんだ。
幻だった。現実ではなかった。そう世界から言われている様で。
認めたくなかった。諦められなかった。無くしたくなかった。
たった一つでも、大切な物をその手に握り締めていたかった―――。
ゆっくりと目が開く。視線の先には、夕日に照らされる川と、その上に掛かる橋。一瞬ここが何処だか分からなくなる。
柔らかな感触が頭にある。身体を動かして仰向けになると、夕方の空が綺麗に映る。
「俺は―――」
寝ぼけた頭で今の状況を思い出していると、上から人の顔が覗き込んできた。
「あぁ、起きたのか。目が覚めるっていう話は本当なのかな」
そう言いながら頭を撫でられる。優しそうな笑みを浮かべて俺を見る暁夜月。
「……どのくらい寝てましたか?」
「丁度一時間だ。もう少し寝ていてもいいんだよ?」
スマホの画面を見せてくる。確かに一時間きっかりだ。俺は身体を起こし立ち上がる。
「すみませんでした」
「違うな君。そこはありがとうだろ?」
「……ありがとうございます」
「うん。よろしい」
にかりと笑う。その表情に俺は照れくさくなり顔を逸らす。彼女には笑顔が似合う。今も昔も、そう思っていた事を思い出した。
それと同時に脳裏を過る。また夢を見ていた。その内容を。
「―――」
俺はその場を後にしようとする。すると暁夜月から声が掛かる。
「もう、帰るのかい? 明日も私の膝は空いてるよ」
「……もう、僕に話しかけないでください」
「なんだい? 別に恥ずかしがることないんだよ。君はまだ子供―――」
「止めろって言ってるんだっ……!」
声を荒げてしまった。ダメだ。これ以上はいけない。このままじゃ―――。
「―――すみませんでした」
一言それだけ言い残し走り去る。振り返らず、ただひたすらに走る。
体力の限界まで走り、荒い息を吐きながら止まる。後ろを見ても誰もいない。追いかけてきてはいないみたいだ。
「―――クソ!」
壁を殴る。手に痛みが走るが、何度も殴る。手から血が出てきた事で、少し冷静さを取り戻す。
俺はさっき何を言いかけた? 暁夜月に何を言おうとした?
きっと、あのままあそこにいたら、彼女を傷つけてしまう所だった。自分を制御できず、罵詈雑言を吐き散らしていた。
もう河川敷には行けない。暁夜月の顔を見ることが出来ない。醜悪な自分の素顔を抑えつける事が出来ない。
もうすぐ日が暮れる。帰ろう。彼女を傷つけるくらいなら、家にいた方がよっぽどマシだ。
ふらふらとした足取りで岐路に付く。もう心も身体も限界だった。
いつ爆発するかも分からない時限爆弾を抱えながら生きている感覚だった。
翌日の学校、放課後直ぐには机を離れられなかった。
気持ちとしてもそうだが、それ以上に肉体的な疲労が全身を蝕んでいた。
昨日も眠れなかった。目を閉じると見えるのは、これからの学校生活の記憶。眠りに付いても直ぐに起きてしまう。小学生の年頃で不眠症になってしまったのかもしれない。
どうしても椅子から立ち上がれない。眠い。兎に角眠い。でも、寝ても直ぐに起きてしまう。悪夢で目が覚める。自分の記憶という忘れられない悪夢で。
思考力も低下する。このまま動かなくてもいいか。どうせ明日もこの場所に来るのだ。わざわざ帰る必要はない。
そもそも家に帰りたくない。あそこに心休まる場所はない。
学校にも居場所はない。友達もいない。話し相手もいない。
唯一の避難所は、昨日自分から捨ててしまった。河川敷には行けない。彼女に俺は近づけない。
もう明日の授業までここで寝ていようか。何だか、机なら寝れる気がする。
机に突っ伏してそんな事を考えていると、教室の扉が開く音がする。足音が近づいてくる。俺の近くで足音が止まる。
「上原さん。大丈夫?」
聞こえてくるのは、クラス担任の声。昨日も放課後に教室にやってきた。毎日見回りをしているのだろう。俺の様な生徒がいないか確認する為に。
「―――」
いつもなら直ぐに立ち上がって帰るのだが、何だか身体が言う事を聞かない。この場からいなくなりたい気持ちより、身体の気怠さが勝っている。
「もしかして、体調悪いの?」
担任の心配そうな声が聞こえる。最近は大丈夫かどうかを頻繁に聞かれている。疲れが表に出ている証拠だ。昔はもう少し誤魔化すのが上手かったと思うのだが。
俺はのそりと起き上がり、ランドセルを持って教室を出ようとする。すると担任に呼び止められた。
「上原さん、どうしたの? 最近、教室に残っている事が多いけど」
「……」
「具合が悪いの? それなら保健室に―――」
言い終わる前に無視して教室を出る。何だろう。いつもはこんな事しないのに。どんなに面倒でも受け答え位はするのだ。しっかり会話を終わらせないと、必要以上に絡んでくる可能性が高まってしまう。
自分の行動に遅れて気が付き、咄嗟に走って逃げる。後ろから呼ぶ声が聞こえたが、無視して走る。
急いで靴を履き替え玄関を出る。もともと蓄積されていた疲労と、疾走の疲労で息が上がる。思考力が更に低下し、目の前がぼやける。
追ってきていないのを確認し、呼吸を整える。深呼吸すると身体中にずっしりとくる疲れで吐きそうになる。
今にも倒れそうだ。流石にベッドで横にならないといけない。しかし、こんな疲労困憊で家に帰れば、家族からの追及にあう。そうなると、昨日から眠れない事がばれてしまって、更に面倒な事に―――。
「おい、おせーだろ。毎回言わすなよな」
膝に手をついて休憩していると、気が付けば数人の男子に囲まれていた。
「さっさと来いよ」
数人に腕を掴まれて連れていかれる。行く先はいつもの校舎裏か。出来れば今日は勘弁してほしいのだが、彼らには俺の都合など関係ない。他人を思いやれる思考があるなら、いじめなんてしないのだから。
強引に連れてこられ、いつもの可愛がりが始まる。俺はされるがままに悪意を全身で受けていた。
突き飛ばされる度に脳が揺れ、お腹を蹴られる度に胃液が込み上げてきて吐きそうになる。最初から満身創痍なのに、追い打ちを掛けるように暴力が身体を襲う。
まずいな。本調子でない身体で受けていいレベルの暴力ではない。
意識が遠のく。心も身体も限界だ。かと言ってこの状況を打破できる作もない。成すがまま、されるがままだ。
あぁ、早く眠りたい。でも、例え寝れたとしても悪夢にうなされる。安息の地は存在しない。何処にいても心は休まらない。
本当に休息したいなら、俺の意思が介在しない、何人にも侵されない、そんな不可侵領域の様なものが必要だ。そんなものは一つしかない。
このまま死ねれば、どんなに楽だろうか。―――もしかしたら、そんな考えからの行動だったのかもしれない。
俺はふらりと立ち上がる。普段しない俺の行動に、いじめっ子達が動揺する。
「何急に立ってんだよ!」
一人がそう叫びながら、俺のお腹を蹴ろうとしてくる。俺はそれに合わせて身体を前に倒す。腹部を蹴る為に上がった足に、丁度俺の顔がぶつかる様に。
「―――!」
思いっきり顔を蹴られる。その瞬間、頭から血が引く感覚があった。
地面に倒れる。うっすらとしか前が見えず、何故か身体も動かない。俺は確信した。少し前にも似たような感覚を味わった。
自身の意思とは関係なく、意識が無くなる感覚。落ちる。落ちる。深い闇の底に。
意識がなくなる寸前、何だか騒がしい声が聞こえた気がしたが、何なのか思考する程の時間は無かった。
故障したモニターの様にぷつりと途切れる視界が、俺の覚えている最後の光景だった。




