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好きな人と幸せになるまでの物語  作者: 朋佑
第一章
2/11

日常の中の

 薄っすらと目を開く。夕陽が眩しくて腕で目を覆う。

 地面に寝転がっている。後頭部は土の地面。仰向けの体制で大の字の体制だった。


「……痛っ」


 痛い。下腹部に痛みを感じる。右手で触るとズキズキと痛む。身体中に痛みがある。お腹程ではないが、擦りむいた時の様な鋭い痛みが身体中からする。


 ゆっくりと起き上がる。辺りを見渡すがここが何処か分からない。俺は状況を整理する。

 最後の記憶は、硬いアスファルトが前面に近付いてくる光景。屋上から飛び降りた時の浮遊感。


 俺は飛び降り自殺をした。その……はずだ。高校の卒業式の日に、人生を自らの手で終わられ、自由を手にする為に飛び降りた。もしかして、死ねなかったのだろうか。


 頭を触る。飛び降りた時に即死できるように逆さになったのに、痛みもなければ傷一つない。

 痛むのは下腹部。飛び降りでお腹が痛くなる事があるか? 有り得ない。ピンポイントでそんな事。

 服をたくし上げると、お腹には青痣が出来ていた。打って出来たのもだろうが、これは殴られたり蹴られたりした時にできるものだ。


 そもそもここは何処だ。俺は高校にいた筈だ。

 少し考えて、違和感に気が付く。俺は目の前にある建物に近付く。

 学校。ここは学校だ。高校ではないけれど、確かに記憶にある学校。


 ガラスに映る自分の顔。それが一つの事実を物語っていた。


「小学校……? 俺は小学生なのか……?」


 ガラスに薄っすらと映る若かりし頃の俺の顔。随分と低くなった事が分かってしまう位に変わっている目線。


 そりゃ、見覚えもあるはずだ。忘れたくても忘れられない場所。俺が小学校の時、毎日の様にいじめられていた校舎裏。


 当時の記憶が鮮明に思い出される。まるで昨日の事のようだが、この身体には本当に昨日の事なのだろう。身体中の痛みが、それを鮮明に記憶している。


 冷静に状況を整理する。もし、本当に、俺の考えている事が正しいのなら、これは悪夢の類に他ならない。


 俺は小学生の頃に遡っている。その事実に俺は絶望した。




 夕陽に照らされながら岐路に付く。足取りは重く、視界はぼやけていて、前を向いて歩いているのかもわからない。身体に染みついた帰巣本能で歩いている。


 これは夢だろうか。死んだ後の事なんて誰にも分らない。死後の世界とか、天国とか地獄とか、科学的に証明されていない非現実だ。


 それでも少しは期待していた。ここじゃない何処かは、生きていた時にどんなに妄想した事だろう。自分が天国に行けるなんて思い上がってはいないけど、地獄へ移送される程、悪行を重ねたつもりはない。


 でも、実際にいるのは、地獄以外の何物でもない。


 自宅前についてしまった。扉に手を掛けるが、直ぐに開けることが出来ない。

 予感がするのだ。この扉を開けてしまったら、もう戻れないと。自分の中の何かが崩れ去ってしまうのだと。


 中々開けられずにいると、扉が勝手に開く。向こうから誰かが扉を開けたのだ。


「あら、帰ってきたの? 早いわね」


 開けられた扉の向こう側にいたのは、見覚えのある母の顔。しかし、最後の記憶より随分と若い。


「……ただいま」


 俺はこの時、どんな顔をしていたのだろう。自分で自分の顔をイメージできない。


 家に入るや否や、急いで自室に向かう。後ろから母の声が聞こえたが、何を言っているか理解できる程、脳のリソースは残っていなかった。


 自室に入りベッドに飛び込む。何度が自分の頬を抓るが、ただ痛いだけだ。現実は何も変化しない。


 悪夢ならどれ程いいか。それ以上に厄介で、地獄すら生温い俺の歴史。


 吐気に寒気。身体の震えが止まらない。布団を頭から被り、増える身体を抱きしめて必死に願う。


 どうか神様。夢なら覚めてください。俺にはもう耐えられない。




 足音が聞こえる。この部屋に向かってくる足音だ。

 ベッドから転がり落ちるように出て、足音の主を待つ。自室の扉が開き、隙間から母が顔を覗かせる。


「よーちゃん、ご飯よ。どうしたの? お部屋真っ暗で」


 母が部屋の電気をつける。電気に照らされた俺を見て、母が驚きの声を上げる。


「どうしたの!? 頬が真っ赤。そんなに服も汚して……」


 動揺する母、俺はぼーっと母の顔を眺め、数秒遅れで返答する。


「……あぁ。転んだ」

「転んだって、それでそんなに頬は赤くならないでしょ?」

「抓った」

「どうして……?」


 不思議そうにしている母。俺は部屋のタンスから着替えを取り出し、扉の前の母を素通りして洗面所に向かった。


 顔を洗って服を着替える。洗面所に映る顔、両方の頬が真っ赤になっていた。これは母が驚いても仕方がない。目元も赤くなっている。いつの間に流れたのだろう。それほど痛かったのに気が付かなかった。


 服を洗濯に出し、リビングへ。そこには見覚えのある顔が三人。誰も彼も最後に見た時より若返っている。


「アンタ、二度と学校で話けてくんな!」

「弁当届けてやったんだろ! 感謝しろ!」

「頼んでないし!」

「まぁまぁ、仲良しでいいじゃない」

「「何処が!!」」


 騒がしいリビング。俺が来たことに最初に気が付いたのは長女の椿だった。


「あぁ、四葉、ただいま……どうしたの? 頬が赤いよ?」


 頬の腫れに気付く。椿に続いて、次女の春花が反応する。


「え? どうしたの四葉!? 大丈夫!?」


 心配そうに駆け寄ってくる。先程までいがみ合っていた長男の友春も近寄ってきた。


「どうした? 叩かれたのか?」

「そうなの!? 誰に!?」


 友春の言葉に春花がヒートアップする。椿も「本当?」と不安そうな声を出す。


「……自分で抓った」

「そうなのか? でも、どうして……」

「……学校で流行ってたから」


 適当な理由を答える。椿と友春は懐疑的だったが、春花は納得した様子だった。


「あーあ、あるよね。小学校の時、じゃんけんに負けたら手叩くみたいな遊び」

「確かにあったけど、頬じゃないだろ。てか、小学生ってそんなの流行ってんのか?」

「ちょっと物騒だよね」


 深刻そうな表情で話し合う椿と友春。春花は俺を抱きしめると、頭を撫でてくる。


「大丈夫? 無理に流行りに乗る必要ないんだよ。嫌なら嫌って言うんだよ」


 子供をあやす様に優しい言葉を掛けてくる。俺は春花を振り払い、自分の席に座る。


「大丈夫だから」

「あ……」


 俺の態度に寂しそうな声を出す。


「あんまり子供扱いすんなよ。もう四年生なんだからさ」

「そうよ。男の子なんだから」


 そう言いながら俺の頭を撫でる椿。その様子に不満そうに頬を膨らます春花。呆れた様子の友春に、遅れて母がリビングに入ってくる。


「おまたせ。お父さんお仕事で遅れるらしいから先に食べちゃいましょ」


 はーいと三人が返事をする。各々が自分の席に座り直す。隣の友春が俺に話しかけてくる。


「何かあったら言えよ。困ったことがあったら、必ず解決してやる」

「……」

「おい、さりげなく点数稼ぎするな」

「点数稼ぎってなんだよ……」

「ふふふ」


 友春と春花のやり取りを椿が微笑んで見守る。リビングに入ってきた時に見た光景だ。


 俺はそんな兄弟たちのやり取りを他人事のように見ている。自分の事について話していたはずなのに、俺には会話の内容が入ってこない。


 あの頃、ずっと眺めていた他人の食卓の光景。画面の向こうの家庭を観ている。自分には関係ない家族団らんを強制的に観させられる苦痛。

 蘇ったトラウマを目の前で再現される。これを拷問と言わずして何だと言うのか。


 夕飯は何を食べたのか分からなかった。何の味もしなかった。ただただ早く食べてこの場から立ち去りたい。その一心だった。会話も耳に入ってこなかった。


 その後もベッドに横たわるまで何をしていたか覚えていない。風呂に入ったのか。歯を磨いたのか。何も覚えていない。唯々、時が過ぎるのを待ち、一切の思考力を排除していた。時間を感じない様に。苦しさを忘れる様に。


 夜中、ずっと寝付けなかった。心臓の音がやけにうるさく、バクバクと鼓動して眠れない。身体は疲労しているのに、苦しくて苦しくて、どうにも落ち着かない。


 結局、翌朝まで一睡もできなかった。その後、学校に着くまで誰と何を話したのかも覚えていない。




 放課後、生徒達が各々に教室を出ていく。俺は直ぐには立ち上がれなかった。


 授業は何も聞いていなかった。というより頭に入ってこなかった。小学生の授業を高校生が真剣に受ける必要もないと思うが、そんな事は関係なしに、心ここにあらずだった。


 本当なら、魂すらここにないはずなのに。俺は自身の過去に縛られている。


 これから家に帰る。すると昨日と同じ光景を見る。そしてまた学校に行く。分かり切った日々が繰り返される。そう思うと、どうしても足が動かない。


 窓の外をぼんやりと眺めていると、気が付けば俺一人になっていた。

 教室に誰か入ってくる。見ると、このクラスの担任だった。


「どうしたの? 上原さん」


 優しそうな女教師が、話しかけてくる。その柔和な表情に俺は顔をしかめた。


「今、帰ります」

「? そお? 遅くならない内にね」


 俺の態度に少し引っかかっている様子だったが、俺はそそくさとその場を後にする。昔からあの教師は苦手だった。あのおっとりとした口調が椿を思い出し、必然的に兄弟を想起させる。


 頭に浮かぶビジョンを振り払うように頭を掻き玄関へ。靴を履き替え校門から出ようとした時、声を掛けられた。


「よう。遅かったな」


 立ち止まると、校門付近にいた数人の男子が近寄ってくる。四、五人の男子に囲まれ、中央の一人が歩み寄ってくる。


「おせーだろ。今日も遊ぶ約束だっただろ?」

「……」

「おいおい、何か言えよ。相変わらず気味悪いなぁ」


 周りの男子がクスクス笑っている。目の前にいるこいつは同じクラスのガキ大将。いつもお山のボス猿を気取っている奴だ。


「ま、いいや。早くいこうぜ。な?」


 そう言いながら肩を組んでくる。腕には力が籠っていて、俺を逃がさない様に肩を掴んでいる。


 成すがままに連れていかれる。場所は校舎裏。俺が昨日、目を覚ました場所。

 突き飛ばされたり蹴られたり。いつも通り腹だけを蹴る。見える所に傷を残さない配慮。小賢しい事この上ない。


 散々いびり倒し、飽きた様子で去っていく。仰向けに倒れながら暫く空を見る。

 昨日と同じ光景だ。もう日付が進んでいるのかも分からない。もしかして、昨日と今日を行き来しているのではないだろうか。幼少期に遡るなんて摩訶不思議な体験をしているのだ。今更何が起こっても驚きはしないし、疑いもしない。


 適当な所で起き上がり、服の土を払ってから校舎裏を出る。何事も無かったかのように下校するが、腹部の痛みは雄弁に先程の暴行を物語っている。


 自宅の近所まで来た所でふと思い出す。小学校の頃、今みたいに家に帰りたくなくて暇を潰していた場所。近所の橋の下、大きな川の河川敷の草むら。そこに座って時間を潰していた。川の流れを眺めているだけで気が紛れた。


 でもそれは小学生の感性だったからだ。中身と外見が伴っていない今の俺には、流れる川の景色にどれだけの効力があるのだろうか。もう自然で癒されるなんて段階は過ぎている。もうあの頃の様には楽しめないかも知れない。


 それでも、足を運ぶしかなかった。家には帰りたくない。ただその一心が俺の身体を動かしていた。


 河川敷に辿り着く。先にある大きな川は立ち入り禁止の看板が立っている。それほど深くはないはずだが、小学生くらいの身長なら溺れる危険があると聞く。俺は離れた草むらに座る。


 夕陽に照らされる川と、上に掛かる橋を行き交う車を眺める。こうして何も考えずに座っているのは少し楽だと感じる一方で、どしても現実逃避できない、自分の意思とは関係なく脳を過るこれからの日々。


 どうしてこんなことになったのだろうか。死んだと思ったら幼少期に戻るなんて、どうしたら予想できるのだろう。


 もしかして、ズルをした報いなのだろうか。人生をショートカットした罰なのだろうか。それが地獄へ行く罪状なのだろうか。


 もう何だっていい。現実として俺は小学生に戻っていて、これから自分の人生を追体験する事になる。何のいい事も無く、夢も希望もない道のりを、山頂に登るが如く無心で歩く。


 もう一度人生をやり直すことが出来たら、間違った選択を変え、失敗した過去を成功に変える。誰もが一度は考えるであろう空想。それが今目の前にある。でも、俺にはやり直したい過去などない。


 後悔のある選択をした訳ではない。何も生きる目的が無かったのだ。目的は小学生の頃に失われた。


 それは俺の能力不足が原因だが、妥協したつもりは一切ない。全力で勉強して届かなかった。


 優秀な兄弟を煩わしく思う気持ちも、当時の俺にはどうする事も出来ない。俺の選択によって得た結果ではない。生まれた星の元が悪かった。ただ運がなかっただけだ。過去の戻ったところでそれは変わらない。


 先の未来を知っている。高校生級の学力を持っている。小学生の今なら、同い年の子とは比べものにならないくらい優秀だ。でもそれは、俺が優秀だからじゃない。頭の出来は変わらない。才能が開花した訳じゃない。答えを先に知っているだけ。自分の記憶をカンニングしているだけなのだ。いつか絶対にボロが出る。また自分の不出来に落胆する。


 変わらない。何も変わらない。人生をやり直せたって何も変わらないんだ。また同じ様に生きて、同じように死ぬ。もしかしたら、一緒それを繰り返すのかもしれない。俺の感情が、心が壊れるまで無限に繰り返される。


 ―――地獄だ。やっぱりここは地獄だったんだ。天国になんて行けやしない。初めから選ばれた人間だけが人生を謳歌し、爪弾きにされた俺の様な存在は、一生地獄の底を這いずり回る。

 なんだ。今までと同じか。俺の人生も、ヒエラルキーも、過去に戻った程度では変わらないのだ。それこそ、奇跡でもない限り―――。


 夕陽に照らされた川はオレンジ色に輝いている。それなのに、俺の目には何もかもが色あせて映った。

 足に力が入らない。もうこの場から動ける気がしない。考えるのも億劫だ。いっそ目の前の川にでも飛び込もうか。もう一度死ねば、何か―――。


「君、一人?」


 不意に声が聞こえた。最初は反応できなかった。今のが一体誰に掛けられた声なのか。何処から聞こえるのか、分からなかった。ただ、無駄に知識を身に着けている脳が、記憶の中の声と照合を始める。


 聞いた事がある。そう、それは今くらいの歳。小学生の時。丁度この河川敷で聞いていた。女性の声。

 ゆっくりと振り向くと、斜め後ろに女性が立っていた。高校の制服。兄弟や俺が通っていた進学校の制服。


 黒髪が長めのボブヘアに良く似合う、細身の女子生徒。四月でもまだ肌寒く、黒のカーディガンを着ている。


 女子生徒は振り返った俺の目線に合わせる様にしゃがみ、改めて俺に問う。


「君、一人? だったらさ。お姉さんとお話ししない?」


 暁夜月。俺の人生で唯一、焦がれた女性だった。

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