第二章「魔王に喧嘩を売るだけの楽な仕事」その1
第二章が始まりました。
引き続きよろしくお願いいたします。
翌朝、目を覚ました俺は顔を洗うべく宿の外へと出る。
井戸から水を汲むと、桶の中には自分の顔が映っていた。
疲れ切った顔とボサボサの髪。
この夕暮れのような赤髪は俺の顔にあまり合っていないとすこぶる評判が悪い。
もう少し夕日のごとく爽やかな笑顔をしろというのか。全く、無茶な注文だ。
顔を洗い終えると、宿のカウンターで朝食を注文する。
スープに付けたパンを貪りながらもこれからのことについて考える。
ルゼは翌日に俺を迎えに来ると言っていた。
その間はゆっくりと休んでいてもいいということだろう。
特にすることもないままブラブラする他ない。
そもそも、贅沢ができる金もない以上、どうにかして浪費せずに時間を過ごさなくてはならない。
安酒を飲んで酔いつぶれる、というのも考えていたが、一応元勇者である以上は、へべれけになって周囲に醜態を晒す訳にもいかない。
ふと、宿のカウンターの隅に置いてあった新聞に目が行く。
「アピスニュース新聞か」
十年以上連載してある大人気四コマ漫画の『負けないで! グルグマン!』を読み終えてから、ぼんやりと記事を眺める。
遠い所にいる人と話せる機械を作っている研究者の話題が盛り上がっている他、ある記事が目を引く。
「これは――」
シャイチ帝国内にて皇位継承者の一人が暗殺されたとのことだ。
やれやれ、隣国はいつも荒れているようだ。
新聞を元あった場所に戻してから、憂鬱な気分を晴らすがてら暇つぶしにはなるだろうと思い、街を散策することにした。
幸いにも天気は穏やかなものだ。
綺麗に整えられた街路樹が並ぶ大通りでは、露店が並び、吟遊詩人が詩を披露している。
最近の詩は飛び抜けて明るいものが多い気がする。
魔王のいない幸せな時代を象徴しているのだろうが、それにしてはハイテンポな歌がこのところ増えてきている。
歌詞が頭に入ってこないのは、俺の感性が時代に追い付こうとしてないのか。
欠伸をしながらも歩いていると、役場前まで辿りつく。
比較的新しい庁舎は見ていて羨ましいものだ。
ふと、役場の前にある広場を見てみると、そこで何やら人だかりが出来ていた。
リーダー格の男が大声で抗議し、警備員が苦慮していると言った様子だ。
抗議している側の服装を見ていると、革鎧にバンダナ、腰に剣や短刀を下げている。
恐らくは冒険者の類だろうか。
「何だかね」
やはり、真の平和というのは人間にとってまだ早い話なのやら。
いずれにせよ、俺の出番ではないし、余計なことに首を突っ込む趣味は持ち合わせていない。
しばらく歩いていると、今度は白塗りの壁が特徴の大きな建物が目に入る。
ミセリアートの国教でもあるエテルニア教の神殿だ。
辺獄神の中でも主神とされるア・エテルニアを崇めるというもので、ミセリアートのあちこちに神殿がある。
祝祭日には大勢の信心深い礼拝者が祈りを捧げているのだが、さらに信心深い者は暇さえあれば祈っているくらいだ。
まあ、辺獄神がミセリアートを救ってくれているのだから感謝を捧げたい気持ちはよくわかるのだが、隣人にも優しくして貰いたいものだ。
神殿の隣の廃墟を見ていると、どうしてもそんな感想を抱いてしまう。
かつては冒険者ギルドだったのだが今は見る影もなかった。
冒険者とは文字通り各地を冒険して希少な物を手に入れたり、地域住民の悩みを解決することで収入を得ている連中のことだ。
魔王がいた頃の冒険者の主な収入源は、各地での魔物退治や魔物の鱗や牙といった素材の収集、中には美味な魔物の卵を取ってこいといった変わり種もあった。
俺も道中の路銀稼ぎのため各地のギルドで依頼を受けたこともあったが、ギルドの職員や手伝ってくれた冒険者も皆優しかった印象があった。
そんな冒険者ギルドも時代の移り変わりによって廃業や事業縮小の憂き目に合っている。
思えば、冒険者達は魔物を敵と見なす一方、魔物に依存していたのかもしれない。
魔物が全ていなくなったわけではなく、人里離れた場所や辺境ならば見かけることはあるのだが、小さな村に魔物退治の報酬を払える余裕もなく、辺境の魔物に限って強い個体が多いため、冒険者達が嫌がることも多いのが現状だ。
神殿と見比べていると、時代がどんなに変わっても信仰の力は強いのだなと納得しているその時だった――。
「ん?」
何だろうか、どうにも妙な気配がする。
俺の人生経験上、こういう感じがする時は、たいていロクでもないことが起こる前触れだ。
どうにも、落ち着かない気分のまま、しばらく歩き続けていると、見覚えのあるレンガ造りの建物を発見する。
「勇者記念館か……」
立札に書かれた文字を見て、思わず吹き出しそうになってしまう。
このブラーカの街では先の魔物達との戦いの被害が大きかったため、俺とその仲間が魔物共から稼いだ金の殆どを寄付した所、感謝の意を込めて建てられたものだ。
俺とかつての仲間達の栄光が詰まっている場所だが、先程の神殿の方が豪華な造りになっているような気がするのはどうにも釈然としない。
「入ってみるか」
受付で入館料を支払って記念館に入ると、昼時だというのに人の気配がまるでない。
中央のホールにある俺の銅像から目を反らしながらも、館内を巡ってみる。
パンフレット片手に、まずは『勇者一行の歴史コーナー』という区画を覗いてみる。
俺だけでなく、仲間達の歴史について年表形式でまとめられ、中には当時使われていた道具がショーケースに飾られている。
当時俺が身に着けていた鎧に、膝当てや仲間達の武器――。
そのどれもが激しい戦いのせいで破損していたり、中には炭と化した防具もある。
道具屋で叩き売った物ばかりなのだが、回収されてここに飾られることになるとは。
「皆、元気かな」
ぽつりと呟いたその時だった。
「イェルド」
誰かの声がした。
「イェルド!」
――ああ、そうだった、俺の名前だったな。
振り向くと、そこには水色の髪の女性がいる。
丈の高い黒一色のローブと同じく真っ黒な三角帽子を身に着けており、その金色の目はネコ科を彷彿とさせる。
「ラミーグ!」
「久しぶりね」
水色の髪の毛先を不機嫌そうに指でいじっているのは、とっさに俺が反応しなかったせいか。
「悪い、ぼんやりしていた」
「元勇者様は呑気なもんね」
――元勇者。
俺のことをそう呼んでくれるのは、よく考えると限られた人間だけだろうか。
かつて、ラミーグは俺と共に魔王と戦った仲間の一人で、魔法使いとしての実力は指折りものだ。
高飛車な性格は昔と何一つ変わらない。
ただ、昔と比べるとより堂々と胸を張っている点からも、自分に自信を持って生きているということが伺える。
「えっと、王立魔法学院で働いていたんじゃないのか?」
「いつの話? 今は立ち上げた会社の経営で忙しいのよ」
「か、かいしゃ?」
「そ、電気って知っているわよね?」
「そのぐらいは知っているけど」
電気とは確か魔法に代わる新しいエネルギーだったか。
今も照明には魔力を込めた魔法石が使われているが、その石を作り出すには時間がかかる上に効率も悪く、一番の問題は魔法使いを雇用するための人件費が高い点だ。
一方、電気は発電所とやらを作れば、知識を持った一般人でも整備が可能というのが利点で、都市部では着々と配線工事が進められていると聞くがまさかラミーグが関わっているとは。
「今時、魔法学院勤めなんざ流行らないっての。儀礼で使う魔法も古臭いものばっかりで、過去に囚われて非効率なことだらけ。嫌にならない方がおかしいっての」
ラミーグはそう言いながらも、天井に視線を向ける。
そこには魔法式のシャンデリアがぶら下がっている。
チカチカと明滅を繰り返しているのは、魔法石が古くなっているせいだろう。
「そ、そうなのか」
「それで、あんたはまともな職に就いているの? 近衛騎士団長を辞めたっていうじゃないの」
――これについて、俺はどう答えればいいのだろうか。
魔王判定士の助手とかいう、俺自身もよくわかっていない仕事の話をしていいものか。
ラミーグの睨みつける視線に耐えながらも、俺はこう答えた――。