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第一章「魔王に殴られるだけの簡単な仕事」その3

魔王判定士兼辺獄神ルゼの元で助手として働くことになった主人公。

名前も何故かサバカン呼ばわり。

どうしてサバカンなのか――その理由はあとで判明するかも。

 ルゼが椅子から立ち上がる。

 それだけの動作だというのに気品に溢れ、椅子に嫉妬する奴が出てもおかしくないくらいだ。


「では、所長に挨拶をして参ります」

「そうか。俺も一旦退室しよう」


 ルゼと共に部屋を出ると、ちょうど中年の男性と鉢合わせになった。

 熱々のお茶が載せられたトレイを持っており、ルゼへお茶を運びに来たのだろうか。


「あ、ルゼ様!」


 男は深々と頭を下げると、俺もルゼに倣って会釈をする。


「所長、これはちょうどいい所に」

「しょ、所長?」


 わざわざ所長がお茶を持ってくるのか。

 いやいや、この職安はどうなっているんだ。

 ノリと気分だけで運営されるとなるとこっちも困る。


「申し訳ないのですが、本日付で退職いたします」

「え、たたたた、退職!?」


 所長はまるで酸欠の鯉のような目でルゼを凝視する。

 そして何を思ったのか、所長はカップに入ったお茶を一気にがぶ飲みする。

 湯気が立っていたから相当熱いはずなのだろうが、それでも咽ずに飲み干した。

 それから、空いたカップとトレイを丁寧に通路の隅へと置く。

 てっきりそこらにぶん投げるかと思いきや、理性はまだ残っているようだ。


「ルゼ様!? 何故です!?」


 と思っていたら、所長は四つん這いとなってルゼへと近寄った。


「急遽やらねばならない仕事が出来たためです」

「そんな! あなたはここを支えて下さるお方だというのに! あなたがいなければ、私は何を楽しみに仕事をすればいいというのですか!」


 四つん這いの状態からルゼへの方を見上げている。

 その姿は餌をねだる大型犬――とは似ても似つかないほど愛嬌がない。

 このシチュエーションもイケメンならば許されるのだろうか。


「私に聞かれても困ります」

「どうか! どうか! 靴を舐めますから!」


 かなり必死なのはわかるが、何故そこで靴を舐めることになるのやら。


「よしてください」


 まあ、当然ルゼも嫌がるわけだ。


「私の靴を舐めていいのはサバカンだけです」

「おい!?」


 勝手に誤解を招くようなことを言わんでくれ。

 しかし、俺が何と言っても所長の耳には届かないだろう。

 所長はこちらの顔を凝視してくる。

 その顔は何と例えればいいのか、酸欠で苦しむナマズの顔と呼べばいいのか。


「え、サ、サバカン? そ、その?」


 所長はルゼの顔を見ながらも、何かを察したのか、奇声を上げながらもその場から立ち上がる。


「ちっきしょおおおっ!」

 

 所長は走り去った。

 手足を強引に上げ下げし、まるで何もかもから逃げ出そうとしているかのような勢いだ。

 しかし、何があったのか所長は途中でバタリと倒れ込んでしまった。


「足があああっ!?」


 太ももを抑えて通路で転がっている様子を見ると、どうやら慣れない全力疾走で足を挫いたようだ。

 そして、ルゼは倒れた所長に近づく。

 そうか、介抱するのかと思っていると、ルゼがこんな一言を。


「私の今月の給金及び退職金は指定の口座に振り込んでください」

「おい」


 外道か。


「喜んで!」

「おい!?」


 にこやかに答える所長を見て、彼が幸せの絶頂にいることだけがわかってしまった。


「はて、魔王判定士の仕事を早速行いましょう」

「そ、そうだな」


 俺はルゼに伴われながらも職業安定所の外へ向かう。

 その道中、何人かの職員とすれ違うも、誰もがルゼを見るたびに深々と頭を下げる。

 その度に彼女は静かな口調でこう告げるのだ。


「本日でこちらを退職いたします。皆様、お世話になりました」

 

 突然の別れの言葉にある者は言葉を失い、ある者はその場で泣き崩れる。

 そんなややオーバーな反応を見ていると、ルゼが一応神様であることに気づかされる。

 よくよく見ていると、通路や事務所の壁にはルゼをモチーフとした肖像画があちこちに飾られている。

 名画と見間違うばかりの作品もあるが、やはり隣にいるルゼの魅力には到底敵わない。

 絵画を描く行為の中には、自分の理想の存在を額縁の中に収めたい、という欲求があるのじゃあないか。

 そう思ったが色鉛筆で描かれた、恐らく子供の描いたルゼの肖像画を見ていると、そんな邪推をした自分が恥ずかしく思えてくる。

 ルゼは性格にこそ難はあるものの、彼女がいたからこそこの世界は救われたのだ。


「サバカン、どうされましたか?」

「いいや、別に」


 女神様と一緒に仕事を出来るのは光栄なことなのだろう。

 俺も魔王判定士の助手として頑張るかと思い直しつつも、事務所の外へと出る。

 まだランチタイムには少し早いぐらいの時間帯だろうか。

 空を見上げると、そこにはインクのように真っ黒な翼の烏が悠々と飛んでいる。

 伝書ガラスが今日も忙しなく飛び交っているいつもながらの光景だ。

 アピストーラ王国の都市の一つブラーカ――。

 俺の知る限り、ミセリアートの中でも五本指に入るほど人口の多い街であるが、かつて魔王の軍勢によりこの辺り一帯は戦禍に巻き込まれた。

 復興作業で壊された街並みはほぼ元通りになり、今では平穏そのもので、遠くから子ども達の笑い声が聞こえる。

 魔王の脅威が去ったとはいえ、このブラーカもまだまだ本当の意味で安心できる場所ではない。

 その理由というのも、ミセリアートにおいてアピストーラ王国に次ぐ国力を誇るシャイチ帝国の存在があるからだ。

 帝国はここから山一つ離れた場所にあり、国境間の警備隊は今も緊迫しているだろう。

 かつて魔王が侵略してきた際には、両国間の間で不可侵条約が結ばれ、それは今日も続いてはいる。

 だが、帝国は過去にも不可侵条約を一方的に破棄した歴史がある以上決して油断は出来ない。そう考えると、この平和が実に脆いような気がしてならなかった。


「それで、これからどうするんだ?」

「早速魔界に直行します」

「え」

「怖気づいたのですか?」

「いや、そんなショッピング感覚で魔界に行くと言われてもな……」


 改めて自分の姿を見るも、ヨレヨレのジャケットという普段着だ。とてもではないが魔王と戦うには心もとない。


「それに、もう五年近くまともに戦っていないんだ。腕が鈍っている」


 最盛期と比べると筋力も落ちている。

 戦えない訳ではないが、万全の状態ではないとどうにも不安を感じてしまう。


「その辺りは魔王に手加減をして貰えればよろしいかと」

「え、手加減してくれるのか?」

「そんな魔王がいてくれたら世界はもっと平和なのですが」

「単なる願望かよ!」


 変な頭痛を覚えていると、俺の様子を察してか、ルゼは少し考えてからこう言った。


「では、まずは魔界へ連れて行きますので、そこに生息する魔物共と戦って勘を取り戻してください」

「スパルタだな。まあいいよ」

「ある程度勘を取り戻したならば、手頃な魔王と戦って貰います」

「手頃? どこにいるのかわかるのか?」

「ええ。かなり前に魔王判定士の作成した報告書があるのです」

「かなり前?」

「ええ。こちらは百年以上前に作成されたものです」


 そう言いながらもルゼが手の平を上へと向けると、どこからともなく一冊の本が現れる。


「随分古いんだな。待てよ、その報告書は百年近く更新されていないのか?」

「そのとおりです。新しく更新したものを出版すれば、かなり儲かります」

「な、なるほどな……。いや、待てよ。そんな古いのだと最近の魔王の情報はわからないんじゃあないのか?」

「それもそうですね」


 ルゼが指を鳴らすと本は一瞬にして煙のように消えてしまった。


「仕方ありません。リンボウで調べます」


 すると、ルゼはポケットから小さな毛玉を取り出す。

 小さなウサギのようだが耳は短く、水玉模様の毛並みが特徴だ。

 円らな瞳を見ていると単なる愛玩動物にしか見えないのだが、リンボウは辺獄神の使いとして知られている。

 リンボウ同士で遠距離の精神交信が可能なだけでなく、リンボウネットなる独特の精神交信網とやらがあり、辺獄神の『こみゅにけーしょんつーる』として使われているらしい。


「では、マイケル君と会話いたしますのでお待ちを」

「マ、マイケル君? ああ、そんな名前だったか」


 ルゼのネーミングセンスには今更つっこみを入れる気にもなれないが、よくよく考えるとサバカンよりかは素晴らしい名前だ。

 それからルゼはマイケル君と何やら長々と会話しているのだが、マイケル君のキーキーという鳴き声に合わせて会話をしているものだから、どうにも奇妙なものだ。

 便利なのは羨ましいが、周囲の視線がどうにも気になってしまう。

 近くを歩いていた親子連れが、あの人達何しているの~やら、見ちゃいけませんという定番の会話が聞こえてくる。

 何だろう、俺まで変人扱いされるのはあまりいい気分がしない。

 やがて、ルゼがマイケル君を懐にしまってからこう言った。


「わかりました」

「本当か」

「はい。最先端のファッションはアンクレットのようですね」

「オシャレさんかい!」


 俺がツッコミを入れると、ルゼは小さく冷笑する。


「冗談です。手頃な魔王がいました」

「あ、いたんだ」

「ええ。一時期はトレンドに乗ったぐらいだそうです」

「と、とれんど?」


 どうにも辺獄神の間では普通に使われている言葉らしく、何やら深い意味を持っているに違いない。


「はい。直ちに向かいましょう」

「お、おう。それで、魔界に行くには?」

「お任せを。まずはそこの植え込みの陰に」

「え?」

「いいから」


 言われるがまま俺は植え込みの陰へと隠れる。

 何をするのやら、と身構えていると、とんでもない言葉が飛んできた。


「では、這いつくばってください」


 突然の命令に、さすがに目を剥く。


「わかった。這いつくばろう。ただ、どうしてそんなことをする必要が?」

「当然、あなたを魔界に蹴落とすためです」

「け、蹴落とす? 空間跳躍魔法みたいなもんか?」


 空間跳躍魔法とは、一瞬にして離れた場所へ移動できる高度な魔法で、扱える者はミセリアートでも数えるほどしかいない。


「魔界を行き来できる者はミセリアートにいるかはわかりませんが。いずれにせよ私の扱うのは辺獄神法です。魔法とはかなり毛色が異なります」

「へんごくしんぽう? ああ、そうだったか」


 辺獄神法とは、確か辺獄神の扱う魔法のようなものらしい。

 俺も魔法とどういった差があるかはわからないが、辺獄神法はとやかく変わったものが多かった印象が強い。


「そんなわけなので、這いつくばって尻を私に蹴られやすい位置まで上げてください」

「わかったよ……」


 何だろう、何のプレイをしているのだろう。

 ルゼの言う通り実に情けない格好をしていると、彼女の嬉しそうな声が聞こえる。


「では、魔界にシュートしましょう」

「お手柔らかに頼むよ」

「努力はしてみます」


 俺の懇願もむなしく、全身に稲妻が走ったかのような衝撃が走る。

 脳幹がマヒし、肺が痙攣し、呼吸をすることすらままならない。

 このまま心臓が止まってしまうのではないかという恐怖を覚え、立ち上がろうとするも膝が石のように動かない。

 何とか体を起こすと、そこには――。

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