第三章「魔王の兄弟喧嘩に巻き込まれるだけの面倒な仕事」その1
――眩しい。
――眩しい!
とっさに目を開くと、窓から朝日が降り注いでいた。
朝が来たということは、俺は悪夢から何とか生還出来たらしい。
夢はまだくっきりと脳裏に焼き付いており、あのヨラトルの歌声が頭の中で何度もループしている。
二日酔いよりも酷い状況なのだが、立って動ける気力があるだけでも奇跡なのかもしれない。
宿で適当に朝食を済ませてから、カウンターに置いてあった新聞に目を通す。
何か気を紛らわそうと考えながらも四コマ漫画を読み終えると、見出しの記事を見て驚いた。
「王国のパレードか」
アピストーラ国王陛下の誕生祭記念式典を行ったようだ。
過去に俺も何度か参加させられたことがあるが、ひたすら忙しい行事という記憶しかない。
それにしても、近年になって写真という風景や人物を絵に収める技術が確立されたのは便利なものだ。
記事には近衛騎士団の面々の写真も掲載されているが――。
「今の近衛騎士団長は誰だったかな?」
大方、俺の部下が繰り上がりで団長になると思っていたが、写真を見ていると知らない顔の男が団長になっているようだ。
冷たい目をしており、伸ばした口髭の両端がピンと跳ねあがっており、偉そうな雰囲気を醸し出している。
そして、かつて俺が身に着けていた鎧を身にまとっていた。
鎧には貴重なミセリア真鋼が使われ、付与された魔法によりただでさえ強固な硬度を半永続的に強化されているという代物だ。
鎧の中心部に刻まれているアピストーラ王国の紋章は少しも色褪せていないようだ。
黒地に金色の匙を咥えた三本足の白いカラス――写真は白黒はであるものの鎧を見ているだけでも自然と胸が熱くなる。
記事によると、新しい近衛騎士団長の名前はクミノムという男らしい。
王国で開かれている武術大会を三年連続で優勝した実力の持ち主とのことだ。
かつては冒険者として活躍していたこともあると書かれており、腕っぷしには相当自信があるようだ。
そのクミノムの隣には懐かしい面々もいる。
「イルワシにバズ、それにドメカか」
三人ともかつての部下で、特に優秀な団員だった。
イルワシ文武両道で、常に的確な助言をしてくれた。
バズはムービーメーカーだったか。彼のおかげで、近衛騎士団の堅苦しい雰囲気も明るかったか。
ドメカは魔法の達人だったな。時間があれば、強い魔法の研究や遺跡の調査やらをしていた印象が強い。
これで王国も安泰だなと思いながらも新聞を綴じた。
その後、酒瓶を一つ買ってから俺は大通りを進んでいく。
目的地まで向かう道中、勇み足で行進する集団と出くわした。
楽しい遠足、というわけでもなく、進軍する兵隊のような面持ちだ。
物騒な連中もいるものだと思いつつも、俺はユーゼーンの大神殿へと向かった。
大神殿という名称のせいで荘厳な印象があるものの、実際に目にした者はその砦のような強固さに目を丸くするだろう。
今も大神殿の入り口では見張りが目をぎらつかせているものの、それを素通りしながらも敷地内の共同墓地へと向かう。
墓地内へと入ると静かな風が吹き、園内に生えていたケヤキの葉をそよがせている。
墓地とは静寂であるべきなのだろう。
ずらりと並ぶ墓石を眺めていると、柄にもないことが頭に浮かんでしまう。
周りに人がいないというのに、自身の出す足音に気を使いながらも迷うことなく墓の一つへと向かう。
その墓にはこのような文字が刻まれていた。
「勇敢なる戦士オジッサ。ここに眠る、か――」
手にした酒瓶を墓の近くに置く。
「兄貴。酒を持ってきたよ」
……当然、返事は来ない。
偶然通り過ぎた静かな風の通る音だけが耳元を掠めるだけだった。
思えば、オジッサの兄貴は勇者になりたてだった俺に戦いの何たるかを伝授してくれた。
優しさの塊の兄貴だったが、戦いのことになると特段厳しかった。
戦いとは命のやりとりであり、どんな相手であろうとも油断はするなと教え込まれた。
今、こうして俺がのうのうと生きているのも、全部この人のおかげだと思うと、感謝せずにはいられない。
魔王討伐の旅をしている最中、旅の仲間は俺とルゼ、オジッサにラミーグ。あとはアロンナがいた。
俺とオジッサの兄貴は前衛として身体を張り、他の仲間は後方支援という役割だった。ルゼは主にアドバイス及びサポート担当という形だったが、何にせよ賑やかな旅だったのは今でも懐かしい。
「それじゃあ、俺は帰るよ。色々と大変でさ」
俺はその場から離れて大神殿の前まで戻ると、見覚えのある顔と出くわした。
「イェルド?」
一瞬誰のことかと思ったが、俺の名前だったか。
目の前に子連れの女性がいた。
真っ黒な長髪と背負った大弓と矢筒――。
こんな特徴を俺が忘れるはずもない。
「アロンナか」
優しい顔をしているも、彼女もまたかつて俺と共に魔王と戦った仲間の一人だ。
「あの人への挨拶?」
「ああ、まあね」
あの人、というのは当然オジッサの兄貴のことで、アロンナが連れている女の子は兄貴との間に生まれた子だ。
「えっと、ティトラちゃん。元気かな?」
俺はなるべく優しそうな顔を意識するも、ティトラは警戒心が強いのか俺から距離を取る。
十歳ともなると、やはりよく知らないおっさんが来られると嫌がるだろう。
「こら、ティトラ。挨拶」
アロンナは昔から無口な性格だが、根はとても優しい人だ。
すると、ティトラは面倒くさそうに頭を下げる。
「ははは、兄貴のように元気だね」
俺は慣れない笑顔を作るも、ティトラの警戒を解くことは出来なかった。
嗚呼、爽やかに笑う練習でもしておくべきかな。
「イェルドは前まで王宮の近衛騎士団長じゃなかった?」
「もう五年も前の話さ」
「騎士として戦った? 強いのはいた?」
アロンナにそう聞かれると、思わず失笑してしまう。
「昔参加させられた武術大会には強い奴はいなかったし、そもそも近衛騎士は余程のことがない限り戦場に行くこともなかったな」
「ふうん……」
つまらなそうな反応をしているアロンナを見ると、どうにも騎士というのは戦わせられるというイメージが強いらしい。
「アピストーラ王国には他にも騎士団はいるけれども、近衛騎士団ともなると王族や要職の護衛の任務が最優先でさ」
「ふんふん」
「入団した直後の俺は丁寧な挨拶と作法をまず覚えなくてはならなかったな」
「ふんふん」
繰り返し頷いているアロンナを見ていると、実に退屈そうな顔をしている。
「ごめん。それぐらいなんだ」
「つまらない……」
不満そうな顔をするティトラに対し、アロンナはその頭を撫でながらもこう言った。
「許してあげなさい」
「はぁい」
何だか気まずい空気となってしまった。
ともかくは話の方向を変えなければ。
「あっと、アロンナ。あと、今の俺の名前は、そのサバカン、らしい」
「さばかん?」
アロンナとティトラが首を傾げていると、自分でも不思議だが同意してしまう。
「俺も腑に落ちないさ。っと、アロンナは現在どんな仕事をしているんだっけ?」
「大神殿で弓の教室を開いているけど」
「弓の教室?」
「就職に役立つ。私も獄弓士だから……」
「なるほど」
獄弓士――。
エテルニア教の神官兵の中でも、弓の名手に与えられる由緒正しき称号とのことだ。
辺獄神に仕える弓の名手ということで、そこから獄弓士と呼ばれているとか。
「そうか。皆頑張っているんだよな」
そう、魔物のいない時代の中、皆それぞれの生き方をしている。
きちんとした職に就き、子のために頑張っているアロンナを見ているだけでも、奇妙な疎外感に苛まれてしまう。
魔王と殴り合う仕事をしている、今まで進んできた道を逆走しただけでなく、迷走しまくっている俺は一体何なのだろうな……。
「じゃあ、俺はこれで失礼するよ」
その場から去ろうとすると、右肩を強引に掴まれる。
「寄っていかない?」
「え、どこに?」
アロンナの握力に辟易しながらも身を強張らせる。
万力のような指の力を実際に体験してみると、弓を使う者にとって如何に握力が重要なのかを知らしめてくれているようだ。
「大神殿の中」
「入っていいのか?」
俺の言葉に対し、アロンナはこくりと頷く。
俺も大神殿の中には入ったことがなく、ルゼもまだ迎えに来ない以上時間はある。
「じゃあ、お邪魔させて貰おうかな」
アロンナ、そしてティトラと共に俺は大神殿へと向かう。
大神殿の前には大きなウサギとカラスとリンボウの石像が鎮座していた。
エテルニア教では三つの獣は辺獄神の使いとされていると聞く。
大神殿の内部へと入ると、外観と同様に内部もまた武骨な造りだった。
通路の一部には窪みや段差が設置してあり、どうやら馬の侵入に備えての構造のようだ。
その他にも天井が低かったり、通路が異様に細かったり、吹き抜けにすることで上層から下層への一方的な狙撃が可能であったりと、中々に殺意に満ちている。
慣れた足取りで進んでいる二人の後ろについていくと、訓練所らしき場所へ辿り着いた。
神官兵が掛け声と共に武器を打ち合っており、その熱気がこちらまで伝わって来る。
「サバカンもする?」
「するって、訓練? いや、俺はいいよ」
「そっか――」
アロンナはがくりとうなだれている。
よもや、誘ったのは訓練にかこつけて、俺と殴り合いでもしたかったのだろか。
そう言えば、アロンナはこう見えてもかなり好戦的な性格だった。
「じゃあ、訓練を見学していく?」
「いや、いいかな」
「そう……。じゃあ、ティトラ。訓練開始」
「うん」
ティトラがしっかりとした言葉と共に頷いている。
「サバカンはどうする?」
「あ、ああ。俺か」
「大神殿の中の方を見学させて貰っていいか?」
「いいけど。部屋には入らないで」
「わかっているさ」
「命が惜しければ――」
「え!?」
それだけ言うと、アロンナとティトラは更衣室へと向かっていった。
やはり、この大神殿はかなり危険な場所のようだ。
ルゼが迎えに来てくれるまで、大人しくしているべきだろう。
そんなことを考えながらも、神殿の中央部にある大広間へと向かう。
石像が鎮座しており、恐らく主神ア・エテルニアを象ったものに違いない。
若々しく、凛々しい美青年といった風貌なのだが、口元にリンボウを近づけて何か喋っているといった様子だ。
唖然と見上げていると、誰かに肩を叩かれる。
そちらを向くと白を基調としたローブを身にまとった初老の男性がいた。
「イェルド様。お久しぶりでございます」
「ツオウカ神官長?」
神官長はエテルニア教の中で上から二番目に偉い立場の人間だったか。
神官長とは王宮での祭事で何度か目にしたことがあったが、相も変わらず穏やかな顔をしていた。
「あなた様が近衛騎士長をお辞めになられたと聞いて心配しておりました」
「そいつはすまなかった」
「小耳に挟んだところ、現在の近衛騎士団なのですが、あまり良い噂を聞かないのです」
「良い噂を聞かない? 汚職にでも手を染めているとか?」
近衛騎士団には色々な奴がいる以上、悪事を企む奴も勿論いる。
しかし、俺の部下の中でも優秀だったイルワシとバズ、それにドメカがいるのだから何とかなるだろう。
だが、神官長の視線は厳しく、まるで俺の慢心を見抜いているかのようだ。
「どんなに気高い理想を掲げようとも、所詮人は人なのです。ゆめゆめ忘れないでください」
「き、気を付けるよ。ところで――」
俺が逃げるように石像に目線を動かすと、神官長は嬉しそうに答える。
「素晴らしいでしょう? ア・エテルニア様が我々人間に神託を告げたとされる伝承をイメージしたものです」
「そ、そうだったのか。うん、それは凄い」
いや、石像の表情から察するに、『あのさー。これから、どっか遊びに行かない?』と喋っているようにしか見えない。
思わずツッコミを入れたかったが、ここはエテルニア教の心臓部だ。
下手に彼らの信仰心を逆撫でしようものならば問答無用で私刑に処されるのは赤子でも知っている。
「それにしても、あなた様とは不思議な縁がございますね。初めてお会いしたのは、孤児院だったことを覚えておりますか?」
「いえ、悪いがまったく」
「当時の私は単なる神官の一人として、ルゼ様と当時の神官長、そして教皇様と共に聖別の儀の際にお会いしております」
「聖別の儀か……」
聖別の儀とは魔王が現れるよりも前に勇者の素質を持った者を探し出すという、エテルニア教の儀式の一つだ。
魔王が来てからだと間に合わないので、勇者を早めに選び出して鍛えるというのが通例のようだ。
最も儀式とは言っているが、実際にはルゼが観光がてらミセリアート各所を見て回るだけで、お付きの面々もさぞ辟易していたことが容易に想像出来る。
「で、俺に白羽の矢が立ってしまったってことか。色々と愛されているんだな」
皮肉交じりに笑うと、神官長は顔を伏せる。
再度顔を上げると、彼の目は深い悲しみを湛えていたが、その奥底には覚悟を決めた強い光が宿っているように見えた。
「イェルド様はそもそも辺獄とは何なのかご存知でしょうか?」
「え?」
その深刻な顔を見ていると、嫌な予感しかしてこない。
簡単な内容の話であってくれと思いながらも、ゆっくりとこう答えた――。