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頼む、死なせてくれ ~積極的安楽死の提案~  作者: 楠本 茶茶(サティ)
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第8部分 意味ある死4

第8部分 意味ある死4


⑤即身成仏や補陀落渡海ふだらくとかい、三浦綾子の「塩狩峠」に見られるような宗教理念的行動

 んんん、これは困った。


 宗教的側面を出すと、自爆テロとあまり変わらなく…


 あ、そうでもないか。

こちらは「他人を救うために我が身を捧げる」という行為だよな、よし。無差別に他人を害するためではない。

即身成仏の手続きは、手続きだけでも想像以上に大変だ。途中でもうやめたくなるんじゃないか?


 まず想像以上の修業を積む。なんやかんやとしなければならない通過儀礼がたくさんある、ここまでですでに気が遠くなりそうだが、思い切りばっさりと割愛する。


 さあ、本番がいよいよ始まる… まずは一月以上の十穀絶ちからだ。


 目的は身体の余計な脂肪や水分をできる限り落とすこと。後述するが、後々(のちのち)腐ってしまってはわざわざ即身成仏する意味がなくなってしまうからだ。ゆえに摂ることができるのは水分と塩分だけ。ヒトは水と塩さえあれば一月以上は生きてしまうのだ。


 次に将来的な内臓の腐敗や昆虫等の食害を防ぐためにうるしの樹液を飲む。漆でカブレルことからわかるように、人体にとっての毒を飲むというのだ。おい、こんなこと最初に考えたの、誰だよ… たいした想像力というか、構想力だと思うよ。ほぼ悪魔並みの、ね。


 そしていよいよ『土中入定どちゅうにゅうじょう』。地下に作った石室に入り、座棺という木の箱の中で坐禅を組み、ひたすら読経どきょうするのだという。座棺の周りは湿気と臭いを取る目的のために木炭で埋め尽くされているそうな…


 イヤだ、勘弁してくれ…


 石室には節を抜いた大小の竹筒が通してある、太い竹で通気を確保しつつ水を送る。細い竹筒には鈴がついていて、弟子が毎日定時に鈴を鳴らすと仏になりつつある僧侶も鈴で応答する。


 応答が亡くなれば… つまり成仏したワケだ。


 その後弟子は筒を抜き石室を密閉する。あとは3年3ヵ月待って掘り起こすのだが…


 見事僧侶が乾燥ミイラ化していれば、という条件付きで「即身仏」として祀られることになる。

エジプトのミイラと同様に乾燥化してはいるものの、こっちは内臓付きだ。しかもこんなに湿気の多い国なのに… これって実はスゴいことなんじゃないだろうか。


 えっ、そうでないときは… つまり腐ったり虫に食われたりしていたらって? 聞かない方がよろしい。

即身仏になったならば、今後は仏として民衆を見守り続けていくのだ。


 えっ、やっぱり気になるって?

仕方ないなぁ… その時は単なる「無縁仏として供養される」のだとか。仏の道もまた厳し… とはいえ、

それはあまりと言えばあんまりじゃないか… ここまでの僧侶の努力はどうなるんじゃ、ああ?



 補陀落渡海ふだらくとかいという風習もなかなかのものだ。


 代表的なのは紀州だろうか。

 インドの「補陀落」という場所には観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)が住んでいるといわれ、そこで往生おうじょうすることを願って僧侶が船を出す。船には独特の屋形(船室となる箱)を作り付け、僧侶と30日分の食糧や水、行灯あんどんの油などを箱に入れたら外から(くぎ)を打ち、2隻の伴走船が綱を引いて出発したという。外洋に出れば伴走船だけは帰って来るが、僧侶の乗った船は帰ってこない。あたりまえだ。多くは北風の季節に出航したというので、南へ南へ流されたのだろう

しかもさっき釘を打つとか書いた気がしたが… それって監禁てことだよね。


 このありがたい風習の開祖は平安時代は貞観10(868)年、の慶竜けいりゅう上人という方だという。以来1722年までの間に25人が渡海(ほんまかいな…)したと言われているそうだが…


 死後魂は海上のかなたにある先祖の住む常世国(とこよのくに)に帰るという考えのもと、帰ってこなければ補陀落について成仏したと見なされるらしいが… この仕掛けでは普通帰ることはできまい。


 コメントは控えておこう。


 那智の滝の近くには補陀洛山寺があり、ここの住職は60歳になるとこれを「渡海」したと伝えられているが、たまには辞退したり逃げたりした僧侶とかもいたんじゃねぇのか? と疑いたくもなる。



 あったあった、ありました。


 江戸時代、この船から脱出して島に泳ぎ着いた僧侶がいらしたそうです。しかし結局見つかって再び海に送り出されるという… これはもうほとんど殺人事件、常世国(とこよのくに)どころかこの世の地獄ですね。この島の名は僧侶の名にちなんで「金光坊島」(こんこぶじま)、調べると那智駅から1km弱の距離しかない… そりゃ見つかるわって… 


 逆にこれだけの距離というか時間で壊れるようなちょろい屋形やかたであり釘付けだったのだろうか?

それとも事前に船大工を買収して壊れやすくしておいたとか、道具を隠しておいたとか計画的に脱出したのだろうか、とか、そっちの方に興味が向いてしまう… これって小説に書けるんじゃないかい?


 この後には亡くなった後に「生者せいじゃとして送り出す」ようになったと言うので、当時としては破廉恥ハレンチ行動スキャンダルだと思われたんでしょうね、やれやれ。


 ただうまいこと他の地域に漂流した方もいるようで、日秀上人という方は北風に押されて黒潮のへりを逆方向に流れる反流にうまく乗って沖縄へ漂着し、そこで熊野信仰を広めたそうだが… あれ、箱と釘はどうなったんだろう???


 まあ、できればすぐにでも逝ってしまいたいサティとしても、船酔いに苦しみ北風にさいなまれながらじわじわと飢死を待つのは絶対にイヤ… その気持ちはよくわかります。だって今が苦しくてたまらないから死にたいのに… 


 いっそのこと金属片か行灯の火を使って風下側の箱を破り、ついでに自分の身体にも傷を付けて海に飛び込む方を選びますな… たぶんお腹を空かせた軟骨魚類イタチザメなんかが、激しく水しぶきをあげて派手に楽しく演出してくれるでしょう。


 私のお葬式を…


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