第6部分 意味ある死2
第6部分 意味ある死2
重複するが、今はサティなりに「意味ある死」について勝手に論じているところだ。
意味ある死のパターン
①堤や橋、城の石垣等の建設の際の人柱
②城攻めや合戦時の一番槍的行動(最前線で槍を振るい、最初に相手を殺害した名誉の者)
③太平洋戦争中の無数の無名の兵士たちの行動や特別攻撃隊または類似の部隊、沖縄戦の
海軍の太田少将など
⑤姥捨て伝説や子を想う母(父)性愛
⑥即身成仏や補陀落渡海、三浦綾子の「塩狩峠」に見られるような宗教理念的行動
ここまでで①~③について触れた… ことにしようかとも思ったが、やはり③をここで終わらせるのには心理的な抵抗がある。もう少し往時の日本の事情に触れておくことをお許し願いたい。
明治の代になったのが、1868年、いまからざっと150年ほど前のことだ。明治維新を起こしたエネルギーがロシア、アメリカ、イギリス、フランス等の外圧であったことが言うまでもない。これらの外国勢はなんとしても鎖国を解かせたかったのだ。その目的は(サティの解釈では)
ⅰ 鯨漁や太平洋横断のための薪炭の補給基地
ⅱ 貿易(というか産業革命後の商品の売りつけ先)相手国とキリスト教の布教活動
武器弾薬の売りつけ先(いわゆる死の商人)
清と同様な、「アヘンの売りつけ先」
ⅲ 国際的に見て銀に対して金が異様に安く、大量にあったこと
あたりだろうか。
ⅰ 当時の欧米の列強は、アブラを取るためだけに鯨を獲っていた。日本人は鯨を「捨てるところがない」くらいに徹底的に利用したのに… アブラだけを採って他はほぼ捨てていた欧米勢の乱獲によって鯨類は大幅に数を減らしたのである。そういった意味で今のなんとかピースとかによる手のひら返しは「テメェが言うな」とも言うべき笑止(狂気)の沙汰である。
また当時流行りの蒸気機関で外輪を動かしたり、乗員の煮炊きや生活を支えるには大量の薪炭、つまり薪や炭が必要だった。今までは往復分を積んでいたが、日本で補給ができれば半量で済む。その分鯨油その他の品をたくさん積めることになる。そういった商人の欲求がそのまま国策になり、そのまま外交に結びつくのが「帝国主義」なのだとサティは思っている。
「商人の要求 ≒ 国策」である理由は簡単だ。国王自らが大商人のスポンサーだったり大株主だったりする。あるいは賄賂や貢ぎ物をもらっている。国王が関与しなくても側近が絡めば同じことだ。
ならば民主主義国家ならどうか? イギリスやアメリカの例を見れば同様であるのは明らかだ。独裁国家に比べればマシだ、という程度にしか過ぎないが…
インドネシアやインド、そして清国の例では、列強の植民地獲得のやり口は
「宣教師のあとに兵隊がやってくる」
と揶揄されていた。
同様に帝国主義時代の日本では、
「戦のあとから財閥がやってくる」
と言われていた。
本当は財閥が陰で糸を引いて、その結果として戦が起こるのだが…
財閥とは明治頃からならば三井、三菱、住友、安田などの四大財閥をはじめ、満州事変以降には日窒コンツェルン,日産コンツェルン,理研コンツェルン,中島コンツェルンなどの新興財閥が代表的なところだ。
もっとも帝国主義がすべて悪いかというと、サティにはそこまでは考えていない。当時は自分で自分を守れるような「強国」にならなければ、ことごとに虐げられ、主張や権利を揉みつぶされ、属国化され、最悪征服されてしまうことになることが明らかだったからだ。
現に江戸時代の日本は弱かったために開港させられ、外圧の後押しで明治維新が起こされた。武器や資金の両面で主にイギリスが薩長を推し、フランスが幕府を推していたのは御存知のとおりである。もし幕府側が勝っていたら… 日本は朝鮮と同様になったかも知れない。いや… 日本は島国で「武士」が機能していた点で征服まではされなかっただろうか…
ⅱ 列強のやりくちにはパターンがあった。まず宣教師が入り布教活動をして民衆の支持を集める。次が貿易による市場化だ。無論産業革命以来の便利で安くて大量にできるものを「高値」で売りつけられ、代わりに生活必需品や贅沢品を安値で買叩かれ、結果債務超過に陥るハメになる。必然的に土地や鉱山や財産を収奪され、貧富の差が大きくなるワケだ。
民衆がヤル気を失えば「ヤク」に逃避する人間も増える。
現状を不満に思った民衆が一揆を起こせば、列強Aがバックについた同じ国の支配層が武器を買う。列強Aに反発する列強Bが密かに民衆に武器を売りつける… モチロン列強Bの狙いも、この国からの搾取である。内戦のほとんどがこのパターンをまるでお手本にするかのように起きている。
そしてこの図式はこの現代でもあまた踏襲されている。
ⅲ マルコポーロの「東方見聞録」で日本は「黄金の国ジパング」として紹介されたという。その黄金を求める欲求が「大航海時代」の動機のひとつになったとも言われている。
特に豊臣の時代から、日本では石見銀山や生野銀山等からの銀の産出が進み、一時は世界の産出量の1/3を占めたとも言われている。日本は銀の国であった。
また佐渡金山を筆頭として全国の金山からの金産出量も増えたため、慶長大判のような主に贈答用の貨幣まで産まれたくらいだ。
さらに当時の慣習として慣習的に関東は金本位制、関西では銀本位制であり、民衆は銭(銅貨)を使うとという複雑さがあり、そのために両替商があった。なかでも三井と住友は現代のメガバンクの祖となっている。
経緯は略すことにして、幕末の頃の金1gは実質的に銀5gと同じ価値とされていた。これは財政難に悩んだ徳川幕府が金貨に質を落として改鋳した結果生じた現象である。ところが欧米列強での相場は金1gの価値は銀15gに相当したと言う… ということは、日本にやってきて銀を5g売ってそれに相当する小判などの1g相当に換え、これを持って帰ってもう一度銀に換えれば、そのたびに銀10g分の儲けが出ることを意味する。
やめられまへんなぁ… 手数料と運賃を差し引いても旨味いっぱいの取引になったワケだ。
上級国民がこうした経済&軍事ゲームの没頭する中で、戦争の手駒も育てる必要がある。こうして愛国心が強調され、祖国のためには死を恐れず厭わずという兵士を訓育する素地が生まれてきた。
当時の日本という国を国際的視点から見たとしたら、現代日本人が「近隣のあの国やアノ国」を見た不気味さとモロカブりするに違いない。しかし当時の「日本」の中に居たならば、その不気味さには気付くヒトはほぼ居ないだろうし、居ても稀だと思う。ましてやそれを言葉に出す勇気のあるヒトなどいないに違いない。
だからといって兵隊さんの純な気持ちを無視することはできない。
・戦闘機(主に敵戦闘機や爆撃機、雷撃器、偵察機などを撃墜し、制空権を確保する機種、単座が多い)
・攻撃機(主に敵の地上設備や艦船などを破壊するための爆弾を積む機種。複座)
・雷撃器(主に敵の艦船を破壊するための魚形水雷を積む機種。複座)
などに乗り敵艦船目掛けて出撃(敢えて特攻とは言わない)した方々の気持ちを、後世の我々は理解すべきだと思う。もちろん軍支給の覚醒剤の威力も絶大だったに違いないが…
特攻兵器は他にもあった。
・回転(人間が誘導する魚形水雷)
・震洋(ベニヤ板のボートにトラックエンジンと250kgの爆弾を積むモーターボート)
・伏龍(潜水具を付けた人間が海中に潜み、上陸用舟艇を槍状の棒で下から突いて起爆させる)
・桜花(陸上攻撃機から投下され、人間誘導ロケット推進で敵艦船に突入する。成功例なし)
あたりが有名で、他に
ちょっとごめんなさい。
たった今、親友の訃報が入って… 画面が滲むので今日はここまで
冥福なんて祈らねぇからな、だから早く迎えにきてくれ、チャック!
コロナでずっと会えてなかったけど、またそっちで一緒に遊ぼう
できるなら代わりたかった