第1部分 自殺の影響
第1部分 自殺の影響
国家は自殺を禁じてはいない。
ゆえに自殺を試みたということだけで法に触れ罪に問われることはない。ただし試みた自殺行為によって他者や社会やインフラが損害を受けた場合は話が別になるのは当然だ。
しかし自殺行為は決して肯定もされてはいない。その意味は…
1つには、労働人口が減る。これは税収が減ることを意味している。しかし自殺を試みるヒトが多くの収入を得て税収に貢献しているかと問われたら… 例外は確実にあるが、トータルとしてむしろ期待できないような気がする。「自殺者の生涯収入」や「年収」といったデータは(公表されて)ないので、これはなんとも言えない。
2つには、生きることに行き詰まったら自殺すれば良い… という半ば投げやりな風潮を助長する恐れがあるからだ。しかしどん底から這い上がって成功していく人も、おそらく少数ながら存在することも否定はできない。
3つには、自殺に擬装した殺人や殺人幇助を恐れる… つまり治安が乱れるおそれがあるからだ。肉親や親戚縁戚の介護に疲れきっている人々がこうした犯罪をおかしてしまう危惧はどうしても残ってしまう。
4つには、残された家族や周囲の方々が悲しむという心理的側面だろうか。
「なぜ自殺はいけないのか」
という問いには必ずこの答えが用意されているが、それを越えて
「生きていく目標を失い、死にたくなった」
ような志願者本人の絶望感に希望を与える答えではない。むしろそうした心境に気付いてくれなかった孤独感に苛まれ、恨みを抱いて、ヒトは自殺を決行するのではないか。
5つには、周囲に迷惑を掛けるからという倫理的な課題がある。
見苦しい、汚い、トラウマになる…
しかしそれは生き残る者の倫理であって、
「もうあとはどうでもいいや」
「見て、こんなに私は苦しんでいたの」
「もう他に方法がなかったんです、ごめんなさい」
とか、それぞれの「身勝手な言い分」を一身に抱いて自殺を決行する者には全く無意味な課題である。そんなことは充分承知のうえで自殺を企図するのだから。
6つには相続や経済的な側面がある。仲が良かった親戚が相続で揉めて絶縁状態になってしまう。身近でありふれたトラブルの代表格とも言える。残された遺族の経済的困窮、子供の学費や養育費。保険会社の支払いだけでなく、保険金詐取や擬装。
それだけではない。借りられるだけ借金して仕事ならまあ許せても、酒に女に風俗や趣味に使い込んで自殺。都合良いのは本人だけで、貸した会社も周囲も保証人も困り果てる事態が予想できる。
さらに日本人には「自殺」とは別に「自決」という概念があって、「責任をとって腹を切り申す」と言われると、ついつい了解してしまう暗黙の風潮が現代でもなお根強い。
ああ、先に書いておきます。私も半ば衝動的、かつ無計画に全くの個人的見解を書いているものであり、きちんとした理論や学説に裏打ちされたものでは全然ありません… と。
ここで主張したいことは「自殺」の負のイメージを払拭し、「自殺の権利」や「積極的安楽死」を国家として認め、できれば便宜を図っていただきたいということだ。なおここでいう「自殺」には古の日本人が尊んだ「自決の精神」を多分に含んでいることを追記しておこう。