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夢と現の境界線

作者: 嶺上開花

 夢と言うのは不思議なものである。

 夢は記憶から生成されるものだが、時折記憶にない場所にいる夢を見ることもある。

 つまりこれは「記憶には無いがその風景を何かしらの方法で記憶している」と言うことになる。

 しかしだからこそ、と言うべきだろうか。見知らぬ場所にいる夢を見ると「あぁ、これは夢だ」と一瞬にして理解できる。あるいは、辛い現実でも「夢であってくれ」と願うことで幾分か楽になる。———と言っても、結局は現実であることは変わりがないから、楽になったとて苦しいのは変わらないが…。

 とはいえ、どのみち夢と言うのは一種の避難所のようなものなので、夢にいる間はゆっくりしたいものである。が、現実は非情である。としか言いようがない。いや夢なのだが。

 現在、私は暗い水辺のような場所をひたすらに歩いている。水深は足首程度だが、それでも歩を進めるのにかなりの体力を消耗する。そして身体を動かすことによって生まれた熱を逃がそうと汗を掻くが、水辺だからか湿度が高くうまく蒸発しない。結果流れ出た汗は衣服に染み付き、そのまま肌に張り付いてくる。

 さらに言えば、ここはたまらなく臭い。ヘドロのような、魚が腐乱したような…兎角そういった臭いが周囲に立ち込めている。ここに来た当初は吐き気から歩く事さえも憚られたが、兎にも角にもこの夢が覚めない事にはここから脱出するべくもない。なのでただ立ち尽くしているよりはと言うことでこうやってばしゃばしゃと飛沫を上げつつ目的もなくただ歩を進めているのである。

 しかしどうだろう。目的もなく歩くというのは体力的にもそうだが精神的にもかなり疲労するものである。いつになればたどり着くのか。そもそも目的地はあるのか。あとどれくらいなのか…。そういった不安が精神を摩耗させる。そしてすり減った精神は体力をより一層浪費していく。

 そしてなにより周囲の風景が変わらない。これが一番つらい。

 せめて何か変化があれば、それを見ることにより幾分か気がまぎれるというものだが、生憎とここにある物と言えば足元を埋め尽くす液体と果てしなく続く闇だけである。

 いっそこのまま闇に溶け込んでなくなってしまえたら…。そんなことを考えては自嘲気味に笑う。

 しばらくして、目前に構造物が現れる。それなりの大きさの白い門。目測だがおよそ3mといったところだろうか。構造は観音開きで、扉や縁なんかには特異な意匠が施されている。随所にみられる掘り込みはゆったりとした曲線を描き、交わり、さらに伸びて交わる。それを繰り返していたるところに非ユークリッド的な幾何学模様を描き出している。それらを見ていればどこか吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥るが、どこか拒絶されるような感覚も抱く。そうしてふわふわしていると如何ともしがたい気味の悪さを感じ出す。そんなどこか冒涜的な意匠が凝らされていた。

 だがここでもう一つ、違和感を抱く。冒頭でも述べた通り、夢にはその夢の主の記憶にあるものしか形成されない。もしかすれば「不知(しらず)不覚(しらず)のうちに」こういった物を記憶している可能性もあるが、それにしたって隅々に至るまで精巧に作られているそれはただ「知っている」から作られているものでは無いと直感できる。

 重々しく鎮座する観音開きの巨大な扉に、淵から伸びてきたモールドは奇妙ともいえるような法則でねじれ、曲がり、交わる。そうしてできた幾何学模様は見る者を吸い込むようで押し返すようで。まるで何か「認識してはならないもの」に薄っぺらいテクスチャを貼り付けたような。

 こんなものを、どこかで見たわけがない。見ていれば確実に覚えているし、記憶から剥がれ落ちることもないだろう。

 そこでもしかしたら、と身の毛もよだつような考えが頭をよぎる。

 ここは、本当に夢なのか?

 少なくとも、私はこのような場所を知らない。このような構造物など見た覚えもない。

 考えがまとまらない。混乱する。疲労し、混乱した身体は酸素を求め呼吸を促し、吐き気を催すような臭気を孕んだ空気を肺腑に招き入れる。

 しばらくそうやって門の前でただ茫然自失と立ち尽くしていると扉からがこん、と音がしてゆっくりと開いていく。仰々しく開くそれはまるでその奥へと誘っているようで。しかし開かれた門の先は相変わらずの暗闇だった。

 開かれた扉からは風が吹き込んでいて、先ほどまで周囲を包んでいたえも言えぬ臭いが霧散していく。久方ぶりに清涼な空気を吸い込む。そして次第にクリアになっていく意識に飛び込んできたのは音だった。弦でも管でも鍵盤でもないが、それは確かな音程があり、それらがつながって調をなし、ひとつの音楽として完成していた。しかし地球上の何とも違うその音色は耐え難い恐怖を生み、いつしか私はその場にへたり込んでいた。

 恐怖から無意識に耳を塞ぐ。しかしそれでも音楽は鳴りやまない。まるで音が手をすり抜けて、鼓膜ではなく脳に直接届いているような。そんな感覚すら覚える。

 何度も何度も、夢であれば覚めて欲しいと願う。そう、これは夢なのだ。そうに違いない。何故ならこんな人を、人類を、生命を冒涜するような音楽が存在していいわけがない。

 朦朧とする意識の中、縋りつくように門をくぐる。そこに救いを求めたわけではない。ただどこか漠然と「進まなければ」という意思が心の底から湧いてくるような。そんな感じがしたからだ。もしかしたら生存本能とかそういったものかもしれない。無意識のうちにこの先に行けば助かるのではとか思ってしまっていたからかもしれない。

 門の先には相変わらずの暗闇。しかし足元に液体は満たされておらず、あの臭気もない。へたり込んでいるからこそわかるが、床は石材を敷き詰めているようで。火照った身体の熱をゆっくり奪われていく感覚が心地よかった。

 落ち着きを取り戻し周囲を確認する。相も変わらずの暗闇だが、先ほどまでのそれと違いどこか厳格な空気が感じられる。それは神社だとか城だとか。そういった場所に近いようなものに思われる。

 そう考えればこの冒涜的な音楽も場所に合わせたものなのだろうか。到底人の身である私では理解できない旋律だが、先にも挙げた神社のような。人ならざる者を祀り上げる場所なのだとしたらなるほど、人の身である私が理解できないのも頷ける———それはそれとして冒涜的なのに変わりはないのだが———。

 そんなことを考えているとこの闇の向こう。ちょうど門をくぐってまっすぐ向かったところに何かがいるのを察知する。しかしそれはとてつもない大きさで、それゆえに全体を確認することはできないが、確認できる部分だけでも身の危険を感じるほどの存在だった。

 それは所々あぶくが立ち上り不気味に泡立っていて、どろどろとした粘液を噴き出している。玉虫色のそれは頻繁に形を変えたり分裂したり統合したり大きくなったり小さくなったりせわしなく蠢いている。規則性があるわけでないそれはどこか生物的とまでは言わないが何かしらの意思を持って動いているように思えた。

 そしてしばらくそれを観察しているとそれが眠りについていて、今まさに目覚めとしている…。重ねて、もしも目前に鎮座する者が目覚めてしまうということは世界が崩壊してしまうと。今まで目を通して描写されていたそれらのテクスチャがはがれ、今まで目にすることのなかった「本当の世界」を目撃してしまう。そうなってしまえば世界は狂気にまみれてしまう。世界は崩れてしまう。世界が終わる。

 恐怖が精神を締め上げる。あぁ、どうか、どうか。目が覚めませんように。

 ずっとずっと、この夢が続きますように。

 目覚めなく、永遠にこの世界がありますように。


 ———それは、夢見るままに待ちいたる。

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