9話
※軽度の流血表現があります
休憩終わりのことだった。資材を片付けている隊員の元に大きな塊が突っ込んできたのは。
報告にない三頭目の毒巨鳥だった。
「二頭だけじゃなかったのか!?」
対象を無事討伐し、少々気が緩んだ中で休憩していたとはいえ、王宮から派遣された編成隊だ。態勢を整えるのに、そう時間はかからない。しかし。
「おい! 何人かやられた!」
「治癒魔法士が倒れている!」
先に倒した個体よりやや小さいが、その分動きが早い。
恐慌状態に陥っているのか大暴れしているせいで、剣士は近づけず、魔法士も狙いを定めることができないでいた。
「ラビ! 防御壁であの動きを止められるか!?」
「たぶん! でも動きが早すぎて、カリンと二人がかりでも一分持たない!」
暴れる毒巨鳥から距離を保ちつつ走り回る隊長の声に、ラビが瞬時に返した。
ロベルトの足場として防御壁を使うことができるように、周囲に杭を打ち込むように細長い防御壁を出せば、対象を拘束する檻となる。
ただし防御壁の強度は術者の技量に左右される。我を失って暴れる巨鳥の勢いで周囲の木もなぎ倒されているあの様子では、普通の防御壁でもすぐに壊されるだろうと思われた。
しかし、もし数秒だけでも動きが止められるなら。
カリンがロベルトへ視線を向けると、ロベルトは王子と話していた。そして、カリンを見て頷いた。
少しして隊長に呼ばれたカリンは、王子とロベルトにラビという妙な面々で、手短に作戦会議を済ませた。
内容はこうだ。
ラビの防御壁で毒巨鳥の動きを止める。その間にロベルトが近づいて、カリンが出した防御板を足場にして毒巨鳥の頭上に跳ぶ。そこで一太刀にできればそれでよし。少なくとも、頭付近に剣がかすれば動きが鈍る。それを狙って、待機している兵で止めを刺す。
隊長は他の面々に作戦内容を伝えに行った。残ったラビにロベルトが聞く。
「ラビ副室長。一人でどのくらい止められる?」
「十五秒が限界かと」
「分かった。カリン、五段くらいで行けると思うけど、また指示を出す」
「はい」
剣を抜いたロベルトが、暴れる毒巨鳥を見据えた。剣士や魔法士たちが総出で巨鳥を取り囲んで動き回る範囲を縮めようとしている。
一部の兵は怪我をした治癒魔法士たちを守っているが、いつ怪我人に向かって毒巨鳥がやって来るか分からない。早く決着をつけなければいけなかった。
ラビが杖が構える。カリンも杖代わりに使っている細身の剣を抜いた。
これは訓練ではない。絶対に失敗はできない。
「ロベルト! カリン! 訓練通りにやれ! ラビ、そなたも踏ん張れよ!」
王子の声を合図にロベルトが走り出した。それと同時にラビが防御壁を柵状に出すと、目論見通りに毒巨鳥は拘束された。ラビはこらえるように息を止めている。
「カリン五段!」
「はい!」
足元に出現した防御壁をロベルトが思いきり踏み込み、そのまま駆け上って跳んだ。毒巨鳥の頭とほぼ同じ高さになる。
抜き身の剣を横に薙ぎ払ったと同時に、ラビの防御壁も決壊した。巨鳥の周りを取り囲んでいた剣士が一気に飛びかかる。上手く行った。
そう思った。
「ルブ!」
止めを刺される直前、毒巨鳥は自身の足元にまとわりつく兵士たちを振り飛ばした。まだ着地していなかったロベルトが、もろに当て身を食らう。空中で避けようにも避けられなかったロベルトの身体は勢いよく飛ばされて――しかし、その先にあったものを見て、カリンから血の気が引いた。
毒巨鳥が暴れた時に折れた木だ。無理にへし折られた断面が鋭く尖っている。
ロベルトの身体が尖った木に叩きつけられる直前、とっさに出したのはいつもの大きさの防御板だった。防御板はロベルトの背にぶつかり、わずかに軌道が逸れる。
「ルブ!」
「ロベルト! 無事か!」
尖った木の幹を掠めながら地面に転がったロベルトは、脚を押さえてうずくまった。最悪の事態は避けられたようだった。
しかし。
「ルブ、血が……っ」
護衛騎士の制服は太ももの辺りから血に染まり、地面へと滴り落ちるほどだった。一見、命に別状はなさそうだが、流れる血が多すぎる。
「ロベルト卿! ロベルト卿!」
叫びながら駆け寄ってきたのはアニエスだ。治癒魔法士として同行していた彼女は、毒巨鳥の襲撃からは逃れていたらしい。一人でも治癒魔法士が無事だったのは幸いだった。
しかしカリンが、彼女が来た方を振り返ると、そちらもまだ騒然としていた。三頭目の毒巨鳥も無事に倒したものの、怪我人が多い。
カリンはロベルトの怪我の状態を確認しようとしているアニエスに声をかける。
「アニエスさん、他の治癒魔法士の方は?」
「でも……でもロベルト卿が、こんなに血が」
懸念していた通り、向こうを中途半端にしたままこちらに来たらしい。しかし、それはだめだ。
確かにロベルトも重症なのだが、アニエスがいま誰よりも優先して治療しなければいけないのは、他の治癒魔法士だ。
隊員が複数名負傷した場合は、怪我の程度にもよるが基本的には治癒魔法士の治療が優先される。たとえ比べる相手が王族だったとしてもだ。その方が、より多くの人を救える可能性が高いからだ。
治癒魔法士であるアニエスが、その原則を知らないはずがない。
「あちらに戻らないと。無事な治癒魔法士は今、アニエスさんだけですよね?」
「静かにしていて! 集中しないと……!」
「アニエスさん!」
気が動転している様子のアニエスの肩を掴んで、強引にこちらを向かせた。綺麗な顔は土埃と涙で汚れている。ロベルトのことが心配でたまらないという表情だった。
「しっかりしてください! 私情でルブを治して、もしそれであなたの魔力が枯渇したらどうしますか!? ルブより重症の方があちらにいるでしょう!」
カリンだって、一刻も早くロベルトの治療をしてほしかった。意識はあるようだが血が止まらず、話すのも辛そうだ。
「早く他の治癒魔法士の方を治療してください。ルブが手遅れになる前に、早く!」
「……っ! あなたなんかに言われなくても、分かっているわよ!」
アニエスは涙を拭って、カリンを睨みつけた。
「傷口を清潔な布で強く押さえておきなさい! それでも血が止まらなければ包帯で縛って!」
「分かりました」
「二十分以内には戻るわ!」
そう言って、アニエスはもと来た方向へと走って行った。
「ルブ、ごめんなさい……もう少しだけ頑張ってください」
「カリンの判断は、正しいよ……。それより殿下……申し訳ありません」
「お前は自分の心配だけしておれ!」
患部を心臓より高くするために、王子自身がロベルトの脚を支え、傷口を押さえていた。王子のハンカチだと思われる布は、血を吸ってみるみるうちに赤く染まっていく。
ラビは包帯を探しに行ったものの、毒巨鳥が暴れまわったせいで物資もあちこちに飛ばされていた。この惨状の中から包帯を見つけるのは時間がかかるだろう。
「ルブ……」
魔法で傷口を塞いだとしても、失った血は戻せない。このままではどうなってしまうのか――アニエスを偉そうに怒鳴りつけておきながら、カリン自身、不安で堪らなかった。
(わたしがもっと上手く対処できていれば。非公式の訓練で練習してる連携なんか、実践に持ち出さなければ……そもそもあの時、訓練の誘いを断っていれば)
こんなことには、ならなかったのに。




