8話
「清き水よ、つむじ風に」
ふわりと風が舞い上がり、霧散した水で周囲の気温が少し下がる。カリンは前髪が湿気で膨らんだのを感じながら、隣のベンチに座るロベルトを見た。
「どうかした?」
「羨ましいなと思いまして」
「羨ましい?」
「はい。髪が真っ直ぐなので」
ロベルトは背中に流していた髪を前に持ってきて、なるほど、と呟いた。
「あんまり意識したことなかったな」
「それはもったいない」
カリンも自分の三つ編みをつまんで、目の前に持ってきてみた。
編んでいるから分かりにくいものの、これをほどけばしっかり癖がついて、おまけに湿気を吸って膨らんでいるだろう。この髪は編み癖なんかがなくても、物心ついたころからすでにくせっ毛だった。
それに比べてロベルトの髪は、湿気にも動き回る訓練にも負けず、ストンと真っ直ぐ落ちている。
ポニーテールにしても背中の真ん中に届くほど長い髪は、どこを見ても傷んだ様子が見られない。当然のように根本から毛先までツヤツヤの金色だ。さすが貴族と言うべきか。
湿気にひるむことなく涼みながら自分の髪を見ていたロベルトは、カリンの方へ視線を戻した。
「それって、私の髪を褒めてくれてるってことだよね」
「ええと……そうですね」
その通りなのだが、改まって確認されると気恥ずかしい。
「ありがとう。カリンの髪もかわいいよ」
ロベルトは青薔薇の騎士だから、こんなことも簡単に言えてしまうのだ。返す言葉が見つからないまま、小休憩は終わりとなった。
訓練を再開してすぐ、呼び捨ての成果が出た。連携が上手く取れたのだ。
襲ってくる岩人形に合わせてロベルトは五段の足場を駆け上がった。頭上を飛び越えて岩人形の背後に回り、木剣で叩き落としながら危なげなく軽やかに地面に降り立つ。
振り返り駆け寄ってくるロベルトに、カリンも吸い寄せられるように走った。そして勢いのままためらうことなく、手と手を打ち合わせた。広い訓練場に乾いた音が響き渡る。
「ロベルト卿! できましたね!」
「ルブ」
「あ、ルブ……」
訓練中は随時、愛称呼びが求められるらしい。
ともかく、呼び名を変えただけで当日中に成果が出るとは思ってもみなかったカリンは素直に喜んだ。まだ荒削りな部分はあるが、今までの失敗を考えれば大成功だ。何度も反復して精度を上げていかなければと気合も入れ直す。
(なんだかドキドキする)
畑違いの剣士と魔法士でこんな連携が取れるようになるとは。
王族を守る近衛騎士と実戦で連携を取る場面などない方がいいのだが、いつかこの訓練の成果を出せる日が来ればいいと願う。
ふと気がつくと、ロベルトがこちらを見ていた。何だか嬉しそうだ。
カリンも高揚感でふわふわとしたまま、ロベルトに微笑んだ。
*
それから数日後、カリンは遠征軍の一員として王都の外れへと向かっていた。
この遠征には第四王子が同行しており、その護衛としてロベルトも付き従っている。
さらには治癒魔法士のアニエスと、あの日の雀のひとりも参加していた。集合場所で点呼を取る前のほんの少しの時間ですでに「足を引っ張らないでくださいませ、平民さん」などと雀からの挨拶を受けている。
補助魔法士として参加しているのはカリンとラビの二人だ。隣を歩くラビが暇つぶしに口を開いた。
「カリンは見たことあるって言ってたっけか? 毒巨鳥」
「はい。魔法学校での実践訓練でも何度か扱ったことがあります」
今回の討伐対象は毒巨鳥二頭。近隣住民からの目撃情報が何件か寄せられたので、本格的な被害が出る前にと王宮から討伐隊が派遣されることになったのだ。
この国にとって魔物はそこにあって当たり前のものだ。わざわざお互いに干渉しようとしなくとも、魔物が数を増やせば家畜を襲って畑を荒らし、人間にも危害を加える。だから時々の間引きはどうしても必要だった。
「それに、故郷の村で毒巨鳥が出た日には焼き鳥祭りでした」
「あー、あんたの故郷ってそっちか、魔物食べる系のところ」
「内蔵の処理さえしっかりすれば、普通の鶏肉とそんなに変わりませんよ。草食なので倫理的にも問題なしです」
「食べたことあるやつ、皆そう言うんだよ」
そんな話をしながら目的地付近まで来るころには、自然と口数が減った。
森に入り浅いところを探索していると、毒巨鳥を見つけたと合図が上がる。ほぼ報告通りの場所に、報告通りの二頭だ。
人里からそう遠くない場所に縄張りを構えてしまった毒巨鳥を森の奥に追い返すことは難しいので、農作物の味を覚える前に殺してしまうしかない。
毒巨鳥は分布域が広く、さして珍しくもない魔物だ。大昔の毒巨鳥は見た者を石に変えるなどと言われていたが、今の個体にそんな能力はなく、大層な翼を持っているのに空も飛べない。
ただし、その巨体と吐息に含まれる毒、草食とは思えない凶暴性が厄介だった。農作物を守るため村人総出で取り囲んでも大怪我するか毒で中毒になるだけで、玄人がいなければ倒すのは難しい相手なのだ。
討伐隊は玄人集団なので、毒巨鳥討伐には何ら苦労しなかった。同時に二頭と対峙する剣士たちの動きに無駄はなく、魔法士の援護射撃も上手く決まった。
最後尾にいる王子と近衛騎士は当然、何もすることはない。念の為に同行していた治癒魔法士たちにも出番はないまま、毒巨鳥二頭との戦闘は終了した。
「カリン嬢、疲れてない?」
「ロベルト卿、殿下」
毒巨鳥が二頭倒れているその場所で城に戻る前の休憩を取っていると、後ろからロベルトがやってきた。ロベルトがいるということは、第四王子もいる。
カリンは慌てて膝をついて、頭を下げた。隣にいたラビも同じように頭を下げている。
「第四王子殿下にご挨拶申し上げます」
「楽にしてくれ! 面を上げよ!」
非常によく通る声で殿下が言う。カリンとラビは顔を上げた。
「そなたらは補助魔法士だな! 目立ちはしないが、そなたらなくば戦闘時間も長くなる! 今日も良い働きであった!」
「ありがたいお言葉、痛み入ります」
補助系の魔法士は軽視されることも多い。攻撃系魔法士のような派手で分かりやすい火力がないからだ。
味方に身体強化魔法をかけ、防御壁を張り、あの手この手で対象の動きを止めて前衛の補助をしている。いれば戦いがより有利になるが、いなくても戦える。それが補助魔法士だ。
「カリンと言ったか! ロベルトと最近何やらやっておる相手は、そなただな!」
「はい。防御壁を活用した訓練を」
「ふむ! 励めよ!」
「ありがとう存じます」
王子はラビにも一言二言声をかけてから、ロベルトを伴って別の隊員の元へ歩いて行った。剣士や魔法士たち全員に声をかけて回っているらしい。遠ざかっていく主従を見ながら、ラビが呟いた。
「なんか俺、護衛殿にめっちゃ睨まれたんだけど」
「どうしてですか?」
「俺が知りてぇよ……」




