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6話

 ロベルトとの訓練も五回を超えたころ、カリンは珍しい人から声をかけられた。


「ちょっとカリンさん。一体、何なの?」


 わざわざ別の研究室からやって来て、書き物をしているカリンの真横で仁王立ちしているのは、治癒魔法士のアニエス・フロストルだ。その後ろにも何人かの女性魔法士が並んでいるが、カリンの中で顔と名前が一致するのは同期のアニエスだけだった。


「何、とは……」

「とぼけないでちょうだい」

「とぼけてはいませんが」


 アニエスは元から怒ったような顔で登場したが、カリンとの短い会話で更に眉を吊り上げた。そして、カリンに向かってビシッと指をさした。綺麗な顔をしているのに、今はまさにオーガの形相だ。


「最近! 夜! ロベルト卿と二人で何をしているのよ!」

「そのことですか。訓練です」


 何かと思えば、ロベルトとの訓練のことを言っていたらしい。

 訓練は思っていた以上に充実していて、ほどよく疲れる。おかげで質のいい睡眠が取れるので、訓練の翌日は体調がいい。しかも甘いお菓子までもらえて、カリンの機嫌もよくなっていた。


「違う! そんなことは見ればなんとなく分かるわ。それについても言いたいことはたくさんあるけれど、わたくしが言っているのは訓練とやらの後のこと!」

「訓練が終わった後は宿舎に戻ってます」

「ああもう、話が通じないわね」


 アニエスは腕ごと指を下ろして、ついでに肩も落として大きなため息を吐いた。


「訓練の後、あなたが家に帰る前。ロベルト卿と二人で何かを食べていたって聞いたわ」

「チョコレートとか、焼き菓子とかですね。そういったものは普段食べられないので、とてもありがたいです」

「それよ! なぜ二人で並んで食べる必要があるの!?」

「卿が感想を求められているようだったので……」


 そしてお腹が空いていたからなのだが、それは恥ずかしくて言えなかった。

 お腹を鳴らしてしまったのは初回だけ。二回目以降は何やら視線を感じるので、食べて感想を伝えている。その間一人で食べているのが気まずくて、ロベルトにもひとつ渡していた。


 アニエスを見ると、彼女は下ろした手を握りしめてプルプルと震えていた。どれほど力を入れているのか、白魚の手が蒼白になっている。そのうち爪が皮膚を突き破るのではないかと、カリンは少し心配になってきた。


「アニエスさん、大丈夫ですか?」


 少し力を抜かせたほうがいいと思って伸ばした手は、アニエスに叩き落とされた。そして、これまで黙っていた背後の女性たちがここぞとばかりに言い募る。


「平民ごときが貴族の身体に触れようとするなんて!」

「ロベルト卿にほんの少し相手にされているからって、思い上がっているのではなくて?」

「あなたが何か調子のいいことを言ってロベルト卿を騙しているのね」


 騙しているだなんて、そんなはずがない。騙す騙さないで言えばカリンの方が騙されている可能性があるのだが、そのようなことを考えるのも申し訳ないくらい、訓練は至極まじめだ。


「わたしたちはただ、剣士と魔法士がともに戦うための訓練をしているだけです」

「剣士なら他にも腐るほどいるでしょ。わざわざロベルト卿にお相手してもらうなんて間違っているわ」

「ロベルト卿の他に、このような提案をしてくださった方はいません」

「屁理屈言わないで!」


 ピシャリと言われ、カリンは口を噤んだ。


(これは話が通じない……)


 先頭のアニエスはカリンの手を叩き落としてから口を開かず、後ろの女性魔法士たちが雀のようにあれこれ好き放題に言い募る。こういうときに限って第九研究室にはカリンしかいなかった。皆、資料室やら見回りやら遠征やらで出払っているのだ。


 どうしようかとカリンが悩み始めたころ、研究室の奥から「くあぁ」と何とも気の抜ける声が聞こえてきた。雀たちが一斉に口を閉じる。

 全員が無言で声のした方に視線を向けると、ガタガタと椅子を動かすような物音の後に長身の男が現れた。ここ第九研究室の副室長、ラビだ。棚の向こう側で椅子を並べて寝ていたらしい。


 乱れた髪をかき回しているラビを見て、雀たちは無言のまま研究室から出て行った。

 ラビもカリンと同じく平民でありながら、若くして研究室の副室長になるほどの実力を持っている。魔法士としてはこの場の誰よりラビが偉い。彼女たちもさすがに分が悪いと思ったのだろう。


「あなた、気に入らないわ」


 雀たちが出て行く様子を横目で見ていたアニエスも、一言吐き捨ててから立ち去った。


 研究室に妙な静寂が残るが、ようやく書き物を再開できるとペンを持ち直したカリンの側に、今度はラビが寄ってきた。


「あんたなぁ」

「副室長。起こしてしまったようで申し訳ありません」


 いやそれはいいんだけど、とぼやきながら、ラビは近くにあった誰かの椅子を持ってきた。背もたれを前にして頬杖をつき、行儀の悪い座り方をする。


「魔法士なんて性格まともなやつの方が少ないけどさ、もう少し上手くやった方がいいんじゃないか?」

「どういうことでしょう」


 カリンが問うと、ラビはアニエスと雀たちが出ていった研究室の扉を顎で指した。


「さっきのお嬢さん方。あっちの味方をする訳じゃないけど、あんたももっと上手い言い方あっただろ? それをわざわざ神経逆なでするような言い方してさぁ」

「……わたしは本当のことを言っただけなのですが」

「ほら、そういうところ。事実なら何をどう言ってもいいのか?」


 ラビの言い分にカリンは目を伏せた。この男はいつも『報告書には主観を入れず事実だけ書け』と口を酸っぱくして言っていたのだが――言いたいことが分からないわけではない。


「気に食わないとはっきり言ってくれる相手ばかりじゃないからな?」

「はい」

「あんたもう少し人間関係を学べよ。ま、そういう意味では例の近衛騎士との訓練はいいかもな。あの御仁に関わってれば、良くも悪くも人間関係は広がるだろ」


 行儀悪く椅子を前後に揺らしていたラビは立ち上がり、椅子を元の場所に戻した。話を切り上げるつもりのようだ。カリンの肩を軽く叩いて、男は棚の向こう側へ戻っていった。

 昼寝の続きをするのかと思ったが、さすがにそうではないらしい。ベッド代わりにしていた椅子を元の場所に並べ直しているような音が聞こえてきた。


(予想できていたことだから、大丈夫)


 この訓練の相手がロベルトである以上、今回のようなことは予想していた。ああやって集団で寄って集られることにも慣れている。

 カリンはただ聞かれるがままに真実を伝えただけだ。わざわざ怒らせるようなことを言ったつもりはなかった。


 訓練は非公式ながら訓練場の使用許可を得て、室長のみならず第四王子からも認められている。誰かに咎められるようなことは一切ない。

 それで怒るのは向こうの問題であって、こちらの問題ではないはずだが、もっと穏やかな伝え方は確かにあったのだろう。カリンはそういったものの伝え方が上手くなかった。


「はぁ……」


 改めてペンを握り直し、ペン先をインクに浸す。小さなため息は、ラビが椅子を動かす音にかき消されて消えた。

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