5話
飴玉を食べ終わった後。回廊を歩き始めたカリンはすぐに足を止め、訓練場を去っていくロベルトの後ろ姿を見た。
歩く度に、後ろでひとつにまとめた長い金髪が揺れていた。あれだけ上下左右に動き回り、涼しくなる魔法で水分も含んでいるはずなのに、ストンと真っ直ぐ落ちている。手ぐしを入れても引っかからない気がする。魔法灯に照らされてわずかに光る様子が、きれいで羨ましかった。
カリンはくせ毛だ。三つ編みにしていればなんとかまとまるが、ポニーテールにしてもロベルトのようには決まらないし、訓練で動き回れば髪が絡まって大変なことになってしまう。
(持って生まれたものだからしかたないけど、あれはやっぱり羨ましい)
きっと毎朝の手入れが楽だろう。
飴玉の瓶が入った紙袋を片手にそんなことを思いながら、カリンは再び歩き始めたのだった。
*
訓練を終え回廊を歩いていたロベルトは、角を曲がる前に振り返ってカリンの後ろ姿を見た。
迷いなく真っ直ぐ歩く彼女の手には、ロベルトが贈ったお菓子の紙袋が握られている。今日の飴玉も美味しいと言ってくれた。
チョコレートに引き続き、ひとつロベルトにくれるのは一体何なのだろう。あげたものなのだから全部カリンが食べたらいいと思うのに、ついつい受け取ってしまう。
(少しでいいから振り向いてくれないだろうか)
そんなことを思ったロベルトはすぐに自分の思考に驚いて、否定するようにゆるゆると頭を振った。
彼女が振り向くはずがない。案の定、カリンは一度もこちらを見ることなく角を曲がり、姿を消した。
(私は何を考えて……)
カリンが振り向かなかったことに胸を撫で下ろしているのに、頭の隅では振り向いてもらえなかったことを残念に思っている。派手な矛盾に恐ろしくなったロベルトが訓練場に戻って素振りでもしようかと考えた時、遠くから同僚が走って来るのに気がついた。
「ロベルトー!」
第四王子付きの政務補佐官、ソリス・ウォルターだ。王子の宮からここまで走ってきたのか、息を切らしている。
「ソリス? どうした」
「いやそれが……これから殿下が夜会に……いつも急で申し訳ないんだけど……」
「分かった。すぐに準備するよ」
主が予定になかった夜会に参加することになったらしい。護衛として同行させるため、ロベルトを探していたようだ。
結婚適齢期にも関わらず婚約者も恋人もいない王子は、時々こうやって急遽社交の場に出ることがある。しかもそれらは本人の意思ではなく、大抵は国王や兄たちからの命令である。そのため、政務補佐官が現場調整に走り回ることになるのだ。
「ごめん、ホント……」
「ソリスが謝ることじゃないさ」
仕事であれば余計なことを考えずに済む。むしろ礼を言いたいくらいだった。
*
軽く汗を流してから夜会用の騎士服に身を包んだロベルトは、会場で色とりどりの花に取り囲まれていた。
「ご機嫌麗しゅう、ロベルト様。お一人ですか? よかったらわたくしと一曲」
「申し訳ありませんレディ、ご覧の通り今日は殿下の護衛でして。あちらにおられるのですが、おや、見えませんか?」
「ロベルト様、ご無沙汰しておりますわ。ぜひ近いうちに我が家へいらしてくださいな。父がいい煙草が手に入ったと言っておりましたの」
「大変光栄ですが、私は煙草を嗜みませんので。ああ失礼。殿下の護衛がありますので今日はこれで」
と、先程から似たようなやり取りを繰り返している。
第四王子はこういった夜会を好まないので、必要最低限の人間と必要最低限の会話を済ませるとすぐに姿をくらませる。しばらく時間を潰した後、主催者にそれらしく挨拶をして帰るのが定番だ。
その間はロベルトが生贄となる。会場に護衛がいるなら王子もどこかにいる、人混みに紛れているのか姿は見えないが護衛には分かっているのだろう、と思わせるためだ。
実際のところ、王子は会場にはいない。今日は日中天気に恵まれていたので、太陽に暖められた屋根の上でうたた寝でもしていることだろう。
王子がいる屋根に近い窓辺に立つロベルトの周りには、入れ替わり立ち替わり着飾った女性がやって来る。ロベルトはその中のひとりに目を止めた。
「ロベルト卿、ごきげんよう」
「あなたは確か、アニエス嬢ですね」
「はい。覚えていてくださったのですね」
頬を赤らめるアニエス・フロストルを見て、姉に似ているな、と思う。アニエスの姉ユリアナ・ティーメは、ロベルトの恋人の一人だ。表情や仕草がよく似ている。
青薔薇の騎士と呼ばれるロベルトは、その容姿だけで二つ名を与えられたのではない。容姿にふさわしい立ち居振る舞いに、途絶えるとことのない艶めく噂。
あくまで噂は噂であり、真偽の程は定かではないものの、社交界という特殊な環境で『青薔薇の騎士』は生まれ、独り歩きしていた。ロベルト自身も都合が良いと思っていたので、あえて二つ名の持つ印象通りに振る舞うことさえあった。
そのような振る舞いのひとつが、恋人の存在だ。時々入れ替わりがあるものの、常に複数人いる。もちろん、互いに割り切った関係だ。目の前で頬を染めているアニエスの姉も恋人のひとりだが、それは当人しか知らないことだ。
「もしよろしければ、ダンスを一曲踊ってはいただけませんか?」
「あなたのような可憐な方からお誘いいただけるのは嬉しいのですが、今日は」
「もちろん分かっておりますわ。今日は殿下の護衛としていらしてるのですものね。だから、今日じゃなくてもいいのです。またこうしてお会いできた時に」
「ええ、機会があれば、いつか」
(残念だけどその機会、一生ないよ)
ロベルトが選ぶのは未亡人だけだ。ユリアナは若くして未亡人となったが、アニエスは未婚なので、その時点でロベルトが相手にすることはない。そして自分に対して恋情を向けてくる相手も、ロベルトは選ばない。絶対に後腐れのない、割り切った関係しか結ばない。
ロベルトの胸中など知らないアニエスはしかし、果たされることのない約束に喜び、微笑んでいた。
(他の子は簡単に笑ってくれるのに)
どうして彼女はなかなか笑ってくれないのだろう。そんなことを考えている自分をごまかすように、ロベルトは咳払いした。
カリンのことを考えないために仕事に励んでいたはずなのに、結局考えている。仕事など意味がなかったらしい。
「ロベルト卿、どなたかお探しですか?」
ぼんやり会場を眺めていたロベルトは、アニエスの声で現実に引き戻された。家名を持たない平民のカリンが貴族の夜会に来ているはずもないのに、無駄なことをしていた。
「ええ、殿下を。あのお方はすぐどこかへ行かれてしまうので」
「あ、そうですよね。わたくしったら、当たり前のことをお聞きしてしまいましたわ」
「見失うといけませんので、失礼」
適当に言ってその場を離れると、どこからともなく王子が戻ってきた。これ幸いと主催者の元へ向かい、良い夜会だったなどと思ってもいないことを言う王子に付き従って、王宮へと戻った。
後日、ロベルトはユリアナの元へ一輪の花を送った。送り主は匿名だが、彼女には送られた満開の薔薇の意味が分かるだろう。
開ききった花は、後は散るのみ。もうこれ以上はないという、ロベルトからの別れの合図だった。
ユリアナは必要以上にこちらに踏み込まない、いい距離感を保てる相手だったが、その妹がロベルトに純粋な好意を寄せているとなれば話は別だ。面倒ごとの種はなるべく早く回収しておくに限る。
すぐにユリアナからも同じような満開の花が送られてきた。その花を自室のくずかごへ捨てておけば、清掃の後には消えている。
これで終わるような関係しか、ロベルトは必要としていなかった。




