4話
二回目の訓練のために集まったとき、以前のものよりも小ぶりな紙袋を目の前に差し出されたカリンは、思わずロベルトを見上げた。男は柔らかく微笑んでいる。
「あの……お菓子なら、前回いただきましたが」
「これは今日の分」
毎回もらえるとは思っていなかった。そんなつもりで訓練に頷いたのではない。
初回は訓練がどうなるか分からなかったし、初っ端で失礼千万な発言もあったので、お礼のお菓子がなければ断っていたかもしれないが、今はもう違う。
「さすがに申し訳ないので、毎回はいただけないです。この訓練はわたしとしても大変有意義に思っていまして、なのでお互い様というか、お礼を頂くまでもなく、逆にこちらからもお願いしたいと申しますか」
「それは嬉しいな」
そう言うわりに、ロベルトは手を引っ込めない。
「でもこれは、ただ私がカリン嬢にもらってほしくて用意してる。お礼とか訓練とか関係なく」
「どういう意味でしょうか?」
この質問にロベルトは答えなかった。何かを言おうとして口を開いたものの、最終的には首を傾げて曖昧に微笑みながら、口を閉じてしまったのだ。
結局、いつまでも手を引っ込めないロベルトに根負けして、カリンは紙袋を受け取った。
中身は飴玉だった。色とりどりの小さな粒がたくさん詰まっていて、見ているだけでなんとなく楽しい気分になれそうだ。
そんな飴玉が入っているのは気泡が一つも混ざっていない透明なガラス瓶で、これ自体がいいお値段のように見える。
「こんなに高価そうなもの、本当に頂いてもいいのでしょうか?」
「もちろん。カリン嬢に喜んでもらえたら、私も嬉しいよ」
この前のチョコレートは毎日ひとつずつ、ありがたく頂いている。箱にはたくさん入っていたし、保管場所に気をつけていればそれなりに日持ちするので、少しずつ楽しむつもりだった。
この飴玉も慌てて食べきらなくていいものなので助かる。
「……ありがとうございます。嬉しいです」
今まで節制していた甘い物を、ここ最近は毎日ひとつずつ口にできている。こんな夢のような生活がチョコレートの後も飴玉によって続けることができるのだと思うと、思わず口元が緩んでしまった。
(もしかして、チョコレートと飴玉を日替わりに食べてもいいのでは?)
ああ、何という天国。
「君が」
「はい」
気の抜けただらしない顔をして飴玉を眺めていたと思われるところ、ロベルトの声で気を引き締める。
「そうやって笑ってくれたら……」
「……はい?」
引き締めたばかりの気が緩んでしまった。一体、この人は何を言っているのか。
思わず飴玉から視線をロベルトへとやると、当のロベルトは既にカリンから背を向けて、訓練場の中央へと歩き始めている。
「カリン嬢、今日もよろしく」
ロベルトは訓練場の真ん中で片手を上げ、軽い調子で言った。
*
「守護せよ」
カリンが出した小さな長方形の防御壁の上に、ロベルトが飛び乗る。小さな板を地面と平行になるように作る感覚だ。防御の意味では使い所がなさそうだが、人の足場としては活用できる。
ロベルトは小さな防御壁の上でピョンピョンと何度か跳んだ。大きさや強度を確かめてから、最後に地面に降り立つ。
「ちょうどいいかな。これより小さいと、踏み外しやすくなりそうだ」
「分かりました。今の大きさを覚えておきます」
足場が大きければ安定するが、その分消耗する魔力が多くなる。だからロベルトにちょうどいい最低限の大きさを見極めて、それを固定して出せるようにしようとしているところだ。
コツを掴むまでの消費魔力は通常の防御壁とさほど変わらないものの、慣れるに従って魔力の減りも抑えられるはずだ。魔力は節約できるに越したことはないので、これは要特訓だ。
「私の利き足は右だから」
「右、左、右、ですね。とりあえず三段で……高さはどうですか?」
三段だけ、互い違いの階段のように防御壁を出す。ロベルトが勢いよく駆け上がって、三段目で大きく踏み込んで跳んだ。
社交界きっての遊び人と名高いロベルトだが、腐っても近衛騎士だった。当たり前だが運動神経がいい。
背の高い人間ひとり分ほどの高さから軽やかに地面に飛び降りたあと、遅れて金色の髪が流れるように落ちるのを見て、もてはやされるだけはあると実感した。
「段ごとの高さがもう少しあるといいな」
「分かりました。では、今くらいの高さまでだったら二段でも行けますか?」
「行けるね。二段でもう一度やってみようか」
「はい」
そして、カリンはロベルトに対して、少し不思議な人だとも思っていた。
貴族の男性によくあるように、平民だから、女だからと命令しない。相手の考えを否定することなく、互いの意見を交換できる。カリンに対しても上品で礼儀正しい。その上、言い出した本人なだけあって訓練中も真面目だ。
このくらいなら紳士だと思う程度だ。ロベルトに関して言えば、初めて言葉を交わした時のことがあるので、その時との差が激しすぎた。
あれ以来、そういった類の発言はない。まだ片手で数えるほども顔を合わせていないのに、あれは夢だったのかと思うほどだ。
「今日はこのくらいにしようか」
「そうですね」
段ごとの高さや幅を微調整しながら、カリンは正確に防御壁を出せるように、ロベルトは足元を見ずに飛べるように、という訓練を繰り返した。これが上手く行けば、足場の悪いところでの戦いがぐっと有利になるはずだ。極める価値はある。
以前のように、隣り合った二つのベンチにそれぞれ座る。ロベルトは走って飛んでと動き回ったので、少し汗をかいたらしい。ハンカチで額を抑えていた。
「清き水よ、つむじ風に」
元々強くないカリンの攻撃魔法を、更に威力を抑えて組み合わせた。つむじ風とも呼べないそよ風に乗って少量の水が霧散する。暑い季節にやると気持ちのいい魔法だ。
「涼しい。カリン嬢はこんな魔法も使えるのか」
「はい。くせ毛が広がるのが難点ですが」
涼しくていいのだが、水を霧散させるせいで髪が水分を含んで大爆発してしまうのだ。今は三つ編みにしているので問題ないが、前髪は少しもっさりしてきたかもしれない。
ロベルトの髪は矯正などではない本物の直毛らしく、きれいにまとまったまま、真っ直ぐに背中に流れていた。
しばらくしているうちに汗も引いたようで、ロベルトはハンカチを懐にしまった。そして、視線をカリンの手元に移した。何を見ているのかと思えば、飴玉の入った紙袋だ。
視線を追っていたカリンに気づいたらしい。ロベルトと目が合ってしまった。
「……」
「……」
ロベルトは何も言わない。カリンはしばらく迷ったあと、飴玉の瓶を開けた。
陽の落ちた訓練場で近衛騎士と魔法士が並び、飴玉を口の中で転がしている。飴が完全に溶けるまで、無言でずっと、ベンチに座っていた。
 




