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37話

 北のエル=ネリウス領にも遅い春がやって来た。


 春を告げる薄紅色の花が咲き誇るこの日、結婚式を挙げる二人がいる。式が始まる少し前、格式の高い軍服に身を包み、肩に付きそうな髪を後ろでひとつに結んだロベルトは、着飾った姿のカリンを見て息を飲んでいた。


「グラン卿、いかがです? とてもお綺麗でしょう」


 カリンと並んでやって来たのはレイモンドの妻、フロリナータだ。今日のためにカリンの世話を買って出てくれたのである。立候補するだけあって、彼女が飾り立てたカリンは美しかった。


 巻かずとも美しく波打つカリンの髪はあえて下ろしたまま。普段気にして隠している胸元も少し出して、しかしやや大振りな首飾りが露出を抑えている。

 いつもより念入りに、そして華やかに施した化粧は、カリンによく似合っていた。


 慣れない格好に落ち着かない様子で、カリンはロベルトを見上げた。


「こういう格好は初めてなんですが……似合いますか?」

「……とても」

「よかった」


 カリンが身につけているドレスや宝石は、この日のためにロベルトが贈ったものだ。出会ったばかりの頃なら絶対に拒否していただろうそれらを、再会した後のカリンははにかみながら受け取った。


 普段素朴なカリンがロベルトに贈られたドレスで着飾って、ロベルトに褒められて喜んでいる。

 誰かの気を引きたくて着飾る令嬢は何人も見てきたが、最愛の人が着飾ってくれることはこんなに嬉しいものなのかと、かつての青薔薇の騎士はこの日初めて知った。


 自分たちの結婚式の時、花嫁衣装を身にまとうカリンはどれほど美しいだろう。その時この命は耐えられるのだろうかと、ロベルトは少し心配になった。


「うふふ、なんだか甘酸っぱいですわ。わたくしなんて、レイモンドとは家同士が決めた結婚でしたから、結婚前の色恋なんて無縁でここまで来てしまったのよ」


 頬に手を添えて微笑みながら言うフロリナータに、その夫であるレイモンドは慌てて駆け寄った。


「フィロ、それはどういう意味だ? 変なことは考えてないよな?」

「落ち着いてくださいな、レイモンド。カリンさんやアニエスさんのお話はとても素敵ですけれど、わたくしは夫があなたで良かったと思っておりますのよ」

「驚かしてくれるなよ」

「心配性な夫は放っておいて、そろそろ席に座りましょうかカリンさん」

「はい」


 カリンはフロリナータとともに招待客の席へ向かい、レイモンドとロベルトは準備を整えたであろう主の元へ向かう。

 今日の主役は二人の主、エル=ネリウス辺境伯こと第四王子である。その相手はフロストル子爵家の三女アニエス。


 半年前にカリンが応援部隊を率いてエル=ネリウス領へやって来たことも、それをロベルトが当日まで知らなかったことも、全て王子の企みのうちだった。ストウナー男爵については領地内で箝口令を敷く徹底ぶりだった。

 到着予定日の前にわざわざロベルトだけを呼び出してストウナー男爵の話をしたのは、王子曰く、再会を彩ろうという粋な計らいだったそうだ。


 そんな王子はアニエスを通じてカリンの様子を伺い、ロベルトの有り様を伝えた。ロベルトがなくしたと思っていた飾り紐の半分をアニエスに預けたのも王子だ。

 王子から得た情報をアニエスは適宜カリンへ伝え、時にはあえて口をつぐみ、たくみにカリンを支えてきた。


 そうやってロベルトとカリンの恋を応援した二人も、手紙を通じて想いを育んで来たらしい。ロベルトからすればあの第四王子が、しかも手紙でと驚いたが、それ以上に祝福の気持ちが強い。二人がいなければ今のロベルトはなかったのだから。


 天に祝福されたかのような花吹雪が舞い散る中、それはそれは盛大な式が執り行われた。



 その日の夜。カリンは辺境伯の城にあてがわれた部屋でひとり、花を活けていた。花嫁から「あなたたちもおめでとう」と何度目か分からない台詞とともにブーケをもらったからだ。

 城のメイドに頼んで花瓶をいくつか借りて、花を振り分ける。大きなブーケを花瓶三つ分に分けて飾り、窓辺やテーブルの上に置いた。


 ハーブティーを淹れ、花を眺めながら飲んでいると、部屋の扉が控えめに叩かれる。仕事を終えたロベルトが、楽な格好に着替えてカリンの部屋を訪ねて来た。

 想いが通じ合い公然の恋人同士となった二人だが、婚前であるし、カリンは応援部隊の隊長として滞在しているので、部屋は別に用意されている。にも関わらずロベルトはいつも「ただいま」と言う。


「おかえりなさい、ルブ」


 部屋に入るなり、ロベルトの腕がカリンを包み込む。カリンもとっくに着替え、化粧を落としているのに、ロベルトはかわいい、愛してると頬にキスを落とした。


「いい式でしたね。アニエスさん、ものすごく綺麗でした」

「うん。殿下も幸せそうだった。久々に陛下とも直接話されていたしね」


 ロベルトの腕から解放されると、カリンが座っていた正面の椅子を勧める。ロベルトは大人しく椅子に座りながら言った。


「ねぇカリン、私の妻になってくれる?」

「はい。喜んで」


 ロベルトの分のハーブティーを淹れながら、そんな会話を交わすのももう何度目か分からない。ロベルトはまだどこか夢心地なのか、確かめるように何度も求婚していた。


 カリンとしても、三年半ほど前の苦い思い出がある。こうして何度も言葉で確かめてくれるのはまんざらでもなかったが、そろそろロベルトには、ちゃんと安心してほしい。


「ルブ、話があります」

「うん?」


 少し冷めてしまった自分のハーブティーを飲み、カリンはずっと考えていたことを口にした。


「無事結婚式も終わったので、わたしはそろそろ王都に戻らないといけません」


 いつかは王都へ戻らなければいけないと、二人とも分かっていた。しかしいざその話が出て、ロベルトの美しい顔が悲しげに歪んだのを見ると、カリンも心臓がギュッと締め付けられた。


 だが別れようという話をするのではない。カリンは気を取り直して続けた。


「それでちょっと提案が。ルブも一緒に王都に来られませんか? 難しいとは思うのですが、少し長めの休暇を取って頂いて」

「休暇は取れるだろうけど」

「よかった」


 爆発的に増えていたエル=ネリウス領の魔物も、ずいぶんと数を減らしてきた。もう応援部隊の手も必要ないだろう。

 春を迎え季節もいいので、戻るなら今を逃せないと考えていたのだ。


「王都から東へ向かいます。わたしの両親に、結婚の報告をしに。ルブと一緒に行けたらと思ったのですが、どうでしょうか」

「……いいの?」


 いいに決まっている。数え切れないほど求婚され、その度に頷いてきたというのに、何故ここで遠慮するのかとカリンは首をかしげた。


「君のご両親や村の人を勘違いさせてしまうかもしれないけど」

「ふふっ。そういえば、そうでした」


 いつか王都の街で交わした会話。当時はまさか、あの話が現実のものになるとは思っていなかった。


「皆には一生、勘違いしたままでいてもらわないといけませんね」


 いたずらっぽく笑って見せると、ロベルトも声を上げて笑ったのだった。

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