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34話

 第四王子が護衛や少数の使用人を連れてエル=ネリウス辺境領へ発ってから、数週間が過ぎた。最後にロベルトの顔を見てからここまで、カリンは呆然と過ごしていた。


 全く使い物にならないとラビの進言により休暇を与えられ、日がな一日部屋にこもっていれば食事をする気にもならない。放っておけば餓死しそうだということで、たった数日で休暇は撤回となり、カリンは毎日重い体に鞭打って働いていた。


 働いている方が、余計なことを考えずに済んでいい。私的な理由で生産性が落ちていることだけは申し訳ないが、時間が解決してくれると信じてやっていくしかなかった。


 この日も最低限の業務をなんとかこなし、宿舎に与えられた自室に戻る。制服もそのままベッドに倒れ込んで目を閉じていると、扉を叩く音が聞こえた。

 のろのろと起き上がり、扉を開ける。そこにいたのはアニエスだった。


「アニエスさん? どうしたんですか、こんなところに」

「お邪魔するわよ」

 

 カリンの質問には答えず、ずいずいと部屋に入って来る。アニエスも制服姿なままのところを見ると、仕事が終わったその足でここまでやって来たのだろう。


 単身用の狭い部屋ではあるが、小さな丸椅子がひとつある。そこに客人を勧めながらハーブティーの茶葉を取り出していると、アニエスの白い手が伸びてきた。


「飲み物持参よ。いちご酒、薄めの水割りで」

「それは……ありがとうございます」


 普段酒を飲まないので、カリンの部屋にグラスはない。茶を飲む時に使うマグにいちご酒の水割りを作って、ベッドの縁に腰掛けた。アニエスもカリンと並んで座り、使われなかった丸椅子はマグ置き場となった。


「相変わらずひどい顔ね。くまができてるし、お肌も荒れてるんじゃない?」

「そうですか? 自分ではよく分かりません……」


 身だしなみを整えるために姿見を見ても、顔色や肌の調子まで観察する気持ちの余裕はない。

 いつもの三つ編みは上手くできずに横で緩くまとめているだけだし、日々の食事だって上司に言われるから食べるだけで、自ら食べようという気力は生まれていなかった。


 これは、いわゆる失恋だ。単語として失恋というものは知っていたが、ここまで生活に影響が出てくるとは思っていなかった。


「わたくしもなんだかバタバタしちゃって、落ち着いて話ができるのが今日になっちゃって悪かったわ。さ、今日はたっぷり語り合うわよ」

「か、語ると言われましても」


 アニエスが聞きたいのはロベルトとのことだろう。だいたいは知っているようだが、細かいところまではあの場にいた者しか分からない。


 辺境行きを知らされていなかったこと。想いを告げたのに、取り合ってもらえなかったこと。今までの自分の態度を後悔していること。


 始めは途切れ途切れに話していたカリンだったが、酒精の力を借りていくうちに言葉数が増えてきた。弱い酒だが、今のカリンにはよく回るようだった。

 時々酒を含みながら思い出すままに話し、支離滅裂な説明になっても、アニエスは根気強く聞き続けた。


「つまり、カリンさんが抵抗したせいでロベルト卿が怪我を負った。あなたが卿に『好き』と言ったのは、怪我をさせた負い目からではないかと思われて、だから取り合ってもらえなかったのね。カリンさん自身の本当の気持ちだとは信じてもらえなかった、と」

「……たぶん」


 一人でいる間、夜も眠れずにずっと考えていたことだ。


「ややこしいわね。きっと卿は卿で、あなたを巻き込んでしまった負い目があるから、余計そう思うのでしょうね」

「そのことは関係ないって言ったのに、全然聞いてくれなくて」

「状況と時期が悪かったのね。恋愛も時期や間が大事なのよ」

「ちゃんと言うつもりだったんです。それなのにまさか、あんなことが起こるなんて思わなくて」

「ええ、そうよね。人生何が起こるか分からないわね、本当に」

「もしくは、急にわたしのことが嫌いになったんです。それもしっくりきます」

「ないと思うわ」

「そんなの分からないじゃないですか」


 話しながらマグ二杯分のいちご酒水割りを飲み干したところで、アニエスが一旦マグを洗い始めた。温かいハーブティーを入れ直し、一口飲んでから、ポケットに手を入れる。


「あのね、今日はこれを渡そうと思って来たの」


 ポケットから出したハンカチを、カリンの手に握らせる。アニエスに視線で促されてハンカチを開くと、包まれていたのは青い紐だった。


「……これ」


 カリンがロベルトに贈った、青い飾り紐だ。半分ほどの長さに千切れてしまってはいるが、間違いない。ロベルトの金髪に混ざって揺れているのを、何度も見ていた。


「なんで、これが?」

「現場を整理していたら出てきたのですって」


 ロベルトが自分の髪を剣で切り落としたことは、後になって話に聞いた。その時に切れてしまったのだろう。

 もう半分は見つかったのだろうか。カリンの魔力暴走でランプが落ちて少し絨毯が燃えていたそうだから、一緒に焼けてしまったのかもしれない。


 とにかく、この紐がカリンの元にある。ロベルトではなくて。

 ――それが答えではないのだろうか。


「ねぇカリンさん。あなたってきっと、一人でいても不幸にはならない人だわ」


 宮廷魔法士である以上、結婚などしなくても生きていける。夢のためにも、それでいいと思っていた。

 しかし、カリンは首を振った。


「そんな仮定の話なんて、意味ないです……」


 カリンはロベルトに出会ってしまった。好きだ愛していると言われ続け、とうとう絆されてしまったのだ。振られた今でも、この気持ちは変わらない。


 出会う前には、もう戻れない。


「辛かったでしょう。今は好きなだけ、泣いたらいいわ」


 アニエスがカリンの背を優しく叩く。ロベルトと最後に会った時には出てこなかった涙が、ポロポロと落ちてきた。

 カリンはこの日ようやく、失った恋を想って泣くことができた。


 *


「あれ……?」


 半分になった飾り紐を握ったまま、眠っていたらしい。しばらく不摂生だったところに酒を飲み、思い切り泣いてしまったにも関わらず、目が覚めると少しすっきりしていた。


 しかし驚いたのは、アニエスがまだいたことだ。魔法で小さな明かりを作って、カリンの部屋にある適当な本を読んでいたらしい。


「大事なことを言う前に寝ちゃったから」


 アニエスはにっこり笑って本を閉じた。そして、カリンの手の中にあるものを指さす。


「その飾り紐、もう半分もちゃんと見つかっているそうよ。ロベルト卿にお渡ししたのですって」

「きっともう捨ててしまってます」

「いいえ。卿が『ほしい』と言ったのよ」


 カリンは目を見張った。この半分を、ロベルトが望んで持っていると言うのか。


「もう半分はなくなってしまったと思っている。カリンさんが持っていることは知らないわ」

「……それなら」


 手に力が入る。今まで重くて堪らなかった身体が、急に軽く感じた。


 ロベルトに贈った、青い飾り紐。この半分をロベルトが持ってくれているのなら、カリンがやることはただひとつ。

 ――こちらから会いに行けばいいだけだ。

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