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30話

 王都に住んで長いロベルトが、エル=ネリウス辺境伯のタウンハウスに足を踏み入れたのは、実はこれが初めてだった。

 年に数ヶ月も滞在しないタウンハウスだというのに、内装は凝っていて豪華だ。


 そんな廊下を通り案内された客間で、出された紅茶には手を出さずに父親を待つ。すっかり紅茶が冷めた頃、ようやくひとりの男が客間に入ってきた。

 エル=ネリウス辺境伯だ。


「久しいな」

「……お久しぶりです」


 第四王子の近衛騎士として働いている以上、貴族との面識は避けられない。しかしロベルトはレイモンドと上手く調整して、なるべく父親であるエル=ネリウス辺境伯とは顔を合わせないようにしていた。

 相手も第四王子を避けることでロベルトを避けようとしていたのか、夜会などでも鉢合わせたことはない。そもそも王都までが遠いので、こちらでの社交もほとんどしていなかったのだろう。


 だからこれが正真正銘、家を出てから約二十年ぶりの再会となる。

 顔も覚えていないと思っていたが、見てみればこんなものだったか、という気もする。そしてこの声は確かに、遠い昔に聞いた覚えがあった。


「元気そうで何よりだ……お前の母親の面影がある」


 数えるほどしか母と会ったことがないくせに、面影なんて分かるはずがない。少なくともロベルトは、生みの母が死ぬまでこの父親に会ったことはなかった。

 母が死に、葬儀もすっかり終えてから幼いロベルトを引き取り、かと思えば部屋から出るな、むやみに口を開くな、というような言葉ばかりロベルトに投げていた。


 そんな男が今更になって父親面してくるので、ロベルトは僅かに眉を潜めた。


「……それで、手紙でも伝えていたことなのだが」

「はい。弟……と呼んでいいのか分かりませんが、彼のことは残念でした」

「あぁ」


 ロベルトがエル=ネリウス辺境伯家に引き取られた後、本妻との間に第二子が生まれた。ロベルトの異母弟だ。

 長男の予備として連れてこられたロベルトだったが、本妻との子がもうひとり生まれたことで、予備としての役目がそちらに移った。だから引き取られて数年もしないうちに、全寮制の学校へと追いやられたのだ。


 弟の顔は一度も見たことがない。家を出る日、遠目に乳児の姿を見たような記憶があるだけだ。

 そしてその弟は、もうこの世にいない。


「ですが、私があなたの跡を継ぐことはありません」


 認知だけはされていたが、それだけだ。養育費の送金は気まぐれで、まともな会話など一度もしたことがない。いざ困ったからと言われて力になるほどの情を持てるはずがなかった。


「爵位を継ぐのが嫌ならそれでも構わないんだ。しかしお前の兄がこの重責を背負うには身体が耐えられない。助けてやってくれないか」

「あり得ません」


 つまり爵位を継ぐのは兄だが、実務はロベルトにさせる、ということだ。あまりにも自分勝手な言い分だった。


「早々に国王陛下へ上申されるといいでしょう。ふさわしい人物を派遣してくださいますよ。そうでなければ、親戚から養子を迎えるなりしたらいい」

「何てことを言うんだ。私の父や祖父が、この血族が代々守ってきた領地だぞ。いくら親戚の子と言えども他人を迎え入れることはまかりならん。全く関係のない人物を寄越されることなどもっての外だ」

「……話が違うようですが」


 手紙には『王宮で次代のエル=ネリウス辺境伯の選出について正式に申し出る』と書かれていたはずだ。

 そもそもにして、血の繋がりを大切に思っている割に血の繋がったロベルトをないがしろにしていたのだ。これでロベルトが頷くと本気で思っているのだろうか。


「とにかく、私の答えは絶対に変わりません。あなたの跡を継ぐことも、兄を支えるために領地へ行くこともしません。ついでですが、これきり私との親子の縁は切ってください。せっかく認知していただきましたが、私にエル=ネリウスの名は必要ありません」

「……」


 これ以上この場にいたくなくて、まくしたてるように言って席を立った。父親は――エル=ネリウス辺境伯は何も言わない。

 

「それでは、もうお会いすることもないかと思い……」


 扉に手を伸ばす直前、辺境伯を振り返り最後の言葉を口にする。そこで僅かな違和感を感じて、ロベルトの言葉は途切れた。


「……」


 扉の向こう側に気配がある。無意識に扉から離れた直後、武装した男が入ってきた。

 男たちは剣を抜き、ロベルトに向かって構えた。どう見ても、ロベルトを歓迎している様子ではない。


「ロベルト。お前には領地へ戻ってもらう。何があっても」

「本気か?」


 帯剣せずにやってきたロベルトに対し、真剣を構えた男が二人。エル=ネリウス辺境伯が卑劣な男だと判断するには、もう十分すぎる。


「こんな方法で連れ戻されて、大人しくあんたの思う通りになるとでも?」

「反抗期の子供を大人しくさせる方法なら、いくらでもある」


 言いながら辺境伯が懐から取り出したのは、小さなガラス瓶だった。中に入った液体を見せつけるように、何度か振っている。

 魔法薬だろう。それもおそらく、違法な類の。そう当たりをつけて、ロベルトは大きく踏み込んだ。


 男に当て身を食らわせて剣を奪う。勢いをつけたまま振り返ってもう一人を峰打ちで伸して、もう一本の剣も奪い取った。最初の男が立ち上がる前に、顎を蹴り上げる。白目を剥いて倒れていく男を横目に見ながら、辺境伯の手元に向かって剣を投げた。

 滑り落ちるように手から離れた小瓶に剣がぶつかり、中の液体がこぼれ落ちる。絨毯に滲む液体と、深々と刺さって抜けそうにない剣を見ながら――辺境伯は、笑っていた。


「やはり近衛騎士とは大したものだ。だが、親の言うことは聞くべきだな」


 言いながら、辺境伯がロベルトの背後を指し示す。訝しみながら背後に視線をやったロベルトは、息を飲んだ。


「……カリン?」


 開け放たれたままだった扉のすぐ外に、この場にいるはずのないカリンが立っている。フードを被った男に後ろ手を掴まれ、自力で立っているのも辛そうなほど、ぐったりした様子だった。その上で首元に刃物を突きつけられている。


「この娘が気に入ってるんだろう? このまま領地へ連れ帰ればいい」

「カリンに……彼女に何を……貴様はどこまで卑劣な!」

「卑劣だなんてとんでもない、親としてお前の幸せを思ってのことじゃないか」


 卑下た笑みを浮かべながら、辺境伯は続けた。


「五体満足で連れて行きたければ、大人しくすることだ」


 辺境伯の言葉に応じるように、カリンの首元に刃が押し付けられる。それが皮膚を突き破ろうとする寸前、ロベルトは奪い取った剣を、足元に投げ捨てたのだった。

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