3話
約束の日の夕方、勤務を終えたカリンが指定された訓練場に向かう。先に到着していたらしいロベルトが、青薔薇の名に恥じない笑顔でカリンを出迎えた。
「カリン嬢。来てくれてありがとう」
「約束ですから」
王族を守る近衛騎士と、平民の魔法士。夕方の訓練場には妙な組み合わせだ。果たして、この二人で訓練などができるのか。
最終的にはお菓子に釣られて来た訳だが、やるならしっかりやりたいという思いがカリンにはある。
「私も約束のお菓子をちゃんと用意してきたよ。今日の訓練が終わったら渡すから、楽しみにしていて」
「はい」
これは純粋に楽しみだった。お菓子の類は本当に久しぶりなので、どうせなら思いっきり甘いものが食べたい。
*
結果から言うと、今日の訓練にカリンは大いに満足した。
遠征時のカリンの戦い方や、よく使う魔法の組み合わせを再現したり、ロベルトに身体強化や重量操作を付与してみたり。ロベルトの身体強化付与前と後の身体能力や、護衛しながらを想定した動きを見せてもらったり。
そうやってお互いの普段の動きや能力をなんとなく把握した後に、二人でどう連携が取れるか、具体的な案を出し合った。
簡単そうなものから実践してみると、これが思ったより難しい。どうしたらもっと良くなるか、と試行錯誤していくうちに、気が付いたら辺りが真っ暗になっていた。
初回だからとりあえず一時間と決めていたのに、三時間も経過していたようだ。訓練場が魔法灯で照らされているせいもあって、全く気が付かなかった。
「思ってた以上に没頭してしまった。ごめんね」
「いえ、わたしもですから」
全く上手くできなかったけれど、手応えを感じることはできた。
「また付き合ってくれる? 次までに改善策を考えてみるよ」
「もちろんです。わたしも色々検討してみます」
このまま終わらせるなんてもったいないことはあり得ない。そう思えるほどいい訓練だったので、ロベルトの言葉にカリンは頷いた。
ロベルトも同じような手応えを感じていたに違いない。頷いたカリンを見て、嬉しそうにしている。
「今日はありがとう。じゃあ、これ」
「……!」
訓練は真面目に取り組んでいたけれど、訓練場の片隅に置いてあったこの紙袋の存在は、決して忘れていなかった。
はやる気持ちを押さえて、ゆっくり紙袋を受け取った。
ずっしりしている。幸せの重みだ。
「ありがとうございます……!」
紙袋は厚手でしっかりしている上に、可愛らしい花模様が印刷されていた。紙袋の中に見える化粧箱も立派で、一見して安くはないものだと分かる。
開ける前から期待が持てた。きっと砂糖を惜しみなく使っているに違いない。
箱の中身に想いを馳せていたその時、カリンのお腹がぐうぅ、と情けない音を立てた。
「……あ……あの……」
「もうこんな時間だし、お腹空くよね」
「……はい」
カリンは通常の勤務時間が終了してからここに来て、普段使わない方向に頭も身体も使った。だからお腹が空いて当然――と頭の中で言い訳を並べても、恥ずかしさは変わらなかった。腹の虫は、ロベルトにもしっかり聞こえていたのだから。
「ロベルト卿、あの、今日は」
こうなったからにはさっさと帰ろう。慌てて頭を下げようとするカリンに、ロベルトがなんてことのないように言った。
「それひとつ、今食べて行ったらどうかな?」
「え?」
カリンの言葉を遮ったロベルトが、紙袋を指さして言う。お菓子を今、ここで食べたらどうかと。
カリンとしてもすぐに食べたい気持ちはあるが、いただきものを送り主の目の前で食べるのはどうなのかと悩んだ。自宅に招いた友人から手土産をもらうのとは訳が違う。ここは訓練場だ。
しかし、その送り主が言っているのだからいいのだろうか。
「カリン嬢がどういうものが好きか分からなかったから、最近王都で人気だというお菓子を用意してみたんだ。感想を聞かせてもらえたら嬉しいんだけど」
言いながら、ロベルトが今度は訓練場の脇を指し示した。三人がけのベンチがいくつか設置されている。
カリンは身体に触れるか触れないかという手付きでベンチへとエスコートされて、あれよあれよと言う間にベンチに腰を下ろしていた。
身体に触れて物理的に押しているのでも、魔法を使っているのでもないのに、身体が勝手に動くような感覚だった。これが社交界に名高い青薔薇の騎士か、とカリンは妙に感心してしまう。
ちなみにロベルトは同じベンチではなく、すぐ隣のベンチの端に座った。同じベンチに二人で座る気まずさも、片方だけが立っているいたたまれない気持ちもない。
久々の甘いお菓子を目の前に我慢が利かなかったカリンは、おずおずと紙袋から化粧箱を取り出した。
「チョコレートですね」
リボンを解くと、中から出てきたのは紙で包まれた丸いものだった。ひとつ手にして紙を捲ると、つやつやの茶色いチョコレートが見えてきた。数年ぶりのチョコレートを見て、ごくりと喉が動く。
「食べてみて。気に入ってもらえたらいいんだけど」
「はい。ありがたく頂戴します」
一口かじる。チョコレートなので固いかと思っていたのに、パリッと軽い音を立てて簡単に砕けた。チョコレートの下には柔らかい触感がある。驚いて断面を見ると薄いチョコレートの下に、スポンジと白くてふわふわしたものが挟まっていた。
この白くてふわふわしたものは一体何なのか。程よい弾力があって、甘くて口溶けがよくて、最高に美味しかった。疲れた身体に染み渡る。
「美味しい?」
「はい……ありがとうございます、本当に」
久々の甘味、しかもチョコレート。涙が出そうなほど美味しかった。
「ロベルト卿は、甘いものはお好きですか?」
「うん、結構好きだよ」
返事を得ると、カリンは箱からチョコレートをもうひとつ取り出して、ロベルトに差し出した。片手に食べかけを持ったままなので上品とは言い難いが、ご愛嬌だ。
「では、おひとつどうぞ。卿から頂いたものですが」
差し出されたチョコレートを見て、ロベルトは青い目を丸くした。
「私に?」
「はい。これ、本当に美味しいです。ひとりだけで食べるにはもったいないです」
横に人がいるのに、カリンひとりで食べるのが気まずいから、という本音がある。ロベルトはしばらく迷ったように視線をさまよわせた後、カリンからチョコレートを受け取った。
隣同士のベンチに座って、二人で甘いチョコレートを食べる。奇妙な訓練の初日は、こうして終わったのだった。




