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29話

 五日後の約束の時間に、カリンは指定された場所にやってきた。魔法士の塔を出て少し歩いたところの、建物に囲まれて小さな中庭のようになっている場所だ。

 ただでさえ人通りの少ない場所である上に、昼時なので更に人が少ない。静かな中庭でしばらく待っていると、ジュードがやってきた。


 ジュードは緊張した面持ちだったが、カリンの顔を見て更に張り詰めたような表情になった。


「来てくれてありがとうございます、カリンさん」

「い、いえ」

「あの、もう気づいていたかもしれませんが……」


 どことなく緊張感の漂う小さな中庭で、カリンも息が詰まるような気分を味わっていた。これからジュードが何を言おうとしているのか、カリンなりに察してしまっていたからだ。


「俺は、カリンさんが好きです」

(やっぱり……)


 カリンひとりでは気づかなかったかもしれない。しかしロベルトやアニエスが何かとジュードを引き合いに出してくるものだから、鈍いカリンも気がついた。

 ジュードとはほんの少し前に知り合って、おすすめの店を何件か案内しただけだ。たったそれだけだと言うのに、一体何をどうして好きになったのか。ロベルトもそうだが、人の気持ちというのは分からないものだ。


「俺と付き合ってもらえませんか。できれば、結婚を前提に」

「それは……ごめんなさい。ジュードさんとはお付き合いできません」


 カリンは軽く頭を下げてきっぱり断った。誤解のないように、はっきりと。


 ジュードのことが嫌いなわけではない。しかしカリンの中にはそれよりも、大きく占めるものがあった。カリンはこの気持を無視せず、受け入れると決めた。

 今日の夕方、ロベルトとも会う約束をしている。その時に、正直な気持ちを告げるのだ。


「ジュードさんの気持ちは嬉しいですが、わたしは、その、ええと……」

「ですよね。残念です」


 口ごもり始めたカリンの言葉を遮って、ジュードが言った。その声にカリンは顔を上げる。

 カリンに好きだと言った先程までとは打って変わった、氷のように冷たい声音だったからだ。感情のない、淡々とした声に周囲の温度が僅かに下がったような気さえした。


「分かってたよ。初めから無理だったんだ、こんなこと」


 ジュードが一歩、カリンへ近づく。それに合わせて、カリンも一歩下がった。


「やれと言われたからって、できることには限りがあるんだ。金があれば何でもできると思ってるなんて、本当に笑えるよな」

「ジュードさん……何を言っているんですか?」


 小さな声でひとりごちながら、ジュードは一歩、また一歩とカリンに近づく。カリンも少しずつ下がって、いよいよ壁際まで追い込まれた。無意識に剣の柄に手をかけようとして、止めた。相手は剣士でも魔法士でもなく、戦う術を持たない文官だ。


「優しいんですね、カリンさんは」


 柄から手を離したカリンを見て、ジュードは笑った。そして、いつの間にかポケットに入れていた手を、素早く引き抜いた。


「っ!?」


 壁に追い込まれていたせいで逃げられなかったカリンの口元に、湿っぽい布が当てられた。鼻も口も塞がれ、とっさに息を止める。

 ジュードはもう片方の手でカリンの剣を鞘から抜いて、後ろ手に投げた。


 魔法媒体である剣がなければまともに魔法を使うことができない。暴発させることはできるが、術者自身も巻き添えを食らうし、加減も一切利かない。未熟だった魔法学校時代からの努力により、カリンの魔力は増えている。この状態で魔法を暴発させればどうなるか、全く予想できなかった。


「大丈夫。少し眠るだけだから」

「うぐ! うぅっ」


 いつまでも息を止めておくことはできない。息苦しさにジュードの手をどけようともがくも、文官とは言え男相手に力では敵わなかった。


 即効性の魔法薬を染み込ませていたのだろう。空気を求めて息をしてしまったカリンの中に、甘い香りが入り込んでくる。


「勘違いするな。お前みたいなつまらない無表情女、誰が好きになんてなるか」

「……」


 眠るように意識がなくなっていく最後の瞬間。聞こえた言葉に何かを言うこともできず、カリンの身体は崩れ落ちた。



 気を失ったカリンを地面に転がす。隠し持っていた対魔法士用の拘束具で手と魔力の自由を奪ったところで、ジュードは深く息を吐いた。

 小さな中庭に、音もなく二人の男が現れる。エル=ネリウス辺境伯がジュードと同じようにして王宮に潜り込ませた私兵だ。ひとりがカリンを担ぎ上げ、もうひとりが転移魔法を展開し、あっという間にこの場から姿を消した。


 この後ジュードは、カリンの同僚たちに彼女が急に体調を悪くしたと伝えに行く。他にも細々とした手回しをしつつ、表向きの仕事もこなさなければ。やらなければいけないことがたくさんある。

 それなのに、上手く思考がまとまらない。


 ――お前みたいなつまらない無表情女、誰が好きになんてなるか。


 そう言った瞬間の、カリンの顔が脳裏に焼き付いたように消えない。

 傷ついた顔をしていた。傷つけたのは他でもない、ジュードだ。少し前までカリンを押さえつけていた建物の壁を、思わず殴った。


「何で俺は、こんなことをしているんだ……っ」


 元はと言えば、ジュードの父親が借金を作ったことがきっかけだった。

 酒と賭博のために金を借り、返済のために妻を朝から晩まで働かせた。己は働きもせず、相変わらず酒か賭博に溺れていた。


 ある日、金を作るために父親はジュードを娼館に売ろうとした。ジュードは平民にしては綺麗な顔をしている。顔が綺麗な男は、需要があった。

 それを死に物狂いで止めたのが母親だ。更に仕事を増やし、ほとんどの金を借金の返済と酒と賭博に持っていかれながらも、働き続けた。

 しばらくして父親が姿を消した。借金は家族に残されて、ただただ苦しかった。


 ジュードは貧しいながらも必死に勉強して、運良く下級地方官の職を得ることができた。給金は大した額ではなかったが、母親の仕事をひとつ減らすことができた。


 それでもやはり貧しい生活をしていたジュードの前に現れたのが、地方官であるジュードの主、エル=ネリウス辺境伯だった。

 借金を完済しても余る程の金を与える代りに、王都での仕事をひとつ頼まれてほしいと言われた。それが『王都の魔法士カリンを惚れさせた上で、ロベルトから引き離せ』というものだったので、ジュードは一も二もなく飛びついた。

 美しいと称される己の顔であれば、そのくらい簡単だと思った。


 しかし当のカリンは、ジュードに一切なびかなかった。エル=ネリウス辺境伯からは催促ばかりか、故郷の家族の名を出して脅される始末だ。

 カリンの心を手に入れることなど不可能だと確信したジュードは、辺境伯に命じられるがまま、与えられた魔法薬と拘束具を使った。


「くそ……」


 もう一度、壁を殴った。血が滲むのも構わずに、何度も何度も殴った。


 わざわざあんなことを言って傷つける必要なんてなかった。カリンがあまりにもジュードを見ないから。どうしてもロベルトに勝てないから。


(俺は……彼女のことが……)


 ゆるゆると首を振った。

 ありえない。ただ、思ったように仕事がこなせなくて悔しかっただけだ。

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