25話
ある日の訓練の休憩中。ベンチに座るカリンの元に、アニエスがゆっくりと近づいて来た。
「カリンさん。話があるんだけど、少しいい?」
第四王子の筋トレに付き合わされたせいで若干足元のおぼつかない様子で、親指をクイッと後ろに差す。ずいぶんな仕草だが、彼女はこれでも由緒正しき子爵家のご令嬢である。
カリンのみならず、側にいたロベルトも驚いた様子でアニエスを見た。
「あら? 聞こえなかったのかしら」
「あ、いえ」
驚いてアニエスを凝視してしまったのに、聞こえなかったも何もない。久々に聞く辛辣な物言いに懐かしさを感じながら、アニエスに従って人気のないところへと移動した。
少ししてアニエスが足を止めたのは、奇しくも先日、ロベルトに手首を引っ張られながら連れ込まれた場所だった。その時のことを思い出して、掴まれていた手首をさする。
「話というのは他でもない、ロベルト卿のことよ」
「はい」
カリンは思わず背筋を伸ばした。
先日、また一緒に王都に行った。ジュードとの約束に急に割り込んで来た形ではあったが実のところ、ロベルトがいてよかったと思っている。
ジュードの苦労は分かるつもりだが、二人で出かけるのは少々気が重いと思っていたからだ。なんだかんだ付き合いの長くなってきたロベルトがいてくれて、ずいぶん気が楽だった。
ロベルトに対してそんなことを思うようになってしまったのか、としみじみしているカリンに、アニエスは冷たい声を放った。
「あなた、結局のところロベルト卿のことをどう思っているの?」
「どうって」
「いいこと? とぼけないでちょうだい。わたくしは真面目に聞いているんですからね」
カリンは今も前もずっと、とぼけてなどいない。ただこの手の話に疎かっただけだ。
しかし今なら分かる。ロベルトのことを恋愛的な意味でどう思っているのか、そう問われているのだ。つい最近も似たようなことがあったばかりなので、間違えない。
とは言え。
「その……よく分からなくて……」
「はぁ!? まだそんなこと言ってるわけ?」
案の定、カリンの正直な答えにアニエスは納得できない様子だった。
「ロベルト卿にあんなに分かりやすく言い寄られているじゃないの。そろそろ好きになっていてもおかしくなくてよ?」
「そんな乱暴な」
「それとも何。嫌いなの?」
「いえ、そういうわけでもないのですが……」
時間経過で自動的に好意を抱くようになるものではない。
いっそ嫌いであれば話は簡単だった。しかしカリンは、少なくともロベルトのことを嫌ってはいない。それだけははっきりしている。
もちろんロベルトに欠点がないわけではない。
ほぼ初対面で体の関係を求めるし、一方的に好きだ愛してると言い始めるし、勝手に嫉妬して人との約束に横入りしてくるしで大人げないが、カリンに対して誠実であろうとしていることは分かる。だから、人間としては好ましいと思っている。
しかし、恋愛的な意味で好きかどうかと言われると、分からないと答えるしかない。
(だって、恋なんてしたことないし……)
生まれ故郷の村は過疎化が進んでいるせいで同年代の男子が少なかった。魔法学校に行ってからは例の件もあったので、勉強に専念していた。就職してからは慣れない王都と仕事に慣れることで毎日精一杯だった。
夢のこともあったので、腹の足しにもならない恋愛なんぞにうつつを抜かす暇はなかった。
「それなら、ジュードとか言う文官はどう? 好き? 嫌い?」
「ジュードさん?」
「ロベルト卿と同じ? それとも違う? ねぇ、どうなの?」
ロベルトもアニエスも、何故かジュードを引き合いに出してくる。カリンと一定以上の面識がある異性として挙げているのだろうが、それならばラビやレイモンドだって対象になるはずだ。
なにより、急にやたらと言い募り始めたアニエスに、カリンは首を傾げた。
「もう、どうしてそんなにしつこく聞くんですか」
「わたくしがロベルト卿のことが好きだったって、あなただって知っているでしょ? 誰がどう考えたって、あなたよりわたくしの方がふさわしいわ」
アニエスはまなじりをつり上げ、更に続けた。
「この際、あなたがロベルト卿のことが好きでも嫌いでも構わない。けれど、きちんと応えるつもりがないのなら、いっそ突き放しなさいよ! その方がロベルト卿のためにもなるわ!」
カリンはしばらく言葉を失った。アニエスの言う通りだったからだ。
ロベルトにいくら口説かれようが、恋愛が分からないカリンは同じ気持ちを返せない。しかし嫌いでないことだけは分かるから、決定的な拒否もしていなかった。
それがロベルトにとって不誠実であると、なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
「そう、ですよね……」
ロベルトのためを思うなら、同じ気持ちは返せないと今すぐにでも告げてくるべきだ。ロベルトのことを想ってくれる、アニエスのような相手との時間を過ごしてほしいと。
そう思っているのに、どうしてか、胸が痛い。息が苦しい。
「……あなた今、すごく辛そうな顔をしてるわよ」
「え?」
そう言う声の柔らかさに、カリンは驚いてアニエスを見た。先程までとは打って変わって、表情まで優しげなものに変わっている。
「恋っていろんな形があるの。決まった正解なんてないのよ。だからね、これが自分の恋なのだと自覚するか、しないかないのよ」
カリンがロベルトのことを好きなのだと、恋愛的な意味でそうなのだと言い聞かせるようだった。カリンには、一言「違う」と言い返すことができなかった。
(分からないと思っていたこの気持が? 胸が痛いのも、息が苦しいのも?)
カリンの考えを読んだのか、アニエスも泣き笑いのような表情で言う。
「恋って、辛くて苦しいこともたくさんあるの」
それはまるで、自身にも言い聞かせるような口ぶりだった。
「まぁとにかく、その顔。ロベルト卿のことを突き放すのは嫌なんでしょう? それが答えなんだから、さっさと認めちゃいなさいよ」
「あの、さっきと言っていることが」
「脈ありみたいだから、それなら話は別よ」
一瞬のうちに、アニエスの雰囲気が明るいものに打って変わった。話は終わりだと言わんばかりにカリンに背を向け、訓練場の方へと戻ろうとしている。
その背に、カリンは戸惑いながらも声をかけた。
「アニエスさんは……あの……いいんですか?」
「……前に言ったでしょ。あんな方だとは思わなかった、って」
アニエスは少しだけ振り返って、微笑んだ。
「それに、わたくしにはもっといいお相手がどこかにいるわ。あなたなんかに心配される筋合いないわよ」




