22話
街で偶然会ったあの日から、ロベルトは一段と甘さが増した。金の髪と一緒に青い飾り紐を揺らしながら、「好き」「愛してる」と何度も囁く。
カリンはその度に、息苦しさを感じていた。
「百年の恋も冷めるかのようだわ。あんな方だったなんて、誰も知らなかったでしょうね」
ある日の訓練の休憩中、カリンの隣に座るアニエスが口にしたことだ。視線の先にはロベルトがいる。訓練場の中心でレイモンドやラビと話をしているようだが、カリンの視線に気がつくと微笑んだ。
アニエスの言う通り、あの青薔薇の騎士がこうなるとは本人も含め、誰も思っていなかった。カリンが呼吸器や循環器に違和感を感じるのと同じように、アニエスや他の女性も、想像していなかったロベルトの様子に各々困惑していることだろう。
ロベルトに会ってもざわざわするし、会わなくてもざわざわする。そんな日々を過ごしていたカリンは、少々気が抜けていた。
「魔法士様?」
「す、すみません」
文官が持ってきた第九研究室の備品を受け取ろうと手を出したまま、しばらく呆けていた。慌てて備品を受け取り、数を確認する。発注数と相違ないことを確かめて受領書に署名していると、男から声が掛けられた。
「魔法士様はお疲れのようですね」
「いえ、そういうわけではないのですが」
気もそぞろになっているだけで、疲れているのとは違うはず。しかしいつもと違ってきた日常に落ち着かないせいで気疲れしていると言えばそうなるのかもしれない、とカリンの頭は大忙しだった。
署名を終えてペンを置き、両頬を軽く叩く。少しでも気持ちを入れ替えたい。
「……カリン様?」
「はい」
ふと名を呼ばれ、目の前の男を見た。受領書の名前とカリンの顔を見比べているのは、今までの担当者とは違う、見たことのない男だ。最近配置換えでもあったのだろう。
「あ、いや、失礼いたしました。魔法士のカリン様と言えば、俺みたいな新参者でも知っているほど有名なので」
「そうですか」
王宮の魔法士と騎士を中心にカリンの名は有名になりつつある。かの青薔薇の騎士が夢中になっている平民魔法士として、人々の興味を刺激しているのだ。
ただし有名なのは名前だけで、顔はまだあまり知られていない。だからこうしてカリンの顔を見た者に勝手に納得されたり、驚いた後に鼻で笑われたり、ということが増えてきた。
これも気疲れの原因のひとつである。
「急にすみませんでした。俺、ジュードです。ついこの間、地方から王都の総務に配属されたばかりで」
「第九研究室の魔法士カリンです。平民ですし、敬称は不要です」
「本当ですか? じゃあ遠慮なく、カリンさん」
ジュードは安心したように表情を崩した。姓を名乗らなかったということは、ジュードも平民であるということだ。
貴族の多い王宮では、配属されたばかりの平民は周囲に相当気を使う。そんな中で同じ平民と出会うと安心してしまうものだ。カリンにも気持ちはよく分かる。
この日はカリンはジュードと他愛もない会話を二、三ほど交わしてから、備品を手に研究室に戻った。
*
「カリンさん、先日はどうも」
「こんにちは、ジュードさん」
数日後の夕方、訓練場へ向かうカリンの元にジュードが駆け寄ってきた。大きな木箱の上に書類と重しを乗せている。木箱の中身が軽いのか、割と軽快な足取りである。
「お会いできてよかったです」
「わたしに何かご用でしたか?」
今日は総務への依頼はなかったはずだ。何か忘れていることでもあったのだろうかと少し慌てるカリンに対して、ジュードは首を振った。
「いえ、大したことじゃないんです。宿舎から行ける範囲でおすすめの店とかあったら教えてほしくて」
「おすすめのお店ですか」
急な話にカリンは目を丸くした。対するジュードは器用に木箱を片手で持ち直し、空いた手で頬を掻いている。
「お恥ずかしい話なんですが、周りの同僚にはどうにも聞きにくくて」
「聞きにくいとは?」
「俺が地方から急に来たものだから、同じ平民には警戒されているみたいなんですよね」
「あぁ……」
王宮に限らずよく聞く話だ。地方から王都に来たとなればそれはほぼ栄転であり、嫉妬の対象になりうる。
おそらくジュードも優秀な仕事ぶりが王都の誰かの目に止まり、王宮への出仕を世話されたのだろう。
「貴族の方は良くしてくれますけど、いかんせん貴族なので。俺の財布にはちょっと」
「ですよね」
カリンはこれにも大きく頷いた。どうしても貴族と平民では金銭感覚が異なる。毎回立派な化粧箱に入ったお菓子を用意してくるロベルトも、お下がりとは言え絹やレースがふんだんに使われたコルセットを簡単に譲るアニエスもそうだ。
ジュードの悩みに共感したカリンは、普段の買い物でよく行く店をいくつか伝えた。カリンも王都に住んでまだ二年程度だが、日用雑貨の安い店、値段の割には美味しい茶葉を売っている店、見かけたら絶対に寄る露店など、贔屓にする店ができている。
「今度の休みにさっそく行ってみます」
「はい、ぜひ。それでは、わたしはこれで」
結局、訓練場に向かって歩きながら、ずっとジュードと話していた。既に第四王子やレイモンドと共に、ロベルトも到着している。
ジュードは訓練場にいる面々に向けて、木箱を持ったまま深々と頭を下げた。
「ありがとうございました、カリンさん。ではまた!」
頭を上げたジュードはそのまま、足早に去っていった。見送るカリンの元には、入れ替わるようにしてロベルトが駆け寄ってくる。
「カリン、待ってたよ。今のは?」
「総務のジュードさんです。最近王都に赴任されたそうです」
「へぇ」
自分から聞いてきた割に、全く興味のなさそうな声だった。
ロベルトは触りそうで触らない、いつもの手付きでカリンを訓練場の奥の方へエスコートしながら聞いた。
「ところで、今度の休みはいつ? また一緒に街に行かない?」
「確か五日後ですが……行きません」
「え」
「前回買った分で、しばらくは持ちますから」
それにもし行くとしても、ロベルトと一緒には行きたくない。カリンがそんなことを思っているともつゆ知らず、ロベルトは気を取り直したようだった。
「今日もかわいい。好き」
いつものように、カリンへの好意を口にする。今日もその髪に青い飾り紐が揺れているのを見つけて、カリンはまた服の上から胸を押さえた。
ジュードと話している時まではなんともなかったのに、ロベルトの姿を見て、声を聞いた途端これだ。一緒に街歩きなんて、二度とできる気がしない。
無視できなくなってきたこの症状の理由を、カリンはまだ知らなかった。




