19話
久々の休日、カリンは宿舎を出て街へ向かった。いつもの日用品を買うほか、少し良い店で手芸用品を見る予定である。
なんだかんだアニエスには世話になっているので、お礼として何か贈りたかった。時々昼食をともにしたり、訓練の休憩中にお茶を飲みながら聞いた話によると、アニエスは刺繍が得意らしい。刺繍の時に使えるような小物なら、カリンにも買えそうな気がしていた。
身軽なうちに手芸用品を見ようと、貴族向けの高級店が並ぶ通りへとやって来た。クローゼットの中から一番新しくていい服を着てきたものの、やはりこの通りを歩くには肩身が狭い。
足早に歩くカリンに、背後から馴染みのある声が掛けられた。
「カリン!」
「ルブ?」
振り向くと、いつものように金のしっぽを揺らして走るロベルトの姿があった。走っているのだが大股で歩いているようにも見える優雅さで、あっという間にカリンの側までやってくる。
「奇遇だね。買い物?」
「はい……あの、よくわたしに気が付きましたね」
「私が君に気が付かないはずがない。今日も会えて嬉しいよ。私服かわいい。好き」
「そうですか」
決して人通りの少なくない中、約束もしていないのにロベルトと出会う偶然があるのだろうかと少々訝しむ。しかしカリンが今日休みだということも、街に買い物へ出かけることも、誰にも告げていない。ロベルトの言う通り、本当に奇遇なのだろう。
「一緒に行っていい?」
「えっ? ルブも用事があるのではありませんか?」
「私の用事は後日でも大丈夫だから」
言いながら、ロベルトはカリンの横に並んだ。
「どこに行くの? 荷物持ちでもなんでもするよ」
カリンの背に回された手は体に触れていないのに、勝手に足が動いていた。いつぞやの訓練のときも、同じようにベンチへ誘導されていたような記憶がある。
ロベルトのゆったりとした歩調に合わせて歩きながら、カリンは諦めて「手芸店へ」と答えた。
人通りが多いので『二人きり』ではないし、ひとりでは敷居の高い店も、ロベルトと一緒なら少しは堂々と入れるだろう。
「いらっしゃいませ。どのようなものをお探しですか?」
入った店は、色とりどりの糸や布、たくさんのレースが所狭しと並んでいた。カリンがよく行く店とは品揃えも彩度も違う。若干気圧されたカリンだったが、背後にあるロベルトの存在感に励まされながら、出迎えた店員に言った。
「刺繍好きの友人に贈り物をしたいんです。もらっても困らないような小物が良いのですが、わたしは刺繍をしないので分からなくて」
「それでしたら、指ぬきか糸通しはいかがでしょう? 糸通しは壊れることも多いので、いくつか持っていても困りませんわ」
店員はカリンを小物類の棚へ案内した。糸通しと言っても一種類だけではないようで、カリンにも見慣れた形のものや、どうやって使うのか分からない花形のものまで置いてある。
「他には手芸はさみもおすすめです。繊細で優美な意匠を施していますので、贈り物にはぴったりですわ」
輝くほどに磨き上げられた金、銀、真鍮色の小さなはさみが並んでいる。刃の部分を鳥のくちばしに見立てたものや、指穴に絹糸のタッセルが付いたものもあった。
カリンはしばらく棚を眺め、ガラス玉の付いたまち針を数本と、透かし細工の糸通しを選んだ。贈り物用の小さな箱に入れてリボンを掛けてもらい、代金と引き替える。品物は当たり前の顔をしたロベルトが受け取って、二人で店を出た。
そのまま脇道に入り、雑多に賑わう市場へ向かう。たくさんの籠に山盛りのハーブが並べられた露天で足を止め、朝晩に部屋で飲むためのハーブティーを紙袋に詰めてもらった。
代金を支払おうとしたところで、カリンより素早く硬貨を支払った者がいた。
「ルブ、自分で買いますから」
「遠慮することないのに。私に支払わせてよ」
「だめですってば」
勝手に出された硬貨を突き返し、支払いの攻防が始まる。
「さっきは友人への贈り物だと言うから遠慮したんだ。そういうのはやっぱりね」
「それなら今回も遠慮してください」
「私がいるのに、好きな子にお金なんか払わせたくない」
「荷物を持っていただいているだけでも十分ですから」
「しかたないな。じゃあその代わりに、このあとケーキでもごちそうさせて」
「しかたないってなんですか」
何も交換条件になっていない。ロベルトが損をするようなことばかり言う上に、懇願するような目でカリンを見つめた。
「ね。お願い」
「わっ、分かりましたから……ここは自分で……」
カリンはロベルトのこの顔が苦手だった。資料室で「好きでいさせてほしい」と言われた時と同じような顔だ。この顔を見ると、まるで呼吸器不全か何かになったような気分になる。
*
市場での買い物の途中、二人は中央広場へと続く大階段に腰掛けていた。
「これ、ずっと食べてみたかったんです」
カリンは油紙に包まれた、揚げたてのチュロスを嬉々として見つめながら言った。
そのまま食べてもいいが、希望があれば溶かしたチョコレートに浸してくれる。ロベルトは何もつけない揚げただけのもの、カリンはチョコレートをつけたものを手にしている。
「いつもありがとうございます、ルブ」
「喜んでもらえたなら私も嬉しいよ」
ケーキを奢ると言ったロベルトに対し遠慮していたカリンだったが、チュロス売りの側を通った時、甘い誘惑に負けた。いつもなら小腹を刺激する匂いを避けるため、この周辺に用事がある時は極力息を止めるか、走って通り抜けるかしていたのだ。
カリンは今日初めて、息をしたまま歩いてチュロス売りに声をかけた。
「熱いうちに食べよう」
「はい」
いただきます、と言って一口かじる。初めて食べたチュロスはもちもちした食感で、甘くて、カリンは震えた。噛むと浸したチョコレートが滲み出てくるのに、わずかにパリッとした歯ごたえも残っている。できたてでなければ味わえない、奇跡の食感だった。
「どうりであれほどいい匂いだったわけです……」
隣に座るロベルトが、眩しそうに目を細めてカリンを眺めている。夢中でチュロスを味わっているカリンはそれを知らないまま、あっという間に平らげてしまったのだった。




