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16話

 訓練から逃げるように帰ったその翌日から、カリンの元には毎朝のようにロベルトからの手紙が届いた。時には魔法士の塔までやって来ては直接声をかけることもあったが、カリンはその全てを無視していた。


「あなたって目立ちたがりなの?」


 食堂でシチューを頬張っていたカリンの正面に、同じくシチューをトレイに乗せたアニエスが座った。短く祈りを捧げてからパンをちぎり始める。

 まともに顔を合わせるのはコルセット以来だが、カリンと昼食を共にするつもりらしい。もちろん、雀たちはいない。


「いえ……」


 さすがのカリンもアニエスの言葉に「何の話ですか?」とは言えなかった。


 ロベルトがカリンの元にやって来て、ひたすら謝罪している様子はかなり目立つ。それに対してカリンがロベルトに一瞥もくれず、一言も返していなのだからなおさらだ。

 突然訓練を始めた時以上に、今の二人は目立っているのだった。


「一体何があったのよ。わたくしに話してごらんなさい」

「それは……」


 ルブに好きだと言われました。今までの訓練は、普通にしていれば接点のないわたしに近づくための嘘でした――などとアニエスに言えるわけがない。


「あの、アニエスさんにとっては、今の状況を放っておいた方が都合が良いのではありませんか?」

「どうして?」

「どうして、って……アニエスさんはロベルト卿に好意を持っているのかと思っていたので……」


 アニエスは驚いたようにまばたきをした後、皮肉げに鼻で笑った。


「ま、いいわ。ここじゃなんだし、また我が家にいらっしゃいよ」


 今度はカリンが驚いてまばたきをした。一度ならず二度までも自宅に招かれるとは思っていなかったのだ。コルセットを譲り受けた時は一応、遠征のときの礼という名目だったが、今回は何も理由などないはず。


 アニエスの真意を知りたくてじっと見つめていると、視線に耐えかねた治癒魔法士は赤い顔でキッとカリンを睨みつけた。


「なによ。食堂じゃ人が多すぎるでしょ。誰彼構わず聞かれては嫌でしょ」


 そんな会話をしてから数時間後。

 カリンはアニエスの部屋で、いちご酒の水割りをちびりちびりと飲んでいた。その前には夕食を振る舞われ、風呂も借り、手触りのいい寝間着を着せてもらった上で、フカフカのソファに腰掛けている。


「で、何があったの?」

「それが……」


 振る舞われたいちご酒が甘くて美味しいのでつい口に運んでしまう。この酒精の力を借りて、思い切って話すことにした。


 アニエスはカリンにわざとぶつかってきたり、落ちた手紙を踏みつけたりしない。言いたいことがあれば自分で直接言う代わりに、陰口は言わない。気に入らない人間にも義理固く、困っているようなら手を差し伸べる。悪い人ではないのだ。


「ルブに……ロベルト卿に、好きだって言われました」

「ちょっと待って。遠征のときも少し気になったけど、ロベルト卿を愛称で呼んでるの!?」

「そうした方が訓練が上手くかもって。実際上手くいったんです」

「……っ、っ!」


 アニエスは言いたいことがあったようだが、いちご酒とともに飲み込んだらしい。一拍置いて、深く息を吐いてから言った。


「あんなに卿のことを避けるくらい、告白されたのが嫌だったの? あなたたちの場合は身分の問題なんかがあるけど、だからこそ憧れたりしないの?」

「昔、これのせいでいろいろありまして」


 カリンはグラスを持っていない方の手で、自分の胸を指差した。


 学生時代、同級生の男子生徒に愛人になれと言われた次の日。

 眠れずに朝を迎えて教室へ向かうと、昨日の出来事はカリンが加害者となっていた。確かに、暴走した魔力に弾き飛ばされて打ち身やかすり傷くらいは負っただろうが、それを言えばカリンも同じくらい怪我をした。


 あの男子生徒はカリンを非難し、彼の婚約者やその友人たちはカリンを泥棒猫や売女と言って罵った。平民の友人もカリンと距離を置くようになった。

 それだけではない。今まで言葉を交わしたことのないような他の男子生徒からも、含みのある視線を向けられるようになった。声をかけられたこともある。そしてまた、その婚約者や恋人から責められたのだった。


 カリンがさらしを巻くようになったのはこの頃からだった。きつく巻きすぎて気分が悪くなることもあったが、すぐに慣れた。しばらくすれば、皆カリンへの興味を失った。貴族が多く在籍する魔法学校では、もっと新鮮な話題がすぐに転がり込んで来るからだ。


「なので、偏見だとか、自意識過剰だと分かっていても……どうしても……」

「そう、辛かったわね」


 かいつまんで話すと、隣に座るアニエスがカリンの肩を抱き寄せた。


「わたくしは、あなたを泥棒猫や売女だなんて思わないわ。被害妄想だとか、自意識過剰とも思わないわ。相手の意思を尊重できない男なんて最低よ。カリンさんは何も悪くない」


 いちご酒を飲みながら、アニエスは「でも」と続ける。


「ロベルト卿があなたに初めて声をかけた時って、その胸の大きさなんて知らなかったでしょ? 寸胴のもっさり女だったでしょ?」

「それは、そう、なんですけど」

「ということは少なくとも、あなたの巨乳が目当てだった訳ではない、ってことよね」


 アニエスの言う通りだった。ロベルトが体目当てで声をかけてきた――ことは間違いないのだが、少なくとも胸を見て近づいて来たのではない。これは確かだろう。

 ロベルトは夜の誘いを断ったカリンを罵ることはなかった。それどころか、頭を下げて謝罪した。これも、あの同級生とは大違いだ。


 それで少し見直した挙げ句、お菓子につられて訓練に頷いたカリンも愚かだったといえばその通りだ。なまじ訓練が有意義なものだっただけに、この思いは強い。


 ――要は、ロベルトに告白されたことよりも、訓練がカリンに近づくための口実だったことが悲しかったのだ。


「人を好きになるのは簡単だけど、その後は大変なのよねぇ」


 カリンがぐるぐると考え込んでいる。隣でグラスを空にしたアニエスは、そう呟いた。

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