14話
恋多き青薔薇の騎士はその実、恋などしない。
ロベルトは取り分けたオレンジを口の中に放り込んだ。噛むと少し酸味のある、甘い果汁が口の中に広がる。本人に自覚のない現実逃避だった。
「ロベルト? 聞いてるか?」
王子曰く、ロベルトはカリンに恋をしている。ロベルトはゆるゆると頭を振った。
「恋なんてありえない。絶対にありえない」
「なぜだ!?」
なぜもどうしてもない。
ロベルトがカリンを初めて見かけたのはいつぞやの遠征の時だった。魔法士にしては面白い戦い方をすると思っただけだ。後方の無事を確認するように振り向いた彼女が、微かに笑ったような気がしたのを今でもよく覚えている。
だから声をかけた。ロベルトが誘って、断られたのは初めてのことだった。
「お前、今までは相手の身分とか立場とか性格とか、いろいろ吟味して選んでただろ? カリン嬢も彼女らと共通点が?」
「……私に、必要以上に興味を持っていないところ」
自分で言って気を落としたロベルトは、オレンジをもう一房口に入れた。
カリンは平民で、独身で、必要以上どころか一切ロベルトに興味がない様子だ。対して、ユリアナを含む恋人たちは貴族で、未亡人で、ロベルトに対して過度な興味はないが、割り切って付き合える程度の好意はある。
「お前はどうしてそう頑ななんだ。今までと真逆の人間に未練があるなら、それは恋と言ってもいいだろ、たぶん。何か障害でもあるのか?」
「障害……」
ある。業務上以外の理由で話しかけるなと言われた。そもそも、声をかけたこと自体が失敗だったのだ。彼女にあんなことを言うべきではなかった。
(あぁ……今ようやく、何が失敗だったのか分かった)
初めて見た時、カリンに目を惹かれた。親しくなりたいと思った。
しかし、ロベルトは青薔薇の騎士としてのやり方しか知らなかった。当然、不誠実な申し出は断られ、おまけに嫌われた。
ほぼ初対面で身体の関係を求める男など、嫌われて当然だ。あれが通用するのは一部の特異な貴族女性のみで、カリンに――好きになった相手に対してやって良いことではなかった。
だから今後一切、彼女に特別な感情を向けてはいけない。業務上の理由があるから、訓練があるから話しかけてもいい。側にいられる。
この一線を超えればまた嫌われてしまうだろう。せっかく「ルブ」と呼んでもらえるようになったのに。
名前を呼び捨てにしなければいけない理由がただのでまかせだったと知ったら、カリンは怒るだろうか。それとも、怒ることすらなくロベルトから離れてしまうだろうか。
「……時間を巻き戻したい」
やり直せるなら、いきなりあんなふうに声をかけたりはしない。本当に、何もかも最悪だった。
これが恋だなんて信じられないのに、一度認めてしまったらもうそれ以外ありえない。嫌われたくない。笑いかけてほしい。名前を呼んでほしい。興味を持ってほしい。理由なんかなくてもお菓子を贈りたいし、側にいさせてほしい。彼女に触れても許される権利がほしい。
ロベルトはカリンに恋をしている。
そして、既に失恋が確定している。
*
「ルブ! お久しぶりです」
「うん。久しぶりだね、カリン」
約束の時間、ロベルトは数日ぶりに訓練場へ足を運んだ。先に来ていたカリンがロベルトの姿を見つけた途端、駆け寄ってくる。
カリンは相変わらず無表情ではあるのだが、その目には大怪我を負ったロベルトへの心配だとか、無事に復帰できたことへの安堵などが見て取れる。その姿のあまりの眩しさに、ロベルトはめまいを感じて視界を手のひらで覆った。
(これは、思った以上にまずい……)
自分に駆け寄ってくるカリンが、心配や安堵の感情を向けてくるカリンが、ルブと呼んでくれるカリンが、可愛い。
ロベルトは意識して無表情に努めた。そして何かを口走る前に、口を閉じた。
既に失恋しているし、カリンは単に怪我の心配をしているだけだ。だから勘違いはするな。
「わたしたちの訓練も久々ですから、今日は無理しないでおきましょう」
「そうだね」
「とは言っても、ルブももう護衛としての職務を再開しているんですよね?」
「うん」
「それなら……」
さっそく訓練を始めようとあれこれ話している。彼女は本来口数が多くはない方なのだが、今日のカリンは饒舌だった。ロベルトはそんなカリンをしばし眺めた。
「……あの」
一生懸命話していたカリンが、ロベルトを見上げる。思わず、ロベルトの身体が強張った。
ロベルトは今日、入念に身だしなみを整えてから部屋を出た。
カリンに褒められた髪は何度も櫛を通してから一つにまとめた。服装はいつもの騎士服だが、シワをしっかりと伸ばしてから袖を通している。当然、着替える前には入浴も済ませていた。部屋を出る直前に少しだけ、香水も振りかけた。汗臭いとでも思われたら嫌だったので。
(気合が入りすぎていると思われたのだろうか)
しかしロベルトの心配をよそに、カリンが口にしたのはロベルトの体調についてだった。
「やっぱりまだ本調子ではないのですね」
「え?」
「今日は止めて、後日改めませんか?」
「いや、いやいや。ごめん、大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
カリンが心配してくれる。そして、また次があると言ってくれる。この関係性は、絶対に壊せない。
そう自分に強く言い聞かせた。それなのに、訓練が終わってからいつものようにお菓子を手渡した途端、全て吹き飛んだような気がした。
「……ありがとうございます」
紙袋を受け取ったカリンが、心の底から嬉しそうに笑ったから。
甘いお菓子に喜んでいるのであって、ロベルトからの贈り物が嬉しい訳ではないことくらい、分かっている。送り主が誰であろうと関係はないはずだ。
それでも、贈り物を喜んで受け取ってもらえることが嬉しかった。最初のボタンを掛け違えてしまったことも、もしかしたら少しは許されているのだろうか。
(……好きだ)
言うな。
(好きだよ、カリン)
絶対に言うな。
「立てますか?」
いつの間にか、ロベルトの目の前に手が差し出されていた。黄金色の両目が心配そうにロベルトを見ている。やはりどこか様子のおかしいロベルトを送れるところまで送り届けようと、支えるために手を伸ばしていた。
ロベルトはその手を取った。自分のものよりも小さくて温かい手に、なんとも言えない感情が湧き上がる。カリンはロベルトという人間には興味などなく、ただ純粋に体調を案じて、真っ直ぐな目で見ている。今まで浴びてきた、どの視線とも違うような気がした。
ロベルトは視線を逸らすことも、繋いだ手を離すこともできなかった。ただ、心からの言葉が出ていた。
「カリン、好きだよ」
言った瞬間に後悔した。絶対に言ってはいけなかったのに、青薔薇の騎士など好きな人の前では何ひとつ上手くできない、ただ愚かなだけの男でしかなかった。




