11話
毒巨鳥討伐遠征から数日後。カリンはため息を付きながら、一人で回廊を歩いていた。
ロベルトの怪我はその場で治された。しかし失った血が多かったので、大事をとってしばらく自宅療養することになったのだと、第四王子付きの政務補佐官から聞かされた。
その間、当然二人の訓練も休止となっている。訓練はこのまま再開しない方がいいのではないかと、カリンは考えていた。
(やっぱり無理だったのかな)
剣士と魔法士は、時に折り合いが悪いものの例えとなることがある。
魔法士から見れば、魔法の使えない剣士が嫉妬している。
剣士から見れば、安全な場所にいるだけの魔法士が偉そうにしている。
カリンが魔法士でありながら細身の剣を帯刀しているのは、それを魔法媒体として使っているからだ。魔法を付与した上で剣本来の使い方をすることもあるが、あくまで杖の代わりであり、剣として使う方がおまけだった。
カリンのような魔法士は時々いる。
だから剣と魔法の相性は悪くはないのだが、剣士と魔法士は水と油のように思われることも少なくなかった。
(剣士と魔法士の連携には限界が……)
仲が悪いなどという曖昧な問題ではなく、本当に、根本的な相性が良くないのではないか。これまでの剣士や魔法士たちも、協力したくてもできなかったのでは。水と油に例えられるには確かな理由があったのかもしれない。
カリンは思わず顔を覆った。
怪我をしたロベルトの姿が脳裏に焼き付いている。
自宅療養を知らせに来た政務補佐官は「カリン嬢の機転のおかげで助かった」というロベルトの伝言も伝えたが、カリンはこの数日、かなり落ち込んでいた。
「カリン殿ー!」
そんなカリンの元に、一人の男が走り寄ってきた。件の政務補佐官、ソリス・ウォルターだ。
「ウォルター卿」
「急にすみません。お渡ししたいものがありまして」
言いながらソリスは手持ちの書類の束から手紙を取り出し、カリンに差し出した。普通の白い封筒に封蝋が押されている。刻印に見覚えはないが、左下にロベルトの署名がされていた。
ウォルターがすぐに立ち去らないところを見るに、この場で返事を言付けろ、ということらしい。封を開くと、次の訓練日について打診する内容が書かれていた。
簡素な文章に必要な要件のみの手紙だったが、最後の一文にカリンは目を留めた。
『次の課題が見つかってよかったと思ってる』
この一言で、あれだけ迷っていたカリンの心は決まった。
成功には失敗がつきものだ。ロベルトの言う通り、新しい課題を見つけることができたのだと前向きに捉えたほうがいい。ここで止めてしまえば今までのことが全部――ロベルトの大怪我も、無駄だったことになってしまう。それは嫌だった。
手紙を元の通り封筒に戻しながら、ソリスに言った。
「ご指定の日時で問題ありません。いつもの場所でお待ちしていますと、お伝えください」
「分かりました。ありがとうございます」
立ち去るウォルターを見送る。カリンも研究室に戻ろうときびすを返したところで、前方から女性魔法士が数人、歩いてくることに気がついた。
いつぞやの雀たちだった。今日はアニエスと一緒ではないようだ。
一人が近づいて、カリンと肩がぶつかる。その拍子にうっかり、手紙を落としてしまった。
手紙は回廊に面した中庭からの風に乗って、少し離れたところにふわりと落ちる。拾いに行こうとしたカリンは、別の女性魔法士に阻まれて足を止めた。
「ちょっとあなた。ぶつかっておいて謝罪もないの?」
相手が故意にぶつかってきたのは明らかだ。しかし彼女たちも周りを見て出てきているらしく、ソリスが去った回廊にはカリンたちの他に誰もいない。
「この方、ロベルト卿だけでなくて、第四王子殿下にも色仕掛けをしたのですって?」
「まぁ、下品。平民は身の程をわきまえるということを知らないのね」
「アニエスさんにも偉そうな態度を取ったと聞きましたわ。心を痛めていらっしゃるでしょうね」
「あたくしたちだって、わざわざこんなこと言いたくないわ。アニエスさんのために言っているの。アニエスさんがあまりにおかわいそうだもの」
「あなたのためでもあるのよ。アニエスさんの忠告を無下にするなら、いつかひどい目に遭うわよ」
雀たちはカリンに向かって好き放題にまくし立てる。先の討伐遠征以降、このような地味な嫌がらせが増えていた。
アニエスに偉そうなことを言ったのは事実だ。王子の上着を借りたこともたくさんの人に目撃されていたために、あることないこと、好き放題に詮索されている。
しかし相手が王子だからか、遠征帰りという事情を知っているからか、声を大にして言ってくるような人間はいなかった――彼女たちを除いては。
「お分かりになって? ロベルト卿と第四王子殿下に手を出そうなんて考えないことよ。アニエスさんのためにも」
言いながら、カリンが拾おうとした手紙を靴底で踏んだ。くっきりと足跡の残った手紙を見てカリンの表情が変わったことに、彼女は気をよくしたようだった。
「あら、このゴミはなぁに? 気が付かなかったわ」
カリンはこのような行為には慣れている。魔法学校時代、似たような理由で似たようなことをよくされていた。その時は何とも思わなかったので、カリンは何も言い返さず、やり返さず過ごした。
だが今日は違った。ロベルトからの手紙を踏みつけられた。しかも、彼女たちの言っていることにも納得がいかなかった。
「あの」
手紙を見てうつむいたままだったカリンは、正面から同僚たちを見据えた。
「先程からアニエスさんのお名前を出していますが、本当にアニエスさんがそう言っているのですか?」
「あ、当たり前でしょう。そうでなかったら何なのよ」
「では、どうしてアニエスさんご本人がここにいないのでしょうか」
カリンの質問に、怪訝そうな表情が返される。
「最初はアニエスさんも皆さんと一緒にわたしのところに来ました。副室長がいたと分かったときも、ご自分の言いたいことを全部言うまで研究室から出ていきませんでしたよ。すぐに出ていったあなた方とは違って」
「わっ、わたくしたちがアニエスさんを置いて逃げたとでも言いたいの!?」
全くもってその通りだ。カリンは頷いてから、言葉を続けた。
「彼女はたぶん、言いたいことがあればご自分で言う方なのだと思います。わざとぶつかってきたり、人の手紙を踏んだりなんてことはしません。皆さんはただ、アニエスさんのお名前を借りているだけではありませんか? それって、アニエスさんにものすごく失礼ですよね」
雀たちの半分ははっとしたように目を開き、残りは眉を寄せる。
回廊が妙な静けさに包まれた時、中庭から人影が出てきた。踵がタイルを打つ音が妙に大きく聞こえる。その人物は全員に凝視されながらも、視線を一切気にした様子なく足跡のついた手紙を拾い上げる。
「どうぞ、カリンさん」
なんてことない顔をして拾った手紙をカリンに差し出したのは、アニエスだった。




