10話
※軽度の流血表現があります
治癒魔法士を治しに行ったアニエスも、包帯を探しに行ったラビも、いつ戻って来るかは分からない。それなのに、ロベルトの脚から流れる血が止まらない。
カリンはほんの短い間考えてから、立ち上がった。
「ルブ、殿下、すぐ戻ります!」
返事も待たず、手頃な木の陰に駆け込む。
今しなければいけないのは、治癒魔法士が戻るまでのロベルトの止血だ。押さえるだけでは血は止まらないから、包帯できつく縛らなければいけない。
けれど包帯は手元になく、代わりになるような紐も、割いて使えそうなマントやスカートもない。
となると、思い当たる物はひとつしかなかった。カリンは周りに誰もいないことを確認してから制服のボタンを外し、ブラウスを脱ぐ。
(これが役に立つ日が来るなんて……)
ブラウスの下にあるのは、白い布を幾重にも巻き付けて平らにした胸だ。
カリンの胸は大きい。大きいばかりで邪魔なので、日頃からさらしで押さえつけている。そうしなければいけないほどに、平均より大きいのだった。
本当はさらしを取るのは嫌でたまらない。これのせいで嫌な目にあったことは、一度や二度ではなかった。
だがここでためらってロベルトにもしものことがあれば、一生後悔し続ける。だからカリンは、さらしに手をかけた。
再びブラウスと上着に袖を通し、ボタンも留められるだけ留めたが、上の何個かは胸が邪魔で開いたままになってしまった。胸元がかなり大きく開いている状態だが、このくらいならばかろうじて常識の範囲内、と無理やり判断して、カリンは木陰から飛び出した。
カリンが手頃な布を持って戻って来たのを見て喜んだ王子は、一瞬の後に表情が固まった。ぐったりしていたロベルトも薄く目を開いたかと思うと、青い目を見開いた。同時に脚を動かしてしまったらしく、小さくくぐもった声を上げる。
カリンは二人の反応には気づかないふりをして、ロベルトの傷口の少し上にさらしをきつく巻いた。縛ってねじって、ようやく出血が止まった時、ロベルトが自分の上着を脱ごうとした。王子がそれをやんわりと制す。
「これを羽織って帰るがよい」
普段ははつらつと話す王子が内緒話のような小さな声で言いながら、自らの上着を脱いでカリンに差し出した。
「殿下、どうか私の上着を」
「おいロベルト。お前は自分がどれだけ血を流したと思っている。身体を冷やすような真似は控えろ」
「しかし」
「しかしじゃない。主の言うことを聞け」
王子がロベルトを心配する気持ちはよく分かるし、上着を貸してくれるという申し出も非常にありがたく感じたが、カリンはためらった。
どちらかと言えば、上着を借りるならロベルトのものがよかった。そして、ロベルトが王子の上着を借りたらいいと思った。
王族の衣服を借りられるほど、カリンは豪胆にはなれない。
「ほら、早く受け取れ」
「あの……わたしはこのままで結構でございますので」
「そういう訳にはいかないだろう」
「わたしなどよりもロベルト卿に掛けてさしあげてください」
「お前も頑固な奴だな」
そうこうしているうちにアニエスが戻り、ロベルトの傷口に手をかざしながら言った。
「素直にお借りしたほうがいいわ。わたくしの上着も役に立ちそうにないから、貸せないわよ」
他の隊員たちに気づかれる前にさっさと羽織りなさいよ。
最後にそう言われてようやく、カリンは王子の上着を受け取った。体格のいい王子の上着は、見事にカリンの胸を隠してくれた。
*
「なぁカリン……それ」
ロベルトの怪我は無事に治った。アニエスともうひとりの治癒魔法士で負傷者全員の治療を終え、散らばった物資をあらかた集め終えた今、ようやく城への帰路に着いている。
行きと同様にカリンの隣を歩くラビは、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「それってもしかしなくても、殿下の上着、だよな」
「はい」
カリンはどこか遠くを見たような目で返事をした。しかし、そのあまりに簡潔な返事にラビは納得できなかったようだ。
「いや……何で?」
「お貸しくださったのです」
包帯を探しに行っていたラビは、カリンが王子の上着を羽織ってからようやく戻ってきた。それ故に何があったのかを知らず、帰路に着いている間ずっと、奇妙なものを見る目でカリンを眺めていたのだった。
「なかなかの身分差だけど、そういう関係じゃないよな?」
「……不敬罪で投獄されても知りませんよ」
「あんた大物になるよ。マジで」
「お願いですから、もう黙っていてください」
カリンも頭がいっぱいになっていた。
状況が状況だけに仕方なかったとは言え、さらしを取って他人の脚に巻きつけるなどとんでもない行為だった。その上、王子の上着を借りるとは面の皮が厚すぎる。
ロベルトを含め全員が無事に帰路に着いている今だから言えることだが、やはりさらしを取る必要はなかったのでは。上着は土埃で汚れて不衛生かと思ったが、傷口に直接触れるわけではなかったのだからよかったのでは。王子の血まみれのハンカチでもなんとかできたのでは。
しかしあれ以上ためらって、ロベルトが失血多量でどうにかなっていたら……と、カリンの思考は同じところをぐるぐると回っていた。
「あれ、なんかまた護衛殿に睨まれてる……」
「副室長がうるさいからでしょう」
「喋ってるのは俺だけじゃないからな?」
こうして、毒巨鳥三頭を討伐した遠征は終了した。




