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 サカナにLINEの返信を済ませた私は、車を飛ばして急いで帰宅し、手早くシャワーを浴びて自室のノートパソコンの電源を入れた。購入して三年以上経つパソコンなので、起動にはだいぶ時間がかかる。パソコンの起動を待つ間、私は何気なくスマートフォンの画面を見た。サカナからのLINEの返信は届いていない。トーク画面を開いてみたが、既読もまだついていなかった。深夜一時をとっくに過ぎているし、おそらくもう休んでいるのだろう。

 一つ溜め息をつき、スマートフォンを充電器に繋いだところで、ちょうどパソコンの起動が終わり操作できる状態になった。すかさずブラウザを立ち上げ、『小説を書こう!』のマイページを開く。サカナとは既にLINEで繋がっているため、新着メッセージの通知はない。改めてじっくり眺めてみると、シンプルで使いやすい反面、少々味気ないレイアウトである。公開してある自作品のPVを一通りチェックしてみたが、昨日のPVはいずれも0だった。まあ、こんなものだ。

 Web小説に於いて、ランキングに載らない作品を読んでくれるのは創作仲間だけだと言われている。サカナのような読者がいかに貴重で得難い存在か、私のように底辺と呼ばれる物書きなら誰もが痛感しているだろう。


 私には創作仲間と呼べる存在がいない。

 私が通っていた田舎の工業高校に、文芸部などというアーティスティックなものは影も形もなかった。仮にあったとしても、私が創作を始めたのは高校生活も終わりかけの時期だったから、所属していたかどうかは微妙なところである。さらにそこで仲間と言えるほど親しくなる相手ができたかと考えると、私の性格では絶望的と言えるだろう。もしも高校に文芸部が存在して、そこに黒髪の文学少女がいたら、私の人生も少しは変わっただろうか――とラノベのように都合のいい想像をしてみることもあるが、まあ無理だろう。友達すらいないのに創作仲間を作ろうなどどだい無理な話である。

 とはいえ、他の作者たちもリアル世界の創作仲間をサイトに持ち込んでクラスタを形成しているわけではない。皆無ではないかもしれないが、そうしたケースはおそらくごく少数。大部分はサイト上で創作仲間を見つけているはずである。ではどうやって仲間を作っているのかというと、どうやら基本的には他の作品を読み、感想やポイントを付け合うことでその作者と互恵的な関係を築いているようだ。SNS等を利用していれば、親交はさらに加速する。


 ある作家が他の作家の作品に感想とレビューを書き、ブックマークして評価ポイントを入れる。書かれた作品はPVが跳ね上がり、ブックマークの件数もいくらか増える。その作品の作者はお礼にと相手の作品にも感想とレビューを書き、ブックマークして評価ポイントを入れる。すると、最初に感想を書いた作者の作品もまたPVが増えるという構図である。もっとも、最近ではレビューの効果もやや薄れているらしいが。

 作品を読み感想を届ける、心を動かされた作品をもっと他の人に薦めたくなる、それは本来純粋な感情のはずである。感想やレビュー、評価というシステムはそのために作られたものだろうし、サイトの開設当初はその理念通りに利用されてもいたかもしれない。

 しかし、粗製濫造されるライトノベルと書籍化に至るまでのメソッドが体系化されていく中で、現状ではそれらの機能が必ずしも健全に利用されているとは言えなくなった。人脈を広げ、クラスタを構築してポイントを稼ぎ、ランキングに載せてさらにPVとポイントにブーストをかける。ポイントやPVが書籍化に向けてある程度の指標となるからである。最近では新規に創設された小説投稿サイトにクラスタを引き連れて移動し、そこで知名度を得て書籍化を狙う動きもあるらしい。そこまでしなければ読まれない作品を、作者は愛していると言えるのか。自分の作品の魅力を信じることができないのか、と私は思う。

 自分の作品を読んでもらうための努力はたしかに必要かもしれない。だが小手先の、倫理観に悖る行為に手を染めるより、その時間と労力を作品のクオリティの向上に費やす方がより建設的ではないか。

 両立できるならそれに越したことはない。が、私のように昼から深夜まで職場に拘束され、わずかな余暇時間を創作に充てている者にとって、他の作者の作品を読んで交流を深めるなどほぼ不可能だ。しかも私は決して筆が速い方ではない。一日一時間パソコンに向かって500字でも書ければ満足するレベルである。仕事の休憩時間などの限られた機会はWeb小説より紙の本を読んでインプットする時間に充てたい。休日は疲労困憊で半日は寝てしまうし、遊ぶ友達がいなくても、何かと済ませなければならない雑事がある。他のアマチュア作家の作品を読んで交流を深めるような時間的、精神的、肉体的余裕はどこにもないのだ。


 これは底辺作家である私のルサンチマンだろうか。書くことしか頭になく、宣伝する努力をしないことは怠慢だろうか。私はそうは思わない。本は、小説は、どんな時でも読者の孤独に寄り添ってくれるものだったはずだ。誰よりも何よりも、私の作品が私にとってそういう存在であらねばならない。大仰な言葉を用いるならば、それが私の哲学である。

 己の作品を磨き上げず、見かけの数字だけを糊塗して虚しくならないのか。読まれないことの方がもっと虚しいのか。


 出版社や編集者は作者にセルフブランディングを求め、その現象に拍車をかける。ビジネスとしては正しい判断なのだろう。だが小説は文化である。

 私が考えているようなことはきっと綺麗事だと笑われるだろう。佐々木はライトノベル界隈の内情など知らず無邪気に異世界アニメを見る。誰にだって好きなものを見る権利はあるし、少なくとも表面上は何の問題もない。経済活動の歯車の一つに組み込まれた小説が需要に合わせて消費されるだけである。


 所詮、あらゆる表現媒体の中の一つである小説の、そのまたさらに一分野であるライトノベルでのみ起こっている現象だと見る向きもあるかもしれない。だが果たして本当にそう言い切れるだろうか。私にはどうも、あらゆる分野において作品やコンテンツそのものより作り手の知名度やプロフィールにフォーカスされる傾向があるように思えてならない。

 もしも太宰治が現代に生まれて小説家になっていたら、不倫、心中未遂、薬物中毒とスキャンダルのロイヤルストレートフラッシュである。大衆は彼のスキャンダラスな側面ばかりに注目し、きっと誰も彼の作品については語らなくなっていただろう。太宰はワイドショーとSNSのおもちゃとなり、太宰の作品は禁書のごとく、忌むべきものとして流通から排除される。それでも彼の作品を日本文学史の偉大なる一ページとして語り継ぐだけの度量の深さが、果たして今の社会や文壇にあるだろうか。もしそれが適わないとしたら、とても貧しいことではないかと私は思う。


 現代人は他人を叩ける理由を常に求めている。不倫でも薬物でも悪戯でもいい。叩いてもいい人間を見つけたら、そいつが社会的地位や人としての尊厳を失うまで執拗に叩き続ける。その心理は子供のいじめと本質的に同じである。より悪質なのは、いじめる理由を正当化する能力を大人が身に着けている点だ。


 思考がだいぶ飛躍してしまった。疲労やストレスが溜まっている状態でパソコンに向かうと、よくこのような状態に陥ってしまう。書こうと思ってワープロソフトを開きキーボードに指を置くものの、神経ばかりが昂って指が全く動かないのだ。この状態で無理に書いても、後で読み返して赤面するようなクオリティのものにしかならない。それでもパソコンを開く習慣はやめられないのだから、もはや私は深刻な創作依存症に罹っているのかもしれない。

 繁忙期の間、具体的には正月が明けるまでの期間はずっとこんな状態が続くだろう。締め切りのないアマチュア作家でよかった。とはいえ時間は有限である。私が生きている間にどれだけの数の作品を世に残せるか。ただ書ければいいわけではない。私が生きた証として胸を張れるものを――と考えると、あまりのんびり構えてはいられない。


 日本人男性の平均寿命は現在81歳と言われているが、青森県は日本一の短命県である。その理由としてよく挙げられるのは、塩分過多な食事になりやすい地域性と喫煙率の高さ。また、冬の厳しい寒さや全国平均を大幅に上回る労働時間の長さも無関係ではないだろう。

 これらの要因を私自身に照らして考えてみると、まず食事はまかないが多いため塩分も脂肪分も多い。また私には喫煙の習慣がないが、私の職場は完全には分煙されていない。一応禁煙席と喫煙席に分かれてはいるが、壁や仕切りがあるわけでもなく、同じフロアで数メートル離れているだけである。カウンターに立つ私は客の吸った煙草の副流煙を吸い込むことになる。まあ客以前に私の父も店長も、ついでに佐々木も喫煙者なのだが。

 長時間労働については言わずもがなである。


 また、私たちの世代が高齢者となる頃には、日本の社会保障制度は破綻し、将来年金が支給されない可能性が高いと言われている。こんな生活習慣で年金受給年齢まで生きられたらかなり幸運だと思うが、その先に待っているのは死よりも苦しい過酷な生活かもしれない。

 どうせそんな未来しか見えないのならば、睡眠時間と寿命を多少削ってでも創作をする。何の才能も持てなかった私でも自分が生きた証を残したい。もしかしたら、あわよくば、この作品のこの一文が私の運命を変えてくれるかもしれない。そんな願いを込めて、祈るように文字を綴るのだ。


 私はまたスマートフォンを手に取り、LINEを開いた。サカナへ送ったメッセージにはまだ既読がついていない。気付けば時刻はもう午前二時を回っている。もう一時間もパソコンの前でぼうっとしていたのだ。

 時間が限られているのに、今日は創作に全く身が入らない。明日も昼から仕事だ。私はそのままパソコンをシャットアウトした。

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