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表現の世界に限らず、近年は何事もキャラクターが重視される風潮があると感じる。
小説や漫画、アニメ、ゲームなどはその傾向が特に顕著である。世界観やストーリーよりも、話題になるのはキャラクターであり声優であり作者であったりする。作品のファンは作品のストーリーやテーマを追うよりも、自分の推しキャラを偏愛し、そのキャラに対する妄想に耽る。それが二次創作として形になる場合もある。二次元のキャラクターの中で、これまで一度も二次創作という名のパラレルワールドで性的に犯されていないキャラクターは果たして存在するのだろうか。
近年は特に、最初からそれらの同人誌のネタにされることを念頭に置いて生み出されたのではないかと思うほど性的魅力を強調されたキャラクターも多く、原作を知らずに同人誌を買う層も一定数いるようだ。私は男だから女性のキャラクターを題材にした男性向けの同人誌を目にする機会が多いわけだが、女性向けに作られる男のキャラクターの二次創作も盛んらしい。この風潮は、これらのコンテンツの収益が作品それ自体だけでなく、キャラクターのグッズの売り上げに依存していることによる影響も大きいかもしれない。
天然、ツンデレ、無口、陽気、巨乳、貧乳、ロリ、年上……これらの単純な属性と、髪型や髪色、服装などのキャラデザインの組み合わせ、おまけで声優の名前と声がついて一つのキャラクターが形成される。物語はキャラクターに従属し、キャラクターを見せるための背景として機能する。キャラクターが十分魅力的に描かれていれば、設定や世界観に多少の矛盾があっても許されるかもしれない。キャラクターは物語の枠を超えて偶像化され、二次創作によって補完された後、コスプレイヤーによって受肉して現実世界に姿を現す。
作品の中での比重がキャラクターに偏りすぎることの弊害はある。たとえばミステリなどでは、探偵のキャラクターや特殊設定が重視された作品があまりにも増えすぎた。偉大な先達によって大抵のトリックが既にやり尽くされていることを差し引いて考えても。
キャラクターは本質的には物語を構成する一つの要素でしかない。『刺さる』キャラクターだけを追っていては、その物語から得られるもの、読後感や余韻は薄くなってしまうだろう。
しかし小説という表現媒体にとっては、これはむしろ好機かもしれない、と私は最近考える。
ジャパニメーションという言葉と共に日本の主要産業の一つにまで地位を向上させたアニメや漫画、その黎明期は世界観の時代だったと私は思う。『AKIRA』や『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』は近未来のSFである。ガンダムやエヴァンゲリオンなどのロボットアニメもSFだ。これらの作品ではまず世界観が緻密に構築され、主人公、敵、組織、といった構造の中でキャラクターが描かれていた。
そして、SFと並ぶもう一つの柱がファンタジー。剣や魔法、魔物や精霊が存在する世界を冒険する物語だ。日本を代表するRPGの大部分がファンタジーであるように、ヨーロッパ的世界観のファンタジーはアニメ、漫画、ゲームにおいて人気のモチーフである。未だ立場が確立されていなかった頃のライトノベルも、ジャンルとしては今以上にファンタジーに偏っていたらしい。『小説を書こう!』から数多く出版され『書こう系』と呼ばれているライトノベルが異世界転移、転生ものの異世界ファンタジーであることは言うまでもない。
SFにせよファンタジーにせよ、世界観を描く場合は画像や映像が圧倒的に有利だ。SFに登場するマシンやロボット、ファンタジーに登場する魔法やモンスターを文章で表現しようとするとなかなか難しい。さらに、これらのジャンルにはアクションシーンが付き物だが、これもまた文章で正確に伝えるのが難しい分野である。その点、画像や映像ではイメージを一瞬で正確に伝えることができる。
視覚情報に頼らず、文字と文章と読者の想像力に依存する小説は、視覚や聴覚では表現できない領域、つまり登場人物の心理描写に特化した媒体であると言える。これはキャラクターの魅力や細やかな心理描写を目的とする場合に大きなメリットとなり得るのではないか。その意味で、世界観の時代からキャラクターの時代へと揺り戻しのような現象が起こっていることは、小説という表現媒体にとって好機なのではないだろうか。
尤も、繊細な心理描写などより展開とテンポの速さが求められている現状では、その好機を活かせるとは思えないが。
その時、LINEの通話の着信音が鳴り始めた。私はすぐに応答のアイコンをスワイプする。
「もしもし」
『あ、もしもし。こんばんは』
「こんばんは」
『今日はお仕事休みでしたよね?』
「はい。休みというか、昼のシフトですね。今は店長がやってると思います」
サカナに答えた通り、今日は昼のシフトだけで夕方からは休みである。帰宅し、夕飯を食べ終えてぼんやりネットを眺めながら思索に耽っていたところ。前に通話した時に次の休みの予定を聞かれていたので、そろそろかかってくる頃だと思っていた。パソコンの画面の時計には2020年の9月21日、21時32分と表示されている。いつもより少し遅めのような気はするが、まあ誤差の範囲か。
最近は彼女の方から予めこちらのシフトを尋ねてきて、私が夜に休める日にかけてくるようになった。そういえば、初めて通話をしたとき以来、ずっと彼女の方からかけてもらっている。またこちらからかけてみたくもあるが、まあどっちでもいいか。
『遠田さん、小説の方はどうです? 進んでますか?』
「え? いや、あの、まあ、そこそこです」
『どんなお話になるんだろう。全部秘密ですか?』
「はい。そこはまあ、出来上がってからのお楽しみということで」
『秘密か~。気になるなぁ』
実はこれは嘘である。以前通話したときに、何か新しいものが書けそうな気がする、と言いたかったところを、口が滑って、新しいものを書き始めている、というようなニュアンスのことを口走ってしまったのだ。書けそうな気分がするだけで、本当はまだ一字も書けていない。現実世界が舞台で、ファンタジー要素はなく、社会情勢を反映して心理描写に注力したもの、と極めて漠然とした設定が決まっているだけだ。テーマさえ定まれば、すらすらと書き進められそうな気はするのだが。
あまりこの話題を深掘りされたくなかったので、私は早々に今日話そうと考えていた本題を切り出した。
「あの、サカナさん」
『はい?』
「東京の新規感染者もそれなりに落ち着いてきたようだし、十月からは東京もGoToトラベルの対象地域になるみたいなので……だからそろそろ、来月あたりそちらに行ってみたいと思うんですけど、サカナさんは何日が都合がいいですか?」
『あ、えーと……』
電話口の向こうで、彼女の声に俄かに緊張が走ったように感じた。
本来シフトの希望は半月前には出しておかなければならない。コロナ禍のワンオペ体制である意味形骸化しているとはいえ、私が休むということは店長が昼夕ぶっ続けで一日出勤しなければならないわけだから、どうしても休みたい日はなるべく早めに伝えておかなければ店長に申し訳がない。昼休憩のない土日祝日は避けたいし……と色々考えなければならないので、サカナの都合を早めに聞いておきたかったのだ。冬にはまた新型コロナの感染拡大再燃のおそれもあるし、東京への旅行が何となく認められる空気が漂い始めたこのタイミングを逃したくなかった。
「私もそろそろ休みの希望を出さなきゃいけないので……私は、できれば平日がいいんですけど。それとも、まだあまり都合が良くない感じですか?」
『いえ、そういうわけでは……そうですよね……ちょっと、予定を確認しておきます……』
それから二言三言会話を交わしたものの、サカナは気もそぞろといった感じで、通話はいつもより早めに切り上げられた。まずかっただろうか……いや、でも嫌なら素直に都合が悪いと答えればいいはず。一抹の不安を感じつつも、私にできるのは彼女の返事を待つことだけだった。