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 小説という表現媒体が他の芸術と最も大きく異なる点は、文章の技術のみを極限まで追求しても、それが必ずしも評価されるわけではないことだと私は考える。


 まず絵画の例を挙げると、写真に限りなく近い絵画を目にした時、人々はその技術に驚嘆し、諸手を挙げて賞賛するだろう。たとえそれがテーブルの上の林檎のような何気ない静物画であってもである。

 音楽の分野であれば、日々ボイストレーニングを行い圧倒的な歌唱力を身に着けた歌手が喉を震わせれば、歌う楽曲が『君が代』だろうと『女々しくて』だろうと、聴衆はその歌声に陶然とするはずだ。あるいは、毎日何時間もの練習を積んだピアニストが超絶技巧を以って演奏すれば、『猫ふんじゃった』でもリストの『超絶技巧練習曲』でも、鍵盤の上で躍動する目にも留まらぬ指捌きに驚嘆させられる。

 彫刻や演劇でも同様のことが言える。料理だって、極めれば芸術の域に達するものもあるだろう。目に見えるもの、耳で聴こえるもの、舌で味わえるものなど、五感に直接訴えかけられるものは、極限まで技術を磨いていけば、一定の評価を受けることができる。純粋にすごいと思われるだろう。


 しかし小説は違う。正確な日本語を用いて文章を紡ぎ、巧みな描写で世界を描いたとしても、その作品が即ち芸術として認められるわけではない。それは小説という表現技法が、五感によって知覚されるものではなく、心に直接訴えかけるものであるからだ。実際に文字を追うのは目であり視覚だが、その映像を言葉として認知し、意味を統合して文章に体系化するのは脳である。そして、文章に込められた想いを受け取り、作品世界を心象風景として創造するのは、他ならぬ読み手本人なのだ。

 故に、小説はただ技術のみを磨いても芸術たり得ず、その表現力を用いて何を描くのかが重要となる。描くべきものを探し出す感受性や洞察力が必要とされる。卓越した文章力は、その土台の上に存在して初めて意味を持つのである。小説の基本的な書き方講座という趣旨のエッセイを『小説を書こう!』でも度々目にするが、三点リーダーをいくつ使うかなど覚えたところで意味は薄い。何をどう描くのか、その答えは自分の心の中にしか存在しないのだから。



「芋田さん、休憩終わりました」


 その一声で、私の意識は現実に引き戻された。

 私が立っているのは職場のラーメン屋の調理場で、今は営業時間中である。声の主はアルバイトの佐藤詩織さん。市内の大学に通う小柄な女子大生だ。休憩中は下ろしていた肩まである黒髪をゴムでまとめ、店から支給された三角巾を頭に被る。清楚な外見の通りに勤務態度も真面目な、信頼できるスタッフの一人だ。

 時刻は平日の午後九時。夕食時の一波が過ぎ、飲み帰りの客が押し寄せるには少し早い、ほっと一息つける時間帯。もっとも、平日の夜は飲む客もあまりいないので、このさざ波状態のまま閉店時間を迎えることも少なくない。

 現在店内にいるのは一組の親子連れ三人のみ。注文されたラーメンも既に出し終えている。子供連れだから食後にデザートの注文はあるかもしれないが、ここからさらにラーメンやチャーハンを追加してくるとは考えづらい。手を洗いながらざっと店内を見渡した佐藤さんにも、わざわざ説明するまでもなく状況は伝わっているはずだ。

 私は自分用にアレンジしたラーメンを手早く作り終え、


「じゃあ、自分も休憩に行ってくるので、後はよろしくお願いします」


 と佐藤さんに伝えて、奥の控室に入った。


 休憩は一時間。控室のソファにどっしりと腰を下ろし、私はもう何百回食べたかわからないラーメンを啜る。まかないが美味しく感じられたのは、ここでアルバイトを始めてせいぜい半年ぐらいの頃までだった。もちろん不味くはないが、毎日のようにラーメンを食べていると、アレンジして気分を変えてもさすがに飽きてくる。

 この店は基本的に二人でシフトを組んでいて、交代で休憩に入ることになっている。佐藤さんはもうバイト歴二年を超えるベテランで、一人で厨房を任せておいても大丈夫。突然大量の客が押し寄せて来たらさすがにヘルプに出なければならないが、あまり心配はないだろう。そのために客足の鈍る時間帯に休憩時間を設定しているのだ。

 数人いるアルバイトの中でも佐藤さんは一緒にシフトに入る機会が多い方だが、これまで仕事以外の話をしたことはほとんどない。決して佐藤さんが無口なわけではなく、むしろ接客態度は明るいし、店長や他のアルバイト達とはそれなりによく喋る。しかしどうやら私とは会話が弾まないらしい。別にそれをストレスに感じたことはない。私自身どちらかといえば仕事中は作業に集中したい方だし、彼女だって高卒の私とはあまり話したくないのだろう。


 まかないのラーメンを食べ終えた私は、バッグの中から一冊の文庫本を取り出した。村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』である。部屋の積み本の中から適当に持ってきたもので、表紙をめくってみなければどんな話なのかもわからない。読書という体験の中で、この未知の世界へ踏み出す瞬間が、私は一番好きだ。村上龍は著名な作家だと思うが、彼の作品を読むのは初めてだ。本の数だけ世界がある。まだ私の知らない世界が、この世には星の数ほど存在するのだ。

 ところで私は、本を読むのが早い方ではない。むしろどちらかといえば平均より遅い方だと思われる。だから、毎日仕事の休み時間に本を読んでいるにもかかわらず、積み本は減るどころかむしろ増える一方である。速読術というものを調べて実践してみたこともあるのだが、私はそれほど劇的な効果を得られなかったし、何より面白くない。紙のページを一枚ずつめくり、一文一語噛みしめるように読むのが、私の性に合っているのだ。

 一時間の休憩の中で、文庫本にして五百ページを超える分厚い『コインロッカーベイビーズ』、その十分の一ほどしか読み進めることができなかった。仕事の休憩時間にだけ読むと仮定すると、年内に読破できるかどうか微妙なペースである。年末は大晦日以外一日オフの日がないので、もしかしたら『コインロッカーベイビーズ』が今年の読み納めになるかもしれない。


 休憩を終えて調理場に戻ると、正面のカウンターに見知った顔があった。


「よう、和幸(かずゆき)


 と私に声をかけてきたのは、小学校の頃からの知り合いの佐々木道弘(みちひろ)だ。

 佐々木とは小中高と地元の同じ学校に通っていた。仲が良いとまでは言えないものの、昔から顔と名前ぐらいはお互いに知っている、文字通りの知り合いである。市内の工業高校卒業後、現在に至るまで、市郊外にあるパチンコ店に勤めているらしい。

 服や髪に金を使わない主義の私と異なり、佐々木は茶髪にピアス。共通の趣味があるわけでもないので高校卒業後はしばらく見かける機会もなかったが、一年ほど前からたびたび客として店に顔を出すようになった。佐々木が私を下の名前で呼ぶようになったのはつい最近のことである。

 佐々木はどうやら佐藤さんを狙っているようだ。休憩中、調理場の方から随分佐藤さんの笑い声が聞こえてるなと思っていたが、なるほどこいつが来ていたのか。

 私は苦笑しながら答えた。


「また来たのか佐々木」

「客に対してまたとはなんだよ、いつ来ても空いてるから心配して来てやってんだべが」

「それはお前がいつも空いてる時間帯にばかり来るからだ」


 実際、佐々木はわざと客が少ない時間帯を選んで来ているフシがある。そして、調理場の真ん前にあるカウンター席に座り、食事を済ませてからも、時には一、二時間もだらだらと喋りながら居座るのである。店舗の壁はガラス張りになっていて通りから店内の様子が見渡せるため、客が一人もいない状態を晒すよりは、ヤンキーめいた風貌の佐々木でもいたほうがマシなのは事実だが。

 ちなみに、佐々木が来る時間帯に混んでいることも稀にあるが、その場合は普通の客として黙ってラーメンを食べ、客足が引かないようならそのまま帰っていく。休憩前に親子連れがいたテーブル席は既に空いている。食洗器にかけられた食器の数を見るに私の休憩中にも数人は客が来ていたようだが、今は店内に佐々木以外の客の姿はなかった。


「しかし、いつ見てもお前、ラーメン屋の店員っぽくねえよな」

「じゃあ逆に、ラーメン屋の店員っぽいってどんな奴だよ」

「そりゃあ、もうちょっと笑顔で、明るい声で喋って……そう、詩織ちゃんみたいな感じだよ」


 と、佐々木は佐藤さんを見る。佐藤さんは佐々木に軽く微笑み返した。彼女はラーメン屋の店員っぽいと言われて嬉しいのだろうか。


「俺だって佐々木以外の客には普通に丁寧に接客してるだろ」

「その仏頂面でな。お前本好きだし、小説でも書いてるほうがよほど似合ってるんじゃねえか、見た目だけなら」


 佐々木の軽口に、私は思わずギクリとした。私が小説を書いていることは、身の回りの誰にも話していない。家族さえも知らないはずである。もし自分の作品を佐々木か誰かに読まれたりしたら、私は顔から火が出るどころか人体発火現象の稀有な実例として後世に名を残すことになるだろう。オンラインで世界中に向けて公開しているものを読まれたくないとは矛盾と思われるかもしれないが、作品、作者というフィルター越しに見られるのと私個人を結び付けられるのとでは、AVのモザイクの有無レベルの違いがある。少なくとも私はそう感じる。

 私は佐々木の言葉を全力で否定した。


「書かねえよ、小説なんて」

「え、そうなん? ほら、何だっけ。去年、なんとかいう賞とった人いたべ」

「芥川賞な」


 たしかに去年、わが市出身の作家が芥川賞を受賞したことが、この小さな街で大きな話題となった。私も実際に作品を読んでみたが、あまり私の好みではなかった。


「書いてみたらどうだよ、上手くすれば印税ガッポガッポ、ラーメン屋の店員ともオサラバ、ってなるかもしれないべな」

「そんな上手くいくかって。それに、スポーツじゃないんだから、見るのとやるのは違うんだよ」

「スポーツだって見るのとやるのは違うべさ。いやまあ別にいいけど」


 佐々木はそう言うと、最近店に導入したという新しいパチンコ台へと話題を転じた。

 営業のつもりなのかわからないが、佐々木は頻りに私をパチンコに誘う。パチンコは寂れた田舎の数少ない娯楽であり、成人男性の会話の50%はパチンコの話題であると言っても過言ではないかもしれない。しかし、私はどんなに勧められてもパチンコには全く興味が湧かなかった。


 同郷の作家が芥川賞に選ばれたことによって、売れやしない小説なんか書いて、とバカにされにくくはなったかもしれない。だが、件の作家が芥川賞にノミネートされたのは去年が初めてではない。市民の中で、芥川賞に選ばれるまで、市出身の作家がいることすら知らなかった者が大半だろう。賞を取ったから評価されたが、それ以前は相当の苦労をしているはずだ。そんな事情を知らない佐々木のような奴が無邪気に『お前も書いてみれば』などと言う。それを責めるつもりは毛頭ないのだが。

 小説はそれ自体が生産的な活動ではない。故に、作品が本となって出版され、本が売れることによってようやく人権を得られる。著名な文学賞に選ばれればひとかどの人物である。しかしそれが叶わなかったとき、世間の風は冷たい。『物書き』は本来蔑称なのだ。

 あと二、三年もすれば、同郷の作家が芥川賞を受賞したことも皆忘れているだろう。その時になって実は小説を書いていたんだと明かしても、佐々木は『まだ小説なんか書いてるのか』と言うかもしれないし、両親は『そったらことよりさっさと嫁ばもらって孫の顔見せろ』と言うだろう。いや、両親はきっと今でもそう答えるはずである。都会の事情は知らないが、この辺りでは私の年で結婚して既に子供を持っている家庭も少なくない。独身のまま年をとったとしたら、いい年こいた独身男への風当たりは、おそらく売れない物書きなんかの比ではない。


「いらっしゃいませ~」


 新たな客の来店を告げる佐藤さんのよく通る声によって、私は再び現実に引き戻された。

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