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 令和二年、七月二十四日。


 本来ならば東京オリンピックが開幕するはずだったその日に、私は二十三歳の誕生日を迎えた。

 誕生日と言っても、別段嬉しいわけではない。子供の頃は、一つ年が増えるごとにRPGの主人公のようにレベルが一つ上がるような喜びがあったものだが、二十歳を過ぎて人生のレールが大方決まってしまえば、年齢なんてただの数字である。祝ってくれる友人も恋人もいない。この世界で私の誕生日を覚えているのは私と家族とSNSぐらいだろう。私自身も自分の誕生日をTwitterの白々しい風船のアニメーションのおかげでようやく思い出す有り様だ。生れてすみませんとまでは思わないが、生まれてきてよかったとも感じない。まあ、そんなものだろう。


 誕生日だからというわけでもないが、本当はこの時期に東京に行こうと思っていた。夏には新型コロナの感染者数も大幅に減ると予想されていたし、七月末からは『Go To トラベル』も始まる。サカナに会いに行くにはこの上ないタイミングのはずだった。

 しかし、現実はそう甘くはなかった。七月に入って以降、東京を含む首都圏での新規感染者数は再び増加に転じ、『Go To トラベル』も東京発着のものは対象外となってしまったのだ。

 キャンペーンがなくても東京に行けるだけの金はあったし、無理にでも行こうと思えば行けなかったわけではない。だが感染が拡大していることを知っていた上で東京に行って、もし万が一新型コロナに感染して青森に戻ってきたら、それはもう私だけの問題ではなくなってしまう。両親や職場にも多大な迷惑をかける。ましてや私は飲食店勤務である。ただでさえ厳しい経営状態、この上に新型コロナの感染者を出してしまったら、食中毒以上の騒ぎになることは確実だ。

 青森のローカルニュースでは、首都圏から青森まで移動してきてこちらで新型コロナの陽性反応が出た若者のニュースが連日のように報じられている。感染者は県全体の晒し者。実名は伏せられているが、年代や職業、居住地とここ数日の行動などがかなり詳しく公開されており、おそらく感染者の周辺では身元が特定されているだろう。絶対に感染するわけにはいかない。


 新型コロナに限らず若者は何かと悪者にされがちで、ワイドショーなどでもいかにも自粛しない無自覚な若者像のインタビューが放送されていたりする。彼らは若者をバカにしているのでバカな若者しか見ない。自分たちが若者だった時代はバカでも許されたから若者全体をそのように見てしまうのだろうか。『若者』という不明瞭な偶像を規定するのは年齢でしかマウントを取れない老人である。どんな年齢層にもバカやサイコパスは一定数存在する。デジタルタトゥー世代の我々は、昔の若者と比べればむしろ品行方正に振る舞っていると思う。それは少年犯罪件数の減少という形で数字にも表れている。

 サカナは彼女自身が接客業ということもあり感染防止には特に注意を払っている方だと思われる。だから会いに行けない理由は理解してくれるはずだし、むしろ今の状況でのこのこと東京に行ったら顰蹙を買うかもしれない。今は辛抱のときだ。


 生活面では特に大きな変化はなかったが、その中で唯一ポジティブな要素を挙げるとしたら、創作に対する意欲が再び湧き上がってきたことである。

 まだ具体的にテーマやプロットが決まっているわけではない。だが、文章を書きたいという意欲が戻ってきただけでも私にとっては大きな前進だと言える。そしてもう一つ、私の創作活動における大きな変化は、相談相手ができたことだ。

 次にどんな小説を書くのか。書きたいのか。書けるのか。その悩みを、私は包み隠さずサカナに話した。彼女自身は全く創作をしないので、創作そのものに対するアドバイスは求むべくもないのだが、私にとってはむしろそれがよかった。私は彼女に、読者としてどんな作品が読みたいか、という観点からの意見を求めた。

 色々話を聞いていくうち、サカナは私が思っていた以上に多くのWeb小説を読んでいることがわかった。読書量は紙の本だけでも私と同等かそれ以上のはずだが、Web小説を全くと言っていいほど読んでこなかった私とは比較にならないほど、サカナは多くの作品を読破してきたようだ。

 もう少し明るい話を書くとか、流行のジャンルのエッセンスを取り入れた方がいいのだろうか、と話したら、彼女はきっぱりと否定した。


『いいえ、ああいうのを真似することはないと思います。テンポよく進む話はたしかに読みやすいですけど、後から振り返った時に、どんな話だったかよく思い出せなかったりして……心に残らないっていうか。だから、多少展開が遅くても、綺麗な文章で丁寧に描写されてる作品のほうが、私は好きです』

「なるほど……」

『明るい話も同じですよ。結局、長く心に残る言葉って、暗い話の重いフレーズなんです。文豪と呼ばれている人の作品だって、みんなそうだし』

「はい。それは私も同感です」

『流行は移り変わるものだから……それに器用に乗れる人はいいですけど、無理に合わせる必要は決してないと思います。遠田さんは若いから知らないかもしれないけど、少し前は、音楽でもちょっと病んでるぐらい重い曲が流行ったりしてたんですよ』

「……え? あ、はあ……」

『それに、何より大切なのは、遠田さんが本当に書きたいものを書くこと。私はそれが読みたいです』


 サカナと話していて、一つ気付いたことがある。

 以前の私は、サカナの言う通り、自分が書きたいものだけを書いていた。そこに迷いはなかった。下手な文章の稚拙な作品でも、書くだけで楽しかった。

 だが、今は動機が少し違う。

 今の私は、自分が書きたいもの以上に、彼女に喜んでもらえる作品を書きたい――そう思っているのだ。


 夕食時のささやかなラッシュを捌き終えた午後九時過ぎ。夏場の金曜の夜といえば、例年なら閉店時間まで客足が途絶えないものだが、店内は無人である。閉店時間も近づいてきたし、少し締め作業を始めておくか、と思ったそのタイミングで、スマートフォンが鳴り始める。私は急いで厨房から裏に入り、スマホの画面に表示された応答のアイコンをスワイプした。相手はもちろんサカナ。


「もしもし」

『あ、もしもし、こんばんは。今、大丈夫でした?』

「はい、ちょうど休憩中だったので」


 真っ赤な嘘である。一応店の自動ドアは常に視界に入れておいて急な来客に対応できるようにしているが、まあどうせ来ないし、数分ぐらい通話したって特に支障はないだろう。ワンオペだからこそ可能な芸当だ。彼女は仕事を終えて帰宅途中。午後のシフトが入っているときは大体八時半から九時ぐらいにかかってくることが多いので、そろそろかな、とは思っていた。声が少しくぐもって聞こえるのは、マスクをしたまま通話しているからだろう。

 それから少し世間話をした。内容はごくありふれたもので、今日の天気や、客の入りに関することだった。青森は今日一日晴天だったが、東京は雨らしい。東京も梅雨明けはもう少し先で、雨でも蒸し暑く、マスク生活がつらい、というようなことを彼女は話した。

 私も一度だけ夏に東京に行った経験があるのだが、たしかに東京の夏は青森とは全く違う。人と街とコンクリートの熱気が凄まじくて、風が吹いてもちっとも涼しくない。あの暑さの中でマスク生活はたしかにキツそうだ。

 天気に関する話題が終わったところで、サカナは唐突に切り出した。


『そういえば遠田さん、誕生日っていつですか?』


 このタイミングで突然誕生日の話題が飛び出してきたことに驚きつつ、私は答える。


「え、あの……今日です」

『え?』

「今日です。七月二十四日」

『今日……? ほんとですか?』

「はい。今日、二十三歳になったばかりです」


 記憶を辿ってみたが、彼女と誕生日に関する話をしたことは今まで一度もなかったはず。だから、わざわざ今日を狙ってこの質問をしてきたとは考えられない。偶然にしてもちょっと話が出来すぎてはいないだろうか。小説にこんなエピソードを入れたら、さすがに有り得ないと読者に叱られそうである。

 それから少し間をおいて、彼女は言った。


『遠田さん、お誕生日おめでとうございます。この先の一年が、遠田さんにとっていい一年になるといいですね』

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